新たなムーブメント到来!自分のカラダを捉える「ボディ・ニュートラル」とは!?
ボディ・ニュートラルとは
皆さん、ボディ・ニュートラルという言葉を聞いたことがあるでしょうか?
これは、「自分の体型について自分の考え方をそのまま受け入れよう」というムーブメントです。
似たような話を聞いたことがあるという方も多いと思います。
それは、数年前から欧米を中心に巻き起こり、日本にも入ってきたボディ・ポジティブです。
「社会が何と言おうと、どのような体型でも、その人はありのままで美しい」という考えのことですね。
大々的に広がっていった考え方なので、聞いたことがあるという方も多いと思います。
でも、この2つには違いがあります。
皆さんは気づきましたか?
ボディ・ポジティブというのは、社会が何と言おうと、どのような体型でも、その人はありのままで美しいとする考え方です。
これはポジティブ信仰の象徴という感じが、私的にします。
世の中ではネガティブはダメ。
ポジティブじゃなきゃダメという風潮ですよね。
あなたはネガティブなことばかり言うから会いたくないとか、自分自身でも、ネガティブな話を今日してしまったとか。
でも、人間には感情があります。
いい感情しかないというのは、逆に不健康です。
そして、世の中の物事は全て両極があるんですよ。
上と下、北と南、右と左、男と女といったように、全ての物事に対極となる局面があります。
これは絶対です。
だから、ポジティブがあればネガティブも同時に存在するんです。
つまり、どれだけポジティブなことを言っている人も、ポジティブだらけなことでも、絶対にネガティブがあるんですよ。
反対に、ネガティブだらけの側面にも必ずポジティブなエネルギーは存在します。
両極がないというと、例えば、上と下の下がないなら、そもそも上とか言わないですよね。
ポジティブとネガティブも同じです。
だから、社会的に美の基準となるバストに関しても、美バストの基準を教えてください!と言われてきました。
そして、その基準に合っていないと、「自分は道から外れている、自分は駄目なんだ」と、どうしても思ってしまうじゃないですか。
平均寿命とかもそうですよね。
日本は80歳後半くらいですが、それよりも若くして亡くなったら不幸、それよりも長生きしたら大往生と言いますよね。
だけど、100歳とか長生きする人だらけだったら、平均寿命が80歳にはならないじゃないですか。
中には1桁とか、20歳以下とか、若くして亡くなる人もいて、それの平均がその数字なだけであって、いろいろな人がいるわけです。
私もバスト系の発信をしていて、TikTokとかYouTubeショートで、「このような文献があって、一般的に〇〇に関してはこう言われています」と発信をすると、それに該当しない方々が「全然根拠がない。私は〇〇だし」とコメントします。
逆に、「全部当たっている、この通り」という書き込みも入ってきて、対極な意見があるなと思いながら、いつも眺めています。
眺めていてよく分かるのが、自分が該当しないといろいろ言うし、該当すると安心するみたいなんです。
特に、体型は人の目に触れて、自分の目にも明らかですから、他人軸や平均になぞらえがちなんでしょうね。
それに対して、「そんなことをいちいち気にせず、ありのままを受け止めなさい。そのままでみんな美しいのよ」と言うのが、ボディ・ポジティブです。
だけど、先ほどから言っているように、ネガティブをみんな抱えていて、自然と感じさせられているわけです。
でも、体調がいいときとか、機嫌がいいときはそう捉えられなくもないかなと思いますが、自分のコンプレックスを刺激されたり、どうしても受け入れ難い身体の特徴に直面したりしたら、なかなかそうはいかないじゃないですか。
そんな中、新たに注目されてきたのが、ボディ・ニュートラルというムーブメントです。
これは言葉の通り、「自分の身体のイメージに対して、無理にポジティブにならなくてもいい。ニュートラルでいいんだよ」という、良いも悪いも、自分が持つボディに対する感情をジャッジせず、そのままでいいとする考え方です。
言ってもらえると心が救われますよね。
でも、わがままボディ、怠惰な身体のままで開き直ってもいいのかというと、そういう問題ではないと思っています。
一旦ニュートラルな感覚で受け止めます。
でもそこで、仮に自分がこうなったらいいなと思うのは大切です。
