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【エッセイ】あしあと

 仕事場の二階から、裏の駐車場を見下ろす。雪が降ったばかりのまっさらな地面を、点々とあしあとがゆく。
 まっすぐにつづく足運びはきつねのものだ。
 となりの牧草地から排水の側溝を跳びこえて駐車場に入り、アスファルトと草地のふちを緩やかに歩く。その後、駐車場のなかで大きく円を描くようにぐるりとまわり、あしあとが乱れた。雪が飛び散っている。なにかが起こったようだ。
 残されたあしあとは一匹分。ほかのきつねと遊んだわけではなさそうだが、血や羽根や毛が落ちているわけでもなく、狩りをした様子でもない。
 あしあとは気まぐれに二度ほど雪の地面を乱したのち、除雪によってできた低い雪山をうろうろと登り、向こうの公園に消えた。

 雪にあしあとを残すのはきつねばかりではない。車の下を通り抜けていくのはどこかのねこのあしあとだし、家のすぐ裏にまで迫るのは鹿のあしあとだ。
 木立でうさぎと思われるあしあとも見かけたことがあるが、断定する自信はない。鳥やねずみも小さなあしあとを残す。歩道をゆく犬のあしあとには、たいてい人のあしあとが寄り添う。
 時おり、地面に血痕や毛が残されていることもある。
 雪は多くのものを覆い隠すが、普段は見ることのできないなにかの息づかいや気配を鮮明に浮かび上がらせもする。

 動物のあしあとは面白がって見るくせに、自分のあしあとが地面に残るのは嫌いだ。自分が何を思い、どのように暮らしているかがあしあとから知れてしまいそうな気がする。
 だから、雪のあとをいちばんに歩かなければならないときは緊張する。なるべく大股でまっすぐに歩くように気を付け、途中で誰かのあしあとに出会えば、知らない誰かのあしあとをたどって歩いたりする。
 他人のあしあとなどだれも気に留めないだろう。自分が気にしているだけなのはわかっている。
 しかしわたしは、日常にあまり痕跡を残すことなく、なるべくひっそりと暮らしていたいのだ。

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朝日 ね子
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