第5回『カツ丼は偉い』
皆様、ゴールデンウィークいかがお過ごしだろう。
アサイは慣れないウォーキングをして、慣れない激辛タイ料理を食べて、足腰と胃をやられ大人しくしている。とほほ、、なオジサンである。
さて、この「あさい兄妹の散歩のつづき」も毎週更新し、僕アサイ兄とあさい妹が交互にリレー式エッセイをお送りしているが地味に高評価のお声を頂いているありがたや。ご意見ご感想など頂けるとありがたいです。
ここまで読まれている読者はお気づきだろうが、数ヶ月・数週間前に「書き溜め」しておいたものをリリースしている。もうすぐストックネタもなくなりつつあるので、締め切りまでになんとか書かねばなのだが、大工仕事やハイボールに勤しんでばかりだ。
あさい妹は新天地で「お寿司屋さん」として頑張っているので、ワシも締め切りに追いかけられないよう頑張らなきゃな、、、と思う。
今回も投稿するタイトルからネタバレしているのだが、どうも僕は「食い物系」に話が偏りすぎているのが否めないのだが、まぁお付き合い願いたい。
書いてみたい「ネタ」もたくさんありますので今後ともお付き合いよろしくお願いします。と、なぜか改まったご挨拶となってしまった。
では、第5回目の散歩のつづきをどうぞ!
4/5火曜日 昼下がり
なぜだか、アサイは多摩プラーザの駅にいる。
駅前の商業施設に入り、地下のフードコートでコーヒーを飲みながらジジババに囲まれておる。すっかり自身もリタイアした先輩方の仲間入りをしたような錯覚さえ覚える。
この『散歩のつづき』も描かねばと思いつつも、コロナ禍が明けたと同時に活発に動き回り腰を落ち着かせる間も無く西へ東へと動き回っておる。先週も三重・名古屋・兵庫・京都・東京・神奈川、、、、、
さてと、言い訳はここまでにして始めよう。
前回このコラムを記したのが2/12ともう1月半前なのだが、その間にいろいろあった、起こった。
このコラムの冒頭でも綴ったように、多くの敬愛するミュージシャンや作家さんがなくなった。悲しい受け止めたくない気持ちと、前を向かなければという気持ちが入り混じり、なかなか整理できずにいた。
本を読んでinputしたり、outputは身体を動かそうと、三重の家のリフォームに本腰を入れ2月下旬からほぼ1ヶ月頑張った。
助っ人のかずしやロンドンへ行った篠田にも手伝ってもらいなんとか形になってきた。もう間も無く皆さまに公開できそうだ。
3月末は今春からの新生活をする家族や仲間を送り出す準備や企てに日々翻弄した。
僕ももうすぐ47歳になる。
心機一転といった感じではないが、毎春新しく頑張ろうと力むのだが、さして変わらずハイボールのチョイソなどを飲みのほほんと猫と遊んでた。
そういえば、先日野営隊のヨシヒロが招待してくれた『尾張名古屋大晩餐会』という格式ばった宴に参加したのだが、チェリストの「溝口肇」さんの演奏が魂のひだに触れるような素晴らしい演奏だった。この歳でもまだまだ新しきを知り嬉しかった。
そんな溝口さんは猫との2人暮らしで『これからはウィークタイズ(弱い紐帯)が大切』とおっしゃっていた。
はて?ウィークダイズとは
早速のお得意のGoogleセンセー登場である。
ウィークタイズ(weak ties)とは、家族や恋人や親友といった社会的つながりが密接な人よりも、適度に顔を合わせる程度の人間関係の方が有益な情報をもたらしてくれる可能性が高いという理論「弱い紐帯の強み」における、弱い社会的つながりのこと。
「弱い紐帯」
密接なつながり「ストロングタイズ (strong ties)」には強い信頼関係があるが、接触や交流は冗長で新規の探索にはあまり適していない。
一方、弱いつながり「ウィークタイズ」では交流の冗長性が低く、有益で新規性の高い情報を得やすい。そのため、転職や休職においてはウィークタイズの方が重要となるというものである。
むむむむ、、、、
言わんとすることはわかるが、、、
なんとなくつながっている関係が良いということか、、、
僕がお世話になったドラマーの『シゲさん』はディープタイズと言う企画をやっておられたが、僕はディープタイズの方が好きだなぁ。飼い猫とか心の置けない友達とかはディープタイズが良い。
タイズ系も時と場合にもよるだろうが、旅先の酒場であった節目がちな色白の未亡人なんかとディープタイズしたい、、、、やや、それは後々大変なことになるな汗。やはり何事もウィークタイズの方がいいのだろうか。
ま、いいや。
人間関係とはなんなのだろう?
