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処女詩集をフラジャイルさんから出版へ!+詩公開(KSJ2024北海道大会)

皆さんこんにちは。
Twitterで見た方もいるかもしれませんが、このたび、私の処女詩集が、フラジャイル党さんから出版される運びとなりました!
9月22日の文学フリマ札幌に出すことが目標ですが、なかなか目前なので、「なるはや」といったところでしょうか。
7月中にすべての作品を柴田望さんに提出することが一つのめどです。明日、旭川に打ち合わせに行き、詳しく話を詰めてきます。表紙はどうするのか、タイトルは、肝心の詩集はどんなふうに、マスメディアへのアピールは、出版記念イベントは……などなど、話すこと決めることは山ほどです。今回の話が決まってから、プレッシャーで胃痛や吐き気がときどきしますが汗、一つ一つ取り組んで頑張っていきます。

そうやって作品を詩集にまとめる取り組みに七転八倒しているうちに、KSJ2024北海道大会が今週末に迫ってきました。
今日の夜に組み合わせ抽選が行われます。現段階でまだその内容を知りません。決勝まで進められるかどうか、1回戦で涙をのむのか、はたまた優勝、全国大会出場という悲願を成就できるのか、組み合わせ抽選は割と大事です。ですが何か「組み合わせ抽選を有利に進めるための努力」なんてこともできないので、とにかく目の前の執筆活動を進めるまでです。

詩については前回の記事とおおかた被るので目新しいものは少ないです。参考までに。
ですが改めて、パフォーマンスする予定の詩を全文公開します。(どれを1回戦で読んでどれを決勝で読むかは未定です)

一つ目の詩は、2014年に書いた同名の自作小説を詩にしたものです。
その頃から3年くらい、引きこもりに陥っていました。当時の経験を基にして小説を書き、その小説を基にしてこの詩を書きました。
なお、この詩の後半に出てくるロックスターとは、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのジョン・フルシアンテです。ジョン・フルシアンテについては、近いうちに「ロックスター ジョン・フルシアンテヴァージョン」みたいなものを書きたいなと構想している最中です。

私のお気に入りの孤独
朝伊ミチル

だれにも言えない孤独があった
だれとも話さない孤独があった
昼も夜もなくインターネットを観て過ごした永く暗い夜の孤独
朝も夕もなく映画や本を観て過ごしたルーティンの孤独
この孤独が一生続くと思った
死にたいとか苦しいとも感じなかった
ただ、孤独があった ただ、孤独でいたかった
孤独でいることしかできなかった
ただ、命をつないでいた ただ、貪るように作品を消費した
何になるとか目指すとか未来とか なんにもなくて
だれかに認めてもらいたいとか見つけてもらいたいとかそういうのもなく
社会のどこともほぼつながらないままで
ただ、息をしていた ただ、生きながらえていた
生きることに燃え尽きて 抜け殻になっていた
それがあの頃の全てだった

それから十年近くが経過した
今はもうあの頃には戻れないし 戻ろうとも思わないけど
いつかまたあの頃に逆戻りする日が来るような気もしてる
怖くてたまらないけど
転んだら全てを引き受ける 全て失ったあの頃に戻る
全て失ってただ生きるだけの日々があったから そう思える
あの孤独や絶望が私を深く救ってくれた

ロックバンドを脱退して六年間ドラッグと鬱と孤独にまみれて
隠遁生活を送っていた偉大なロックスターが 私に教えてくれた
医学的な「死」を経験しても ドラッグで歯をほとんど失っても
どれだけ 打ちのめされても
そこから 始まる人生があることを
躓いたらそこで終わりじゃないことを
躓いた人間だけが知っている世界があることを


