私のお気に入りの孤独(2)
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「あなた、名前は?」
老婆が笑子に聞いた。
「円山笑子といいます」
「マルヤマエミコちゃん。そうなのねえ」
「お名前は・・・・・・?」
今度は笑子が訊ねた。
「ひばり。菊水(きくすい)ひばりっていうのよ。美空ひばりちゃんとおんなじ名前。もっとも、向こうは本名じゃないけどね。うふふ」
キクスイヒバリと名乗るその老婆は、ゆったりとしたペースで喋り、何が可笑しいのか、ひとりでクスクス笑った。
風変わりな言動は一旦横に置いて、笑子はひばりの容姿や雰囲気を観察した。
品があって美しいおばあさんだと感じた。美空ひばりと同名であることを自慢げに話す様子は、少女のように若々しい。公営団地や商店街の前でよく群れをなしている、肥えてくたびれたおばさんやおばあさんの群れとは一線を画している。すらりとして、瞳が輝いている。少々厚化粧のきらいがあるが、それもよく似合っている。
笑子はあえて訊ねなかったが、想像するに、ひばりは、家柄の良い家庭のおばあさんなのだろう。三年前に亡くなった母方の祖母の印象が、ひばりと丁度重なった。豪奢な屋敷で、お手伝いさんが常駐する、母方の祖父母の家に、円山一家は一度だけ行ったことがある。お嬢様育ちで、それゆえに俗世間からずれていて、エキセントリックな振る舞いも多々あれど、小さな笑子に優しくしてくれた、おばあちゃん。
それにしても、笑子がどうしても気になるのは、ひばりの服装である。
夏にもかかわらず、毛糸で編んだ紫色の丸い帽子を被り、薄い黒のタートルネックの上には、ヒョウ柄の襟巻きと、ふんわりしたピンク色の分厚いコート。なのに、汗ばんでもいないし、暑がっている様子もない。
それに、左手にずっと握りしめたままの、ラッピングされた花束。長らく列車を待っているせいで、花びらはすっかりくたびれてしまっている。笑子はまずこの花束について聞くことにした。
「ひばりさん、花束をお持ちですけど、これからどちらへ行かれるんですか?」
「娘夫婦の家よ。そしてこの花を、孫娘にあげるの」
「花を、ですか?」
ひばりが苦笑いしながら言葉を探している。赤、白、黄と色とりどりの花たちを見ながら、笑子は急に差し込むような嫌な予感がした。しかし遅かった。
「孫娘は5年前に25歳で亡くなってね。今日は命日なの」
※
2013年の春から夏にかけて、笑子は1日の殆どをベッドで寝て過ごしていた。
精神的な疲弊、抗うつ薬や抗不安薬による副作用の、強い眠気。
朝起きて、食事をして、眠って、昼起きて、食事をして、眠って、夕方起きて、食事をして、テレビを観て、眠る。風呂は週に1度、洗濯は2週に1度。とにかく何もできなかった。
出かけるのは月2回の精神科への通院と、マンションの1階と2階のフロアに入っているスーパーマーケットに出向いて、インスタント食品や総菜を調達しに行くときだけだった。食欲は殆どなく、レトルトのお粥など、本当に軽いものしか食べられない日が大半だった。
訪問看護は、憂鬱さとひどい眠気で、元々入れていた予定をキャンセルして「また都合がついたら連絡します」と電話してからは、それっきりになっていた。
そんなふうにして永遠に毎日が過ぎるかと思われた、夏の初めのことだった。
笑子は月2回の受診のため、いつものように、内科、精神科、神経科の入った病院に向かった。そして診察を済ませ、病院の隣にある院外薬局に入り、薬をもらって出てきた。
いつもなら、ここでそのまま、脇目も振らず、寄り道もせずに家へとまっすぐに帰るだけだった。しかしこの日、笑子はふと振り返った。
院外薬局の隣に、3階建ての書店があることを、笑子は初めて知った。もう、現在の病院に通い出して4年になろうとしているのに、こんなことも知らなかったのかと笑子は急に恥ずかしくなった。そして、そんな今までの自分が勿体なくもなった。
勇気を出して、濃い青色の長方形の形状をした書店に足を踏み入れた。
しかしどこに何があるのかまるでわからない。学生の頃は街の図書館に行ったり、働き出してからは職場近くのJR駅に入っているテナントの本屋に行ったりしてはいたが、こんな大規模な書店自体がそもそも初めてで、勝手がわからない。目的があって入ったわけでもない。笑子はふらふらと所在なく店内を歩き回っていた。
