出してはいけない結論について

 何か行動を起こす時には、後先のことを考えすぎてはいけないと。私の哲学を育てるきっかけとなったとある人が言ってた。
 「行動する時は盲目であるべき。ある程度のリスクを知る必要はあるが、考え出したらキリがないから不要なことを考えてはいけない」

 その通りだと思うし、それは私に向けて言われてるんじゃないかとさえ感じた。というのも私はどうにも、考えることを辞められないのである。

 何事もリスクがあるのは把握してるが、ある程度の対応策を持たないと不安で死にたくなる。臨機応変な対応というのが驚く程に苦手なのだ。

 それで、こんなことを言っている以上要するに私もなにか行動を起こしたいと考える。

でも今回は「その行為を続ける為に出してはいけない結論が存在する」と言う話だ。

 それはズバリ「私じゃなくてもいい」

この結論に至ったらゲームオーバーだ。もうなんにも出来ないと言ってもいいし、例えばそれが好きでやっていたことならもはやそれをする理由も既に好きだからではなくなっている。

 そう、私もとあることが好きでなくなってしまったのだ。

えぇ、なんかもう無理だなって思っちゃって病んじゃって大変。少し前までアイデンティティだったんですけどね。なんかもう頑張る意味を見い出せなくなったというか頑張れないっつーか。

全てにおいて自信がなくなってしまい、挙句の果てには「私じゃなくてもいいだろう」というところまで落ち着いてしまった。
(今度それやってよ!とだけ言って頼まれたことは一度もないので私がやることに需要がないか私に頼みにくいかの二択しか思いつかない。てかそれが現実なんだろうなと信じて疑ってない)

こっちからのアプローチが足りないのもあるだろうけど、人間不信を拗らせているわたしはどうせお世辞だな程度にしか捉えられなくなってしまった。

大体全ての事象は何かしら代わりはいるし、全て上がいるからキリがないけどほんとに好きなことで、承認欲求が顔を出したらもう好きなことにならないんだよってのが私の結論。

ここまで来たら私の負けです。きっとどう頑張っても生き残れないから、大人しく寝ようね。

諦めるという選択をまたしてしまう私の人生に最大の軽蔑を。



おやすみ

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