あ、こないだ京都に行った時に面白い方に出会った。山内さんといい生年月日で人の運勢がわかるというのだ。
お話してみると、驚くほどに言い当てられる。統計学的なことから憶測で言っているというわけでもない。生年月日と星周り?から導き出されるバイオリズム的な観点からお話頂いた。
アサイのこれまでと、ここ数年、50代、60代、その先と「兄さん気ぃ付けなはれや!」と今後のアドバイスを頂いた。
アサイは非常に稀有な人生を歩んでおると。
そして五十を過ぎる頃から内向的な創造をしていくのがよろしいと言われた。つまり酒ばかり飲んでいる自分を内省し創作物や物書きをなさった方が良いと。ふむふむ。非常に興味深いお話と人柄で山内さんにまたお会いできたらと思う。
この歳になっても新しい出会いをいつもしているのだが。これも「ウィークタイズ」なのだろうか?「交流の冗長性が低く、有益で新規性の高い情報を得やすい。」とあるが、もっとその人を知りたい仲良くなりたいと思ってしまうのは人たらしなのだろうかなぁ。ま、いいや。
これからの人生も大いに笑い楽しみたいと人間関係を思う反面、自身の健康に気をつけなければという歳になってきた。体力・精神的ににもっと強くならなければとトレーニングをしようと思うのだが。
「できない」言い訳を重ねてぬくぬくと猫とソファで丸くなっている。最近、突き指の治りが遅いとか、尿切れが悪いとか、そんなジジイな話ばっかり書くのは嫌なので、明るい兆しの話を書こう。
絶対に裏切らない僕にとってのディープ・ストロングタイズ、それは「カツ丼」である。
人間関係の話から、いきなり「カツ丼」の話なのだ。これでいいのだ。
カツ丼はカツ丼でも、あの白飯にキャベツonトンカツにソースびしゃびしゃの「ソースカツ丼」ではないので悪しからず。
カツ丼でもカラッと揚げたてのロースカツ。
玉ねぎはよく出汁にしゅんでいるのがベスト。
卵は半熟の部分と半生なところがあったほうがが望ましい。白飯は炊き立てのちょっと硬めがよろしいかと。そして全体的に汁だくが美味い。
カツは卵とあいまりしゅんだところと、カリのところも残しておいてほしい。と、いろいろな理想と好みがある。
この前にも書いた「立ち食いそば」との出会い。
東京にでてきて甘辛い熱々出汁と江戸の庶民の味を体感したアサイ青年は、その頃から蕎麦屋へ通うようになる。
当時住んでいた杉並のとある街の蕎麦屋だ。
そこは家族で経営されており、街でも人気の庶民的な蕎麦屋だった。お昼時になると20席ほどの店内は近所の会社員、家族連れ、おじちゃんおばちゃんでいっぱいになる。
ランチタイムを過ぎると、おじちゃんたちが板わさなんかをつまみに一杯やっている。〆は名物の「茶そば」を啜ってって感じだ。まだ下町の雰囲気が残る平和な蕎麦屋である。
僕が行く時間帯は、お昼の混雑する時間ちょい過ぎた頃。
ランチタイムは別紙メニューで
日替わり(◯丼+ざるそばセット)
カレーそば+白飯、などガッツリ系が多かった。
最初は僕も日替わりを食べていた。
何度か通ううちに、隣の席で常連のおじさんたちが食べている見事な丼があってずっと気になっていた。
それが「黒豚ロースカツ丼」だ。
むむむむむ、、、、
蕎麦屋で「カツ丼」それも「黒豚」で「ロース」なのだ。
むむむむむむ、、、、
チラリと隣のおじさんが食べている様子を伺うと、とろとろの卵を身に纏った肉厚のカツ一切れを「ワシ!」っと箸で掴み「ガブ!」っと喰らいつく。が、ほぼ100%の確率で「ムゥふ!」と熱さにむせ動作が止まる。かなり熱そうなのだ。
この前のコラムでも書いたように「熱い」はうまいなのだ。キッパリと「熱い」か「冷たい」であってほしい。
「ぬるい」はやや美味しさに欠けるのだ。フランス料理やヨーロッパの料理なんかは全てぬるいのだが、これは歴史の云々かんぬんで、、、
最近は「私、猫舌で。。。」という女子などがいるがそれはまぁしかたないのだが「猫舌」というのも日々の鍛錬で「熱々」を召し上がる練習をするとこれは結構クリアできる。かく言うアサイも前は猫舌で云々かんぬん、、、という話はまぁいいや先に進もう。