そんなとき、ひとつのポップが目に付いた。
『私のお気に入りの孤独』というタイトルと、その隣に鎮座するハーフっぽい顔立ちの美しい女性――この本の作者だろう――の姿。それから「さわがしい毎日に疲れてしまったあなたに贈る 直木賞作家・スザンヌがおくる大人のファンタジー」というキャッチコピー。
ここ数年は、安価な料理本や収納の本を買ってみることはあっても、文学作品からは随分遠ざかっており、最近の作家について笑子はとんと疎く、スザンヌなる作家が台頭していることはまるで知らなかった。それでも何となく、そのポップに向かって歩いていくと、本が平積みされていた。
ピンクを基調にしたマーブル模様の表紙がとても綺麗だ。笑子は、吸い寄せられるように本を手に取り、中身も見ずにレジに持っていった。あれほど店内を彷徨っていたというのに、レジの入口には一発で辿り着いた。
そして家に帰るやいなや、笑子はベッドの側面の壁に背中をもたれて、買ったばかりの本を開き、読み始めた。
主人公の名はエミリーというようだ。
(エミリー?)
笑子は思わず吹き出した。
(何の偶然だろう?)
しかし読み進めていくうちに、笑いは消えていった。
(これって、わたしのことなのかも)
眠気と憂鬱は相変わらず続いていたけれども、起きていられる限り、僅かな気力を振り絞り、笑子は一日にほんの数行ずつでも『私のお気に入りの孤独』を読み続けた。
そして夏の終わり、笑子は『私のお気に入りの孤独』を読み終えた。
それはこんな話だった。
19世紀、富豪の家で召し使いとして働いている主人公・エミリーは、忙しく女主人にこき使われる毎日に疲れ、ある日、ふと屋根裏部屋の存在に気付くと、そこに逃げ込んだ。
部屋には、女主人が愛読していたとみられる本が、山のように置いてあった。
エミリーは屋根裏部屋にこもり、ひたすら本を読んで、至福のときを過ごし、そのまま出てこなくなってしまう。
やがて、エミリーの意識は幻想の世界へ飛び、肉体は滅びるが、精神は屋根裏部屋のなかに留まった。エミリーは、読んでいた本の登場人物である妖精たちに永遠の魂を与えられ、彼らと一緒に、末長く、現代もなお、好きな本を読みながら暮らしている。
読み終えたとき、笑子は思った。
(こんな風に暮らしたことはない。こういう暮らしも、いいかもしれない)
(試してみる? ――試してみようか?)
自分のなかで何かが変わっていく。そんな兆しを、笑子は生まれて初めて感じ取っていた。
『私のお気に入りの孤独』を読み終え、解説に目を通すと、そこには作者であるスザンヌ=マリア・雨宮の略歴と共に、この作品がイギリスで映画化され、日本でもミニシアター系劇場で公開され、既にDVDやブルーレイが発売されているという記述があった。
スザンヌは日本人の父とイギリス人の母の間に生まれ、15歳までイギリスで暮らし、その後、父の仕事の都合で日本にやって来たそうだ。来日当初、日本の文化に馴染めなかったスザンヌは、不登校になったり、部屋に引きこもったりする時期があったという。『私のお気に入りの孤独』は、その経験に由来する作品だと、解説者による電話インタビューで語ったのだそうだ。
笑子は日頃しているように、無為にテレビの番組表を見ていた。すると偶然にも、その日の深夜、映画化された『私のお気に入りの孤独』が放映されることがわかった。早速「予約する」ボタンを押して、次の日の午後、録画された映画を観た。
作品はかなり原作に忠実につくられており、とりたてて原作に勝っても劣ってもいなかった。笑子の感想は「こんなものかな」といったところだった。
しかしこの映画を観たことは、決して無駄にはならなかった。笑子はこの日以来、目を凝らしてテレビ欄をチェックしては、映画の放映予定がないか探し、めぼしいものがあればすぐ予約ボタンを押した。そして、深夜の映画は翌日の午後に、夜の映画は放映されているものを直接、観るのが日課になった。
毎日のように、午後は映画を観て、午前と夜は本を読み、精神科に行く度に、帰りにあの書店に寄って新しい本を買ってくる。午前と午後、午後と夜の合間には、ひと眠りを挟んで、薬による眠気に対応する。そんな生活習慣が次第に形成されていった。