二つ目の作品は、ロックバンド BOOM BOOM SATELITTESブンブンサテライツ)と後のバンドTHE SPELLBOUNDスペルバウンド)のお三方によせた詩です。「ツヅル」掲載。
私はブンブンサテライツのライヴを一度だけ札幌で観ました。そして2023年にスペルバウンドのライヴを初めて札幌で観ました。そのときの気づきや、ブンブンサテライツ25周年記念本の記述を参考にして書きました。
「あなた」という表現で、ブンブンサテライツの川島道行さん。「魂の片割れ」という表現で、ブンブンサテライツ・スペルバウンドの中野雅之さん。「継ぐ者」という表現で、スペルバウンドの小林祐介さんを表しています。

ロックスター A HUNDRED SUNS Version
朝伊ミチル

2008年2月3日 札幌 あなたが唄った
魂の片割れ 奏でた
あなたの澄んだハイトーンの歌声が 札幌のライブハウスに広がった
片割れは厳しい表情とタイトな所作で ベースを弾き鍵盤を弾いた
あなたは機関銃のように歌や歌詞を正確に叩きつけた
まるで機械のようなパフォーマーだと思ったけれど
あなたが世間のバンドのイメージと全然違って
本当はメチャクチャでグチャグチャで
飲んだくれで少しもちゃんとしてなくて
天衣無縫で そんな魅力のある人だったと 観客の誰が気づいただろう
ビッグ・ビートと純文学を激しくぶっつけたみたいに
ダンスフロアの真ん中であなたは狂ったように皆の前で叫び続けた
なぜ生きるか、なぜ生まれてきたかを問い続けた
強靭なビートにのせてオロオロアルキ
人を踊らせながら 慟哭し 助けを乞い 命を乞い
気が付くと人の命を手助けするような音楽に向かっていった
そんな音楽 そんなロックスター 今までもこれからも存在し得ない
魂の片割れは そんなグチャグチャなあなたに振り回されながら
魅力を感じて あなたを時に厳しい言動で引っ張って
あなたの生き様にインスパイアされた激しい音楽をつくるようになった
二人で唯一無二の 無数の音楽を つくって世に出した
やがてあなたは長く患った病との闘いを終えて
岩手の宙(そら)に 魂をかえした

2023年9月17日 札幌 継ぐ者が唄った
魂の片割れ 奏でた
遺された片割れは生きて あなたとつくった音楽の続きをやると決めた
継ぐ者は あなたの全ての物語を引き受ける覚悟で 名乗り出た
そうして 新しい音楽が始まった
圧倒的な音像は変わらずに 軽やかさをまとうようになり
日本語の歌詞で より幅広い人に 伝わる音楽になった
なぜ生きるか、なぜ生まれてきたかを考えながら 縛られることもなく
インスタグラムの配信で 二人とも毎週いつもよく笑っている
あなたはそんな二人の音楽や在り方をどのように見ているのだろうか
継ぐ者の澄んだハイトーンの歌声が 札幌のライブハウスに広がった
片割れは何度も嬉しそうに笑って ベースを弾き鍵盤を弾いた
片割れも 継ぐ者も とても真摯に自分たちの音楽について話した
最後に片割れが宙(そら)を見た あなたのことを探してるみたいだった
あるいはあなたの声が聞こえていたのかも
こんなふうにして
あなたの魂は永遠に歌い継がれる
あなたの歌は永遠に続いていく
そんな音楽 そんなロックスター 今までもこれからも存在し得ない
片割れによる強い意志と愛と
私たちによる終わらないカーテンコール

参考文献 
BOOM BOOM SATELLITES 25周年記念本
音楽と人


「私のお気に入りの孤独」は朗読すると1分半程度にしかならないため、KSJのパフォーマンスの尺(3分間)にはちょっと足りません。なので、何かしら短い作品を後に添えるかたちになると思います。
現時点で考えている作品がこちらです。当日まで、「何かしら短い作品」は未定かもわかりません。