周りと比べて自分が劣っているから〇〇しないといけないとか、感覚をベースに行動するのはとてもしんどいですよ。
ストレスになります。
でも、「この洋服を着たい、こんな風になれたら楽しそう」という、心がキラキラするような、心が軽くなるようなことだったら、楽しみながらチャレンジできますから、そうやって変化していくのはいいと思うんですね。
感情は不思議なもので、このように感じてはいけないとして感情をごまかしたり、場合によっては蓋をしてしまったりすると、それが圧力鍋の蓋みたいな感じになるので、鍋の中に閉じ込めた感情が溜まりに溜まって、圧力鍋でぎゅうぎゅうに押さえつけられると、いつか爆発してしまうんですよ。
でも、蓋をせずに、そのままを感じる。
今回でいうボディ・ニュートラルの感覚ですね。
自分が感じることを俯瞰的に見る。
そして、その感覚や感情を味わい尽くすと消えるんですよ。
これは感情の持つ不思議なカラクリです。
そしてまた別の感覚にシフトしていくんですね。
今回のイベントでは、まさにそのような世界観を表現されていて、いろいろな体型の女性のヌード写真が会場に飾られていて、そのモデルになった方の体験記が言葉や映像としてあったのですが、皆さん「この写真撮影に来るまではすごく嫌だった。だけど、ヌード写真にチャレンジしたことで、無理なく自然と自分の身体が愛おしく感じるようになった。自分の身体がいいと心から思えるようになった」とおっしゃっていました。
世間からの押し売りで思わされるのと、自分の内側から自然に発生するのとでは全く違いますよね。
誰の基準かどうかです。
皆さんも、自分の身体の感覚を誰の基準で感じていますか?
社会基準?
他人基準?
世の中の美容基準?
そうではなく、あくまでも自分基準で、自分の内側から自分の身体と感情と対話して、それでいてどう感じるかです。
感情・深層心理の向き合い方
身体は生まれてからずっとあなたに寄り添ってくれていて、全ての部位があなたの一生の相棒じゃないですか。
そして、私達が生まれる前に、魂がその身体と、あなたで生まれることを選んでいるんです。
だから、自分で選んだのに、そんなことをすっかり忘れて、ここは基準から外れているからダメだと自分を卑下していたら、一生の相棒が可哀想じゃないですか。
コンプレックスは、自分の深層心理に気づかせてくれるとてもありがたい存在です。
例えば、バスト。
大きいとか小さいとか、大きさの件でお悩みが多いですよね。
貧乳は誰の基準なのでしょうか。
自分が貧乳かどうかは、誰かと比べたからこそわかったんですよね。
ということは、その比較する心、そしてそれをいいとか悪いとかジャッジする心があるんだな。
そういえばバストだけじゃなくて、いろいろなことを全てジャッジしているな、そう気づかせてくれるきっかけにもなります。
あと、自分の胸の形や位置が嫌で、自分の胸を見るのも嫌。
見ることが辛いという声も聞きますが、この深層心理は何でしょうか。
その根底にある感情は自己否定とか、自尊心の欠如、自己受容ができていないとかでしょうか?
自分で自分のことを受容できない、受け入れられないというのは辛いですよね。
バストだけじゃなくて、他にもたくさんあるんじゃないかな。
私は何で自分を受け入れていないんだろう、自分が許容できないんだろう。
それをずっと観察していくと、例えば小さいときに、お父さんとお母さんが離婚して、そして新しいお母さんが来て、そのお母さんと仲良くできなくて、私はこの家に要らない子だと思った、そういう強烈な印象を受けた幼少期がある。
小さいときに、お母さんに「本当にあなたはダメな子ね。〇〇ちゃんはあんなに優秀でスポーツも万能で、お母さんやお父さんの言うことも聞いてすごくいい子なのに、あなたは頭が悪くてダメな子だ」と言われて、自尊心が欠落してしまっているとか。
結構、心のトラウマは幼少期に経験したものが根付いていることが多いです。
コンプレックスのターゲットになりやすいお悩みは、あたかも身体のせいにしていることがほとんどですが、蓋を開けて観察してみると、根底にトラウマに類似する感情を彷彿とさせる出来事があるわけですよ。
だから、身体を整形して治しました。
でも、またターゲットが変わって、他のことで同じような感情や感覚を味わうことになります。
なぜなら、大元を絶っていないから。
ですから、まずはその感情を感じて、ちゃんと味わいます。
辛いかもしれないけど。
余裕がある時に自分の内面と対話して、そして今よりも若い時代、もしくは幼少期に何があったか思い返していく。
