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中山神社火の祭り

見沼たんぼ地域ガイドクラブが主催するツアーに参加しました。
首都圏郊外大宮、浦和辺りは超モダン建築のビルやマンション群と住宅街ですが、少し足を延ばすと神代の時代からの歴史と風情があるところです。

中山神社旧本殿 御朱印がいただけます


12月8日、コロナ禍以来初めて再開された中山神社の神事「鎮火祭」が執り行われました。無病息災と火難がないよう祈願します。
中山神社の由来
第10代崇神すじん天皇の頃、創建されました。BC96年といわれていますが考古学上では3世紀後半から4世紀前半大和国家が勢力範囲を拡大させ、日本列島の大半を治める時代と一致します。

中山神社は別名「中氷川神社」といわれていました。主祭神は大己貴命おおなむちのみこと  子である王子宮を祀っています。
大宮・高鼻にある「氷川神社」の主祭神は須佐之男命すさのおのみこと  父である男体宮を祀っています。
浦和・三室にある「氷川女体神社」の主祭神は稲田姫いなだひめ  母である女体宮を祀っています。
合わせて「三社」は、一直線上に位置し中山神社は ほぼ中央にあります。

氷川神社、氷川女体神社、中山神社の主祭神は出雲系の須佐之男命一家を祀っていることを知りました。天孫系の天照大御神ではないんですね。

八雲やくも立つ 出雲八重垣いずもやえがき妻籠つまごみに 八重垣作る その八重垣に

須佐之男命が奇稲田姫くしなだひめを妻に迎えて出雲の須賀の地へ赴き二人が暮らす宮殿を立てる時に詠んだ、結婚の歌。そして二人の間に生まれたのが大己貴命おおなむちのみこと またの名を因幡の白うさぎの話で有名な大国主命おおくにぬしのみことです。

出雲の神話のいにしえを、この関東大宮、浦和の三社から想いを馳せることができるとは、ちょっとしたファンタジーですね。

冬至の日には、太陽が氷川女体神社の真上から昇り、夏至の日には、太陽は氷川神社の真上に沈みます。
大和時代の人々が稲作で重要な暦・太陽の位置を正確に知るため意図的にこの場所に神社を創建したということです。

見沼たんぼの刈り残した「ひつじ田」

・刈り取りた  あとから伸びる穂のことを  「ひつじ田」と知る 冬の陽だまり
                        
asai作

鎮火祭
「新篇武蔵風土記」にも書かれている古くから伝わる伝統の神事です。
境内の枯れた松を使った薪は高さ3メートルに燃え上がります。神職が祝詞を上げ、清めの塩をまき、火のくすぶる炭を広げます。神職、参拝者と続いて火渡りをします。

火をつけていきます
火がまだくすぶっています。お清めの塩をまきます

鎮火祭の火により、氷が溶けて「中川」となりました。その後地域の名称上山口新田の「山」を用いて「中氷川神社」から「中山神社」となりました。

・火と水と 里のかみさま  集まりて なにを語らん鎮守の森で
                       
 asai作

中山神社にはまだ語りつくない多くの話がありますが、この辺で終わりとします。お付き合いしてくださってありがとうございます‼

見沼たんぼ地域ガイドクラブ ー火祭りツアー

地域をよく知るガイドさんの案内でテクテク

立ち寄ったところ
高台橋たかだいばしの名が残る交差点。お女郎地蔵と火の玉不動の石仏が祀られています。交通の激しい場所でガイドさんから説明されないと石仏と赤い屋根の祠など足を止めることもないでしょうね。
・造幣局さいたま支局を見学(無料です)6種類の貨幣、勲章、褒章などを製造しています。日曜でしたので展示会場のみの見学。

入口のサンタさんがお出迎え

・見沼代用水西縁を通り刈り取られたたんぼを横切ります。
・浦和レッツ練習場の大原サッカー場へ。
門で待っていたら練習を終えた選手たちが出て来て大型バスに乗り込むところに遭遇。老若男女ならず老ばかりでゴメンね!選手たちは私たちの黄色い声に笑顔で手を振ってくれました。

浦和レッツ専用バス カッコイイ!

閻蔵院えんぞういんの大イチョウ。さいたま市指定天然記念物で樹齢は4百年、樹の高さは26メートル、幹のまわりは大人3人でも抱えきれない太さです。
・中山神社到着。歩いて約4キロの行程でした。鎮火祭に参加してここで解散。帰路に向かいます。程よい汗をかきました。

鎮火祭のための祭壇

(神社の由来の参考はガイドさんからの資料とWkipediaより)