こんなこともあった。
半年に一度、かかりつけの歯科クリニックから、定期検診のハガキが送られてくるのだが、ある日、笑子は久々にそれを受け取った。
笑子は歯科にかかりたいという旨を生活保護の担当ケースワーカーに連絡し、指示された通りに、検診の予約を先に済ませ、クリニックの名前と電話番号、予約した日時をケースワーカーに知らせてから、クリニックに向かった。家から歩いて五分程度のところにあり、方角は精神科と正反対だ。
検診の結果は、虫歯はないが、クリーニングや、ブラッシング指導のために、週1回くらいのペースで、4回ほど来てほしいと言われた。歯医者は苦手というわけでもないが、あまり何度も通いたいと思える場所でもなく、笑子はしぶしぶ頷いた。
クリニックの入っているビルを出て、笑子はビルの近隣をぐるりと見回してみた。精神科の病院と同様、この歯科クリニックも、診察を終えると真っ直ぐに帰ってくるだけだったから。そして、もしかしたらまた、何かが見つかるかもしれないと思ったから。
笑子の予想は当たった。
家と歯医者の中間地点ほどの場所に、中古CDや本を扱う、こぢんまりとした店を発見した。三階建てのビルの一階にその店はあった。人ひとりがやっと通れるくらいの狭い通路の両側に、本とCDの棚が駅前のビル街のようにびっしり、ずらりとひしめいていた。
中古の文庫本目当てで店に入った笑子だが、ふと見上げると、とても懐かしいCDアルバムのジャケットと目が合った。
笑子が中学生の時に流行っていた、女性ピアニストと女性ヴォーカリストのユニットだった。このアルバムがずっと欲しかった。でも、お小遣いは少ないし、笑子が何をするにも弘子の眼差しがあって、好きなもの、特に娯楽に関するものを買ったり楽しんだりするのは何となく躊躇われ、我慢した。 ずっと、そういう意味のない我慢の繰り返しだった。
けれどこのCDは100円の棚に入っている。100円の買い物なら、今更誰も文句は言わないだろう。
100円の棚には、そんなCDが5~6枚あり、笑子は遠慮なくそれら全てをカゴに入れて、レジまで持っていった。大人買い。今は社会的には大人じゃないけれど。なかなか、悪くない気分だ。
そして、夕食を食べながら、買ってきたCDの一枚を聴いた。やさしい曲。懐かしくて、満たされた気分になった。夜、風呂から上がって眠る支度をするたび、ローテーションでCDをかけた。
歯医者はひと月で終わったが、その後も、月に一度は、その店に行って、様々な中古CDを買ってくるようになった。
ひとりで、好きなことをできるだけするライフスタイルに馴染むと、今まで得られなかった安らぎと開放感を得て、気持ちが落ち着き、活気が出てきた。
無気力感、抑うつが減り、薬も減った。それによって、薬の副作用の眠気も減って、起きていられる時間が増えた。
母の目や両親の価値観に縛られず、構わず、自分で自分の好きなもの、楽しむことを決める喜びを笑子は知った。
初めて精神科にかかって以来、いや、生まれて初めて、生きることに「楽しみ」「喜び」を見いだしたように思えた。
(やっと自分自身の人生がはじまった)
笑子はそう感じた。
『私のお気に入りの孤独』――これこそが、自分のベストなスタイルなのだと確信を持った。
※
「あなた、今でもそんな考え方をしているの?」
ひばりは渋い顔をして笑子を問い詰めた。
「今は少し違います。でも、あの頃の自分の生き方を、後悔するつもりもありません」
ひばりの反応はあまりに予想通りだったので、笑子はとりたてて動揺することもなく、冷静に返答した。
「怖いのよ」
「え?」
「あなたはあの子に似すぎている」
「亡くなったお孫さんですか? でもわたしは円山笑子で、お孫さんではありません。話の続きをしてもいいですか」
笑子はいささか不愉快になった。
「・・・・・・もちろんよ」
ひばりは苦々しい感情をかみ殺すように、口元だけで笑顔をつくり、答えた。
(何でこんなに喋ってしまうんだろう。話すのをやめて、席を立てばいいのに)
話し出しながら、笑子は思うが、なぜか身の上話はよくはかどり、つい何でも話してしまう。
ひばりは、少し不安げな気持ちを表情にちらつかせていたが、話が進むにつれ、穏やかな笑顔になって、笑子の話に耳を傾けながら、うんうんと相槌を打っていた。
※