七月一日、遺書。
朝伊ミチル

「あれ」を書いた瞬間に 私は一度「死んだ」
しかし 「あれ」を書いた瞬間に
思いもよらぬ 詩からの/宙(そら)からのパスポートが届き
私はその蜘蛛の糸に思わず手を伸ばした
言葉が詩が 私を引きずり上げる
「死」が「詩」となって引きずり上げる
言葉の世界でどこまでいける
およそ自分の力だけでは考えつかなかった
大きな詩の世界のパスポートを掴んだ
そうして宙(そら)へと届く 舟に乗り込む
言葉が詩が 旭川経由で 札幌を越え 北海道を越え
全国に響き いつの日にか世界に響く
さっきまで「『死』にたい」と言っていた私は
もうどこにもいない
言葉の光が私を冥界から連れ出した
言葉の詩の 世界を引き受けると決めたとき
私は生きる 必ず生きる
そう 「詩」に明確に伝えられた

七月一日は父の命日だった
言葉の詩の世界へのパスポートは もしかすると父が
宙(そら)からくれた メッセージだったかもしれない

参考作品にはなりますが、昨年の一回戦で披露した、私の父で木彫り職人の伊藤幹男について、その人生をうたった詩「みきおさんの詩(うた)」も載せておきます。

みきおさんの詩(うた) ~亡き父・伊藤幹男に捧ぐ~
朝伊ミチル

一九五〇年二月十日 
北海道の十勝管内新得町という とても寒い町で みきおさんは産まれた
木の幹に男と書いて みきおさん
この世に生を受けた瞬間に 人生は既に決まっていた

すくすくと育っていくみきおさんが
彫刻刀を手に取り 木を彫り始めるのは すぐだった
あっという間に木を彫ることにのめり込み
上士幌町の木彫りの先生に師事し 通信制の高校を卒業して
木彫りのクマやフクロウの作品を阿寒町のお店に売るようになった
そして小さな一軒家を建てるまでになった
大きな薪ストーブにソファ ささやかながら草木生い茂る庭
離れには仕事場の小屋を作った
やがてお見合いで奥さんをもらって 二人の子どもが産まれた
何もかも手にしたようなみきおさん
毎日夢中で 木を 彫って 彫って 彫りつづけた

四人家族で生活していくにはもっともっとお金が必要だから
生活のため 木を彫るだけでなく 木こりになって木を切るようになった
毎日朝から晩まで木を切って 切って 切りつづけて働いた
木を彫る時間は疲れきって帰った夜と週末しかなかった
それでも生活のため 周りの人のため 土曜日、日曜日にも働いた
木彫りのクマにはいつしか 古臭い、悪いイメージがついていた
誰もみきおさんの本当の仕事を知らず 見に来る人もいなかった
木彫りをしている人も 近所の人も みきおさんのことを知らなかった
それでもみきおさんには木を彫り続けることしかできなかった
毎日夢中で 木を 彫って 彫って 彫りつづけた

人一倍元気だったみきおさんはやがてがんになり
気がついたら手の施しようもなくなっていた
そんなとき みきおさんの仕事場に木こり仲間の青年たちがやってきて
「みきおさんの本を作りませんか?」と言ってくれた
話は膨らみ 本はもちろん 帯広市の六花亭で個展を開くまでになった
みんながみきおさんの木彫りのクマを求めてやってくる
そんなときみきおさんの命はあとほんの少ししか残されていなかった
新聞に載って「こんな人が上士幌町にいたんだね」と評判になった
七十一歳で息を引き取るまで 木を 彫って 彫って 彫りつづけた
みきおさんは 出来上がった本でこう言った
「皆さんも、自分の好きなことは、ぜひやりつづけてください。
いつか必ず、いいことがあると思いますよ。」

全てを失い 命を捨てようと身を投げかけたそのとき
不意にみきおさんの言葉を思い出した私は みきおさんの娘である私は
生きることをやめることをやめて 書きつづけることを選んだ
みきおさんが彫りつづけたように 私も今 書いて 書いて 書いている

参考文献 『みきおさんのクマ本』
出版:ワンズプロダクツ 文:コジマノリユキ


詩集も、KSJ北海道大会も、頑張っていこうと思います。
応援よろしくお願いします。


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