これまで
境界性パーソナリティ障害と発達障害の私
4〜5年前、子どもの父親とは結婚を前提に付き合っていた。しかし、私には境界性パーソナリティ障害と発達障害があり、相手にはたぶん適応障害やうつ病があった。同棲していた相手はヤングケアラーで家族の介護があったし、私の感情の起伏やあっちこっちいく会話の問題、こだわりの強さ、片づけられなさ、そんなものが重なって、相手が言うには共依存状態だった。私は病気だと自覚があるが、納得できる病名の診断がつかずに性格の問題や努力不足などと言われながら、病院を転々としながらもなんとか治そうと必死だった。知り合いの後輩が自殺未遂を起こして入院した時に、境界性パーソナリティ障害と診断がついたと知った。私は死にたい気持ちはあるけど本当に死にたいわけじゃない、死んだ方がマシだと思うこの苦しみから逃れたいだけだとわかっていたから、死なないことをしっかり考えた上で重篤な副作用が出ないような抗不安薬を大量服薬するという強行手段をとって、入院した。しかし、地元から遠く離れた土地だったので、家族がいる地元での入院を勧められ、渋々地元で入院した。しかし、田舎で権利だなんだと都会ほどやってるわけじゃないから、任意入院なのに閉鎖病棟に入れられてしまい、外出もままならない。先生の診察もほとんどなく、不安障害などと言われてしまい、こりゃダメだと別の病院に転院して、やっと境界性パーソナリティ障害と発達障害の診断をつけてもらった。
入院したのは1ヶ月だけだったが、相手は私がいない方が楽だということに気づいたらしい。久しぶりに会いに行った時には、別れたかったみたいだ。ただ、うつになるくらい体裁とか世間体とか相手の事情とか考えすぎる人なので、本音をはっきり言えない間に私が妊娠してしまったのだ。私は結婚する気だったし、そこまで別れたいなんて知らなかったので、だんだん距離を置こうとしてくることを理解しがたい。しかも遠回しに言われるので、とにかくわからない。だから結局、3年くらい大揉めすることになった。今考えると相手は中絶して欲しかったみたいだが、なんせはっきり言えない人なので私が決めることなどと言うわけだ。最終的に産むなら特別養子縁組に出そうと相手に言われた。私も1人で育てていくことには不安があったし、地元で親と暮らすにしても私が境界性パーソナリティ障害になるだけの要因がある家庭で、明らかに普通ではない私が子どもを育てると子どもが同じ病気で苦しむかもとか、虐待してしまったらとか、経済的にも困窮している私より、いろいろ揃っていて子どもを望んでいる養親の方が幸せになれるのではとか考えた。とにかく地元が私には合わなかったので、都会にホームレス支援などをしている知り合いを通じて戻り、生活保護をとって出産後、特別養子縁組に出すということで、児相や福祉課、健康推進課、子ども家庭センターなどいろいろ関わって、出産した。
出産後、自分に似ている子どもが可愛くて、病気を何が何でも治してやると思いながら、やっぱり自分で育てると児相に言った。しかし、なんせ出産できちんと制度とか考えている余裕のない頭で、きちんとした説明なしに児相には子どもを一時保護でなく、措置で乳児院に入れられてしまう。育てられない証明を出産前にしていたことになるのだからだと思うが、不服申し立てが出来る期限を過ぎてから措置だと気づいて、結局、引き取るまでに2年もかかってしまった。今では、子どもの父親も面会に来るまでには友人のおかげで関係性を修復した。
子どもを引き取るまではしばらく全てに腹が立つ気持ちというか、虚しさというか、子どもを育てたいと言ったのに、手のかかる時期にはほとんど会わせてもらえないまま、勝手に育っていく。まともで丁寧な乳児院だったので、大事にされてありがたいことだけど、やっぱりはちゃめちゃに自分を責めるしかなかった。そんな時にトリプルワークとかしては、資格を片っ端から取ったりした。いつ子どもが帰ってくるかその時期さえはっきり答えてもらえないので、始めから最低でも2年はかかると言ってもらえたら、准看護師とか取るために時間を使えたと思うが、1ヶ月後かもしれない数ヶ月後かもしれないという状況でとにかく病気を治せとか薬を飲んでいるとダメだとかフルタイムで働けるまではダメだとか生活保護ではダメだとか、いろいろ矛盾したことを言われながら、言われたことは全部やったのに見通しが立たないというのは本当にしんどかった。
子どもと暮らせていない頃、数ヶ月だけバーで働いた時、来たお客さんと付き合うことになった。それが今の夫だ。
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