本当に大切なこと(#note書き初め)
あけましておめでとうございます。
(今回の記事を書き終え、さあ投稿しようと思った時に北陸の地震が起きた。ちょっと今は投稿する空気ではないかなと思い下書きへ置いておいたのですが、淡々と通常運転することも大切かなとも思いなおし投稿します。地震に遭われた方々、心よりお見舞い申し上げます)
怒涛のごとく2023年が過ぎていった。
1年前の今日、元日の夜。年末から帰省してきていた息子が「なんかしんどい、熱があるみたい」と言い出し、もしやと思って翌朝1月2日の朝に休日診療の当番医で診てもらったらコロナ陽性。そこから家庭内隔離生活、私と夫と義母もPCR検査、と成人式の三連休まで一家引きこもり生活でスタートした2023年だった。
思えばこれは波乱の幕開けの序章に過ぎなかった。春には(何度もここでも書いているが)義母が転倒して右手首を骨折、手術、入院、そこからの免許返納、介護生活のスタート。実家の両親もガン治療やら認知症やらで兄夫婦がてんてこ舞いしているので、何度も帰省してヘルプ。仕事の方は生徒さんが長くレッスンを続けてくださったり、それ以外に様々なお仕事のご依頼をいただいたりとありがたいことばかりだったのだが、義母と両親のケア業務の負荷が私にとって肉体的にも精神的にも予想以上に大きく、自分の体に負担をかけながらなんとか乗り切った次第。
そんな私の状況を見て、私の現在の音楽の師匠が、ご自分もご両親の介護と仕事でいっぱいいっぱいだった時期を越えた時に感じたことを教えてくださった。
「絶体絶命なくらい大変な時って、不思議なもので自分にとって本当に大切なものがものすごくくっきりしてきたのよ。あさひちゃんも今そうじゃない?」と。
まさにそうだと思った。以前は、ここでも書いたことあるけど(ここを参照)人のことが羨ましく感じることがたびたびあった(その記事を書いた頃は5月だったのでまだまだ悟れていなかったのだろう)。でもとにかく目の前のことを、乱暴な言い方をすると「ちぎっては投げ、ちぎっては投げ」していくように毎日の生活を送っていると、人のことを羨んでいる余裕などなくなってきて「ヨソはヨソ、うちはうち」の境地になってきたのだ。今風に言うと知らん間に「マインドフルネス」してたのか笑。そう言えば、ジェーンスーさんがポッドキャスト「となりの雑談」の中で「マインドフルネスとか小難しいこと言ってないで、バッティングセンターへ行け。目の間に来た球を打つ、これこそマインドフルネスだ」と仰っていて爆笑した。私は目の前にやってくる介護や仕事という球をバットでガンガンかっ飛ばして集中しまくっていたのだなあ笑。
自分が子どもの頃から好きだったことがやっぱり大好きだと再確認したのも2023の大変さのおかげだった。音楽、動物を育てること、読書、文章を書くこと、というのが小さい頃から大好きだった。特に2023はアカウントをとったまま幽霊状態だったnoteを本格始動させて1600〜2000字くらいの文章をどんどん投下していった。「つぶやき」のような短いものではなくあるまとまった長さの文章を書くというのは私にとっては深呼吸をしているような感覚になる。思えば小学生の時も夏休みなどのまとまった時間のある時は、毎日ひとつずつ「スイカ」「プール」などのお題で原稿用紙1〜2枚に毎日エッセイ的なものを書いていたのだった。これは担任の先生が私が文章を書くのが好きということに気づいて母にそうするように勧めてくださったらしい。その習慣がなんとなくずっと体の感覚として残っていて、頭の中で思っていることやじっと観察したことを言語化していくことがこんな何十年も経った今でも心地良いのだろう。この心地良さをずっと大切にしたい。
そして2023から2024に変わる少し前に決意した。
物理的にも精神的にも無理なことは少しずつ手放していく。そして自分が好きなこと楽しいことは絶対に手放さない。自分の身の丈にあったことと、少し背伸びをしてでもチャレンジしたいこと、それらをうまく選んでバランスよく織り混ぜて前を向いて歩いていきたい。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
#note書き初め #エッセイ #今年の抱負 #ジェーンスー #となりの雑談 #マインドフルネス