カツ丼を食しているおじさん達も最初は皆熱さに戸惑いながらも「ワシワシ」と食べ進めていく。
カツ丼とおじさんの真剣勝負なのだ。
「なかなか本気のカツ丼じゃねーか、、、、汗」
それまで某名代富士そばでセットのカツ丼しか食べたことのなかったアサイ青年にはカツ丼とはカツを出汁で煮て卵をといたものぐらいの認識しかなかったのだが、ここのカツ丼は雰囲気が違った。盛りも豪華でなにより熱くて旨そうなのだ。
調理が気になり、ある日厨房の中が見える席を陣取り、KIRINの瓶ビールを啜りながら調理場を覗いた。
肉厚の黒豚に生パン粉をまぶし、たっぷりのラードででこんがり揚げ、中甘辛の蕎麦屋の出汁の中で沸々の玉ねぎの上に揚げたての黒豚ロースカツを乗せ卵でとじ、炊き立ての丼飯にささっと滑らせ上にはミツバを散らす。熱が逃げないようにベレー帽よろしく斜めに蓋を被ったカツ丼の全貌は、まごうことなき「全丼最高峰最上級の王様」だろうと青二才の浅井にもわかった。丼に風格というか説得力があったのだ。
「むむむ、、、、オデも食ってみたい。」
一度、そう思ってしまったらもう「黒豚ロースカツ丼」に恋焦がれる毎日である。
ある日の午後。
真っ直ぐに蕎麦屋に入り、メニューも見ずお水を出されると同時に「黒豚ロースカツ丼1つ」とキッパリと潔く注文した。どうだやるときゃやんだからな俺も。
この蕎麦屋に数回通い解ったのだが「黒豚ロースカツ丼」は相当の人気メニューらしく「カツ丼一丁!」の注文後、厨房から「ロースあと2枚!」と返答が返ってくる。黒豚ロースの在庫数だ。
つまりその店のランチタイムでの「黒豚ロース」は数が決まっていおる「限定」なのだ。おぉ!滑り込みセーフだった!運はこっちの味方なのであると謎のガッツポーズを決めながら待つこと10分ぐらいだろうか、、、
「はい、カツ丼お待たせ!」
と目の前にカツ丼登場!盆には蓋を半分に被った威風堂々のカツ丼、みつばが乗った赤出汁、たくわんと柴漬けの小皿、熱いお茶。盆の上は完璧な布陣。全てが潔い。うむ、完璧である。
「よっし!」とよくわからない確信と勝利感。
丼の蓋を開けると「ふわゎ〜ん」と温かな湯気。
鼻腔を刺激する甘辛い出汁の香りと揚げたての黒豚ロースカツの香ばしい香り。香りの構成までが完璧なのである。
まずは揚げたてのカツをワッシと一掴み。一口「カプっ」っとやる。衣のサクのあとすぐにジュワっと出汁感。黒豚は程よい歯応えと肉質。口の中に広がる衣と肉の渾然一体感。間髪入れずほんのり出汁を纏った玉ねぎと飯をかっこむ。カツを一口、飯をかっこむ、カツを一口、飯をかっこむ、「ワシワシワシ」と丼を食べ進めていく。
カツ丼からの赤出汁がしみじみと旨い。
ドンブリは想像以上に懐が深く相当量の飯。その上にはどデカい黒豚ロースが一枚のっている。両者とも引けを取らない存在感と威圧感。食べているこちらも「負けてなるものか」とよくわからない対抗意識のもと食べ進める。
熱々のカツ丼と熱々の赤出汁、、、
「うまい」「うますぎる」
ここまで本気のカツ丼を初めて食べたアサイ青年(おそらく23歳ぐらい)は感動していた。今まで食べた「カツ丼」の中でも群を抜いていた。比較できないほど圧倒的な存在感と旨さであった。
黒豚のロースカツと、飯、出汁に浸った玉ねぎ、上に散らしたミツバ。全てが渾然一体となり圧倒的な存在感。これは旨い。衝撃的な旨さに完敗。
これほどまでに旨いカツ丼は初めてだった。
そして自分史上の「美味いものランキング」が塗り替えられるほどの。
ややや、、、、、
カツ丼への思いのあまり文字数が足りない。
カツ丼がいかに偉いかとか、丼ものの中で「カツ丼」はどれほど尊いとか、丼もの選手権とかいろいろと書きたいことがあるのだが。それはまた後日ですな。
書きながらアサイはたまプラーザの駅前のMARUZENの入っているビル地下のフードコートでたこ焼きを突きながら書いているのである。カツ丼が食べたい。
はて?今回も明るい兆しの話になったであろうか、、、、、
4/5火曜日 昼下がり たまプラーザにて
アサイ兄