2013年の秋、笑子は、忘れていたものをやっと思い出した。今まで一度も利用せず、キャンセルしたままになっていた、訪問看護だ。
訪問看護の代表番号に電話をして日程を合わせると、若い頃の内田有紀によく似たショートカットの女性がやって来た。Tシャツにジーンズと、随分カジュアルな格好だ。大人しそうな黒髪ロングヘアの女性を引き連れている。
笑子が暮らしているのは1Kの小さな部屋なのでどうしても狭く、普段生活保護のケースワーカーが家庭訪問に来る時も、ワーカーさんは窮屈そうに身体を屈めている。ひとりですらそうなのに、ふたりも招き入れたらどうなってしまうのかと、玄関からキッチンを通ってくる内田有紀と黒髪の女性に笑顔を作りながら、笑子は心配でならなかった。
「失礼しまーす。どっこいしょ」
内田有紀は顔に似合わず、男前な性格をしているらしい。
「よいせっと」
黒髪の女性も負けてはいないようだ。
笑子が面食らっていると、すかさず内田有紀が声をかけた。
「部屋が狭いからどうしようって思った? 大丈夫、大丈夫。うちなんかもっと狭くて、もっと散らかしてるよー!」
「そう、酷いんですよ、大谷(おおや)さんち。でも、うちもやっぱり狭いなぁ。で、そろそろ自己紹介しませんか、大谷さん」
「そうだった、いけない、いけない。初めまして、私、メインスタッフを担当します、大谷美園(みその)と申します。よろしくね!」
内田有紀こと「オオヤミソノ」さんは姿勢を改めて、頭を下げた。
大谷さんと黒髪の女性(笑子は彼女の名前を最後まで覚えられなかった)は、二人一組で訪問を行なっているという。メインスタッフが主に喋り、それをサブスタッフが見守り、たまに話に入るというかたちだ。やりとりは、少なくとも笑子の前では、メモを取ったりしている様子はない。笑子が比較的軽症だからなのだろうか。
大谷さんは初対面の印象に違わず、明るくあっさりした女性で、支持的な方針を貫いた。笑子の考えや現在の取り組みを肯定してくれて、ああすべき、こうすべきといった、意見の押しつけはしない。歳は笑子より3つ4つ上だという。
時間を毎日自由に使える笑子よりはるかに忙しいはずなのに、大谷さんは笑子より最近の映画に詳しく、驚かされてばかりだった。休日には一晩じゅう映画のDVDを観たり、映画館をはしごしたりしているという。初対面の日に彼女が着ていたのは、よく見ると先日行なわれていたショートフィルム映画祭の公式Tシャツだった。
大きな口を開けて「ひゃっはっは」と笑い、ピアスをつけ、大雑把な性格をしょっちゅう黒髪のサブスタッフさんに諫められ、口癖は「大丈夫、大丈夫」。およそ大病院で福祉の仕事に従事しているスタッフとは思えない。そんな型破りな大谷さんに会うと、生真面目な笑子は時にヒヤヒヤさせられることもあったが、ほとんどの場合、張り詰めがちな気持ちが楽になった。本当に「大丈夫」かもと思うことができた。
ひとりっ子の笑子にとって、大谷さんは、お姉さんのような存在だった。両親に怯え、友だちもいない笑子が、全く気を遣わずに、趣味の話からひとり暮らしでわからないことの相談まで、何でも言えた。
1ヶ月に一度、ふたりのために部屋を掃除するのが、毎月の楽しみになった。
笑子の病状は順調に回復に向かい、2週に一度だった通院は、1ヶ月に一度まで減った。笑子は相変わらず、通院のたびにいつもの書店で文庫本を買った。
スザンヌ=マリア・雨宮の本だけは、文庫本ではなく単行本を買うようにした。笑子はスザンヌの膨大な数の著書を半分近く揃えて、少しずつ読破していった。直木賞受賞作『あなた』、ミステリー風味の恋愛小説『keep out』といった有名どころから、ブレイク前の作品群まで、分け隔てなく読んだ。
ある作家の文庫本の巻末に「スザンヌ=マリア・雨宮の本」の欄があった。それを見て笑子ははじめて、彼女が詩集を何冊も出していることを知った。これまで読んできたスザンヌの小説とは出版社が全然違うので、なかなか、詩集の宣伝を見る機会がなかったのだ。
いつもの書店で、スザンヌの処女詩集『柔らかな毛布にくるまれて』を見つけた。一般に詩集はあまり売れないようだが、この本は『あなた』、『keep out』、『私のお気に入りの孤独』の次にヒットした、スザンヌの代表作のひとつであるらしい。