記憶がないから無理だという人は多いかもしれませんが。
でも実は、潜在意識は今まで経験したことを全て覚えていて、だからヒプノセラピーとか催眠療法で過去を引き出して、原因となる出来事を受け止めに行くことができます。
でも、自分自身でヒプノセラピーをするのは難しいと思うので、瞑想などがいいと思います。
瞑想をするのも難しい。
目をつぶったら雑念ばかり出てくるという人は、歩きながらでもいいんですよ。
無心にボーッとできることをする。
料理とかもいいと思います。
身体のことを考えたら湧いてくる嫌な気持ちにフォーカスして、この感覚を一体いつ味わったのか、そこに向き合う。
ちゃんと向き合って過ごしていると、通じる瞬間がきます。
これがダメだったんだと気づくと、それまで抱いていた感覚がたちまち変わります。
消しゴムで消したみたいな感覚で消えるわけではないですよ。
これは勘違いされやすいところで、セラピーを受けたら何事もなかったかのように全て帳消しになると思われることが多いのですが、そうではありません。
大元は幼少期の体験であることが多く、それを発端に、似たような経験を随所でしていくわけです。
ひとつの感情に、さらに別の感情も同時に乗っかって、雪だるま式に重なっている。
だから、自分の内側と向き合う習慣をつけていくことで、少しずつ進んでいけるということです。
途方もない話だと感じるかもしれませんが、ずっと蓋をして、圧力鍋の中に入れっぱなしにするよりもいいと思いませんか?
ストレスも徐々に感じにくくなっていくので、身体的にも楽になっていきます。
あと、その身体のコンプレックスは、皆が同じように悩んでいるわけないじゃありません。
バストが小さくて良かった!という人もいるんですよ。
私のお客様で、モデルさんやファッション系の方々は、「胸はできるだけ小さい方がいい。私の胸は小さくて洋服がかっこよく決まるから、本当によかった」と心から言います。
あと、私は最近、お着物を買いました。
着物ブラはペラペラのスポーツブラみたいなやつなのですが、胸をぺったんこにするんです。
着物の場合、胸が出ていると着崩れしやすいから、できるだけ身体を寸胴にするらしいんですよ。
ウエストもくびれていたらダメらしいです。
なので、タオルを詰めて、とにかく寸胴な身体にする。
そうすれば着物が美しく決まるらしいです。
ということは、私達日本人のDNAは寸胴なんじゃないですか?
それなのに、世界基準がどんどん日本に入ってきて、メリハリのある身体でなくてはならないと踊らされて、そしてさいなまれる。
でもそれは細胞レベルの話じゃないですか。
DNA的には無理です。
でも、諦めた状態がポジティブだったらいいのですが、ジメジメとした心になるのだったら、これはまた違うんですよ。
自分の身体に感情が振り回されないような状態を目指していけるのが、心身ともに健康な状態を作っていけるわけで、常に身体と自分が対話する習慣を持つことが、結果的に大事だと思います。
ボディ・ニュートラルという言葉を通して、私はそう考えることができました。
皆さんの自分自身のボディーイメージ、いかがでしょうか?
ボディ・ニュートラルという概念をぜひ取り入れてみてください。
そして、自分の身体と仲良くなって、慈しんであげてください。
ウィメンズヘルスさん主催のイベントでは、レッスンの担当をさせていただいて、「おっぱいが教えてくれるケア講座」と題し、総勢約50名の方々にとお話をさせていただきました。
おっぱいとの本質的な向き合い方、そしてバストのポテンシャルを引き出すためのセルフケアの方法、おっぱいと自分が繋がっていくワークをして、最後にはおっぱい瞑想をしました。
最後の瞑想では涙を流す方々が沢山いらっしゃいましたよ。
「自分のバストとこんなに繋がったことはなかった。自分のバストに対して、意地悪な目線をずっと抱いてしまっていたと。でも、今日のレッスンを受けて、自分のバストに対してすごく愛おしさが込み上げてきて、最後は涙が止まりませんでした。自分の人生観がすごく変わりました」と、皆さん言ってくださいました。
とても嬉しかったです。
バストをはじめとするコンプレックスのある場所は、大きな気づきをその人に与えてくれるものなんですよ。
だから、コンプレックスをコンプレックスのままにして、自分の身体に刃を向けている状態は本当にもったいない。
そんな話も今後は織り交ぜていけたらと思います。