詩集を買うのは初めてだったが、笑子は迷わず手にとって、すぐにレジに運んだ。そして、家に帰って黙々と読んだ。
恋愛詩と、女性の繊細な内面を凝視した詩が中心だ。ふたりでいる安らぎと孤独、ひとりでいる静けさと孤独を描きたかったと、あとがきに書いてあった。
笑子はこの本を、買ったその日に読み終えてしまった。そして何度も読み返した。
翌月の診察の帰りには、文庫本の小説に加え、ほかの作家の詩集も買った。笑子の本棚には、徐々に詩集が増えていった。
また、ネット上で、詩を発表している個人のホームページやブログに通い詰め、作品をチェックするようにもなった。
(小説に比べて字数も少ないし、もしかしたら私にも書けるかも)
そう思いついた笑子は、大学入学の際に買ったが結局使わずじまいになっていたノートをパックから1冊取り出して、自分でも書き始めた。
そんなことを毎日欠かさず続けていると、自分の詩も、毎日読みにいっているブロガーさんたちのように、発表してみたくなった。
2013年の冬、笑子は見よう見まねで自分のブログを開設し、早速、詩をアップした。
普段通っているブログのようには、華やかな反応を得られなかった。でも、それはある程度予想はついていたことなので、特に落ち込みはしなかった。笑子は自分に才能がある気がしたからブログを開設したのではなく、とにかく書かずにはいられなかったから書いているだけだったのだ。それで、運良く誰かに見てもらって、褒めてもらえたら、嬉しい。その程度の淡い期待しかなかった。
呼吸をするのと同じように、笑子は毎日、書きためた詩をブログにアップして、新しい詩をノートに綴って、本を読んで、テレビで録画した映画を観て、中古のCDを聴いて、1ヶ月に一度、病院に通って、大谷さんたちに会って・・・・・・というルーティンをひたすら続けた。
2014年になると、たまに、拍手ボタンが押されたり、コメントがもらえたりするようになった。
そうして、気付けば、笑子のブログは「ポエムブログ」のカテゴリーで、ブログランキング10位以内ランクインの常連にまで成長した。馴染みの常連さんも沢山出来た。詩を見てコメントをしてくれたり、笑子がその人たちのブログを見にいってコメントしたり。そんな繰り返しで、顔も名前も知らない人々と、緩やかな繋がりができた。
とても嬉しかった。憧れていた「人気ブロガー」に、笑子自身がなったのである。
笑子は、他の人気ブロガーたちのように、自分のブログが書籍化されることを夢見るようになった。それを目標に、一層熱心に、詩作に励んだ。
それは笑子が自発的に思い描いた、初めての夢だった。
2014年の半ばには、大学入学直後や、働いていた頃にしていたような自炊を、笑子は再び始めることができた。元々、弘子から家事の一切をみっちりと教え込まれていたので、基本的な知識や技術はあった。弘子に言われたことの大概は害でしかないと当時の笑子は思っていたが、この一点に関しては、母に感謝するほかなかった。
マンションの1階部分にあるスーパーマーケットに毎日のように通っているうちに、少し奇妙なことに気付いた。
夜の6時から10時くらいに店に行くと、レジに若い男の子がいるのだ。真面目そうな見た目と、幼さの残る口調からいって、大学生なのではないかと笑子は推測した。店の立地から考えると、笑子の後輩にあたる可能性もかなり高い。但し笑子は、殆ど通うことができずに、僅か半年で退学してしまったが。
(男の子がスーパーのレジでバイトするんだなあ)
普通、大学生くらいの男の子といえば、居酒屋だとかコンビニだとか、家庭教師だとか塾講師だとか、そういうアルバイトをしているイメージがあり、スーパーのレジで働くのは専ら家庭を持ったおばさん、たまにお姉さんだろうと思っていた。実際、笑子が見たり話に聞いたりするぶんにはそうだった。
だから初めはその青年を、物珍しさだけで遠巻きに眺めていた。
その年の夏の終わり頃だっただろうか。笑子はいつものように食材をカゴに入れてレジの行列に並んだ。しばらく待っていると笑子の番がやって来た。
笑子の正面に、青年の顔が映り込んだ。
真っ黒く量が多く硬そうな髪、上がり眉の黒目がちな上がり目、ベース型の輪郭で、逞しい体格をしているのがエプロンやシャツ越しにもわかった。
(結構、かっこいいかも?)
笑子のなかで、急にそんな声がした。
驚いてつい青年を凝視すると、青年は商品のバーコードを次々と読み込みながら、一瞬だけ顔を上げ、笑子のほうをチラッと見た。
みるみるうちに、顔が上気していくのがわかった。
レシートをもらい、商品をマイバッグに詰めて、逃げるようにマンションに帰り、マイバッグをひとまず下ろして、財布からレシートを取り出した。
レシートの一番下にはいつも、レジ担当者がフルネームで書いてある。笑子はそれを見ようとしたのだ。そこには「平岡 旭」という3文字の漢字があった。
(ヒラオカアサヒ君でいいのかな)
笑子は再び頬を紅く染めながら、ヒラオカアサヒ、ヒラオカアサヒ、と、頭のなかで何度も繰り返した。
笑子はすっかり平岡君のことが気になって仕方なくなっていた。スーパーに行ったら、なるべく平岡君のいるレジを選んだ。買い物は平岡君のいる時間帯にまとめるよう心がけた。平岡君がレジにいない日は淋しかった。自ずとポエムも、恋愛ものが増えて、ブログの常連さんに「好きな人、出来ました?」とコメントやメッセージで聞かれることが増えた。
29歳にして、初めての恋。笑子自身にも、それはあまりにも遅いと分かっていた。
笑子のそばには常に弘子の監視の眼差しがあった。幼い時から、ずっとずっと。それは弘子が物理的にそばにいなくても、いつからか笑子の内面に棲みついた。母の前で女になるなんて、大勢の前で裸になるのと同じくらい恥ずかしいし、何より、強い罪悪感があった。
しかし、「ひとりの生活」を長く過ごして、笑子はようやくその抑圧、あるいは思い込みから解き放たれることが出来た。女であることを自らに許すことが出来るようになったのだ。
母の抑圧から解放された笑子は、今までの反動からか、生活リズムを大きく崩すようになっていった。確かに、笑子を縛るものは、今や皆無に近かった。精神科などの通院に行くときと、訪問看護で大谷さんたちが来る日、そのぐらいだった。要は1ヶ月に2日、まるで朝型であるかのように振る舞えばよいのだった。
自分の詩を書いて、ブログにアップし、常連さんの更新状況をチェックして全てに目を通し、拍手やコメントを残していると、2時間や3時間はあっという間に過ぎてしまう。その他に、日頃見ている本や音楽や映画などに関する掲示板に通い詰めるようになり、気付けば何時間も、朝までパソコンにかじりつく癖がついた。
プロのクリエーターのように「自由なリズム」で生きる生活、真夜中の澄んだ涼しい空気、そういった未知のものが笑子を虜にした。
(文筆業の人たちはこういう生活、普通のはず)
(わたしはポエムで本を出して、それで食べていくようになるんだから、今までみたいに普通になんてならなくていい)
笑子は次第に意固地になった。
抑圧されていた頃は、毎日ずっと規則正しく生活していたのだが、今や、自分の世界にどんどんのめり込み、ずるずると乱れた生活スタイルへと引きずり込まれていった。
「ひとりの生活」、『私のお気に入りの孤独』な日々を手に入れておよそ1年半、笑子は小説の主人公エミリーと同様に、自由と退廃の区別がつかなくなっていた。