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#11 即興性

今日は11回目の投稿。前回10回目の投稿で、#1から#9までのふりかえりという区切りになるような投稿をしたので、今回から心機一転ヘッダーを変えてみました。(超TMI)

そんな心機一転一回目の今回のテーマは即興性。これは長年わたしの中で課題になり続けているものです。前回の投稿で、わたしの核になっていることが「考えること」なのではないかと結論づけましたが、もちろんどんな長所にも裏返しの短所があるわけで、そんな「考えること」という長所と表裏一体の短所が「即興性のなさ」なわけなのです。

最近は「じっくり考えて綿密な答えを導き出すこと」よりも「即興でその場で考えること」を求められる場所が増えた気がする。その場で臨機応変に、とか柔軟にね、とかそんな声がけをよく聞く。個人的にそういう風潮を特に感じたのがセンター試験から共通テストへの変遷。特に数学とかは、「問題数も増やしたし、短い時間内に色々見極めつつ、臨機応変に答えを導きなさいね」という圧を共通テストから感じた。英語もそう。「文字数めっちゃ増やしたから、その場でよく考えて必要な部分だけちゃちゃっと読んじゃってね」みたいな。その場で素早く必要な答えを導き出せる即興性を持つ生徒しかいらないよ、みたいな謎の圧を勝手に感じていた。(それを即興性と呼ぶのかはわかりませんが、その場で考える力的なやつです。)個人的に、数学とかは特に二次試験のような大きい論題みたいなのを地道にコツコツ考えるような問題が好き・得意なので、共通テストにはすこぶる苦戦した。先生から教えられる数々の計算のショートカットの裏技、ここはもう覚えてしまいなさい、みたいな素早さばかりが追求される世界に少し飽き飽きしていた。

わたしは昔から、そういう「咄嗟に何かをすること」、「その場で臨機応変に対応すること」、「その場で瞬時に考えること」みたいな、即興性に関する全てのことを苦手としてきた。(共通テストもめっちゃ苦手だったよ)一番わかりやすい例で言うと、この今行っているnoteの投稿。わたしはこのnoteの投稿を"書き始める"までにすごく時間を要します。普段歩いている時とか寝る前とか、そういうときにいつも一人で突拍子もなく色々考えが生まれてくるのですが、そういうときにいつも携帯のメモに一旦保存しておきます。そしてその携帯のメモを見ながら、このお題やったらこう書いてこう書いてこう仕上げるかなあ、みたいな事前の想定みたいなものを一旦頭の中でシュミレーションをして、なんとなくいけそうやったら実際noteの投稿として書き始める感じです。そんな感じで、パって閃いてパって書く、というよりかは、ちょこちょこ考えていたものを定期的に振り返り考え続けて、頭の中でちゃんと構想が練れて算段が付いたらようやく着手し始めるタイプの人間です。授業の課題とかでも同じ。エッセイを書く課題の時は、課題のテーマが一生頭の中にあって、いっつも何もしていないときとかに急に現れるアイデアのメモをとり続けてその中で「これだ!」ってものがあって指定字数かけそうなところまで頭の中でもっていってから作業を始める。

そんなこんなで、何かを始める前には必ず「考える」というプロセスがある上で物事に着手し始める。もちろんこれは当たり前のことかもしれないけれど、その「考える」というプロセスに、人より長く時間を要する気がする。だから「とりあえずやってみる」ということが苦手で、今までも自分の想定内に収まることしかしてこなかった。だからこそそれが今の自分の即興性のなさにも繋がっているんだろうな。それが顕著な例が、他人と話すとき。わたしは他人と話すとき、特に約束があってその人と話すことが確定しているとき、いつも相手がどういう話をしてくるか、自分がどういう話をするべきかを少なくとも前日には考えます。あの人はああいうタイプだから、こういう気持ちを根底に持ちながら相槌しよう、とか、あの人はこういうトピックは好きじゃないからこっちのトピックの話をしよう、とか。先生に質問しにいくときもそう。自分の聞きたい質問がどう言えば一番効率よく伝わるか、そしてそう質問したらどのように返されてそこからどのように返すべきか、的なことにいちいち時間を費やしてしまう。それのほとんどは杞憂に終わることが多いのだけれど。

こんなことを続けてきたからこそ、急に発生する会話とかがすごく苦手。例えば初対面の人と話すとき。初対面の人に会うときは、その人のことを何も知らないから、「初対面の人とはこういう話をするのが無難なんかな」みたいなアバウトな考えしかできへんくて深いところまで予測できない。だから変化球みたいな話題が出てきたときにめっちゃ狼狽えてしまう。自分の中で予習がなされてないから、言語化がうまくいかなくてすごくぎこちなくなる。また、授業で発言するときもそう。生徒がばんばん意見を出していく中で、議論のメインのテーマみたいなものがコロコロ変わっていく。自分は長くじっくり考えてから答えを導くタイプやから、一人の生徒が出した疑問にようやく答えが導き出せたと思ったら、もうその話は終わってて次の話題に、なんてことがしばしば。いや、そんなことがほとんど。そんなこんなで、自分の「考える」という長所がよく裏目に出る。だからこそ初対面の人とも臨機応変に話せたり、自分の考えをその場に応じて柔軟に変えられる人すごいなって思う。

たぶん、そういうことができる人は生まれつきなのか、もしくはそういう即興性が求められる場数を踏んでいるのかどっちかなのではないかなと思う。本質が「じっくり考えること」なわたしは、たぶん後者の方に力を入れて取り組むべきなんだろうな。いつも何かに挑戦する前に考えちゃうから、「これはなんか結果を考えるとこれからやる努力の割に合わなそう」って自分で結論づけてやめることもしばしばあった。なんでも効率のいいことが好きで、色々損得勘定で動いてしまうから回り道とかになることを避けてきた。でもたぶん自分が「損」と決めつけてしてこなかったものの中に、即興性が求められる機会っていうものが多く秘められてきたんだろうなって今になってすごく思う。

回り道で思い出したけど、わたしが一時期ハマっていたプリキュアにこんな名言がある。

寄り道、脇道、回り道、しかしそれらも全て道
…わたしが歩くわたしの道、わたしが決めるわたしだけの道

スマイルプリキュア

この動画公式じゃないからダメかもしれへんけど、すごい胸にぐさっとくるシーンなのでぜひ見てみてください。回り道って言うけど、それも結局自分を成長させてくれる道の一つに変わりはなくて、自分がその道を選んだことに意味があるのよね。「回り道」っていうのがネガティブなコノテーションを含みがちだけれど、たぶんそこにポジティブな面も見出せるのだろうなあと、プリキュアから学びました。

そんなこんなで。自分の「考える」という長所を生かしつつ、殺さない程度に自分の「即興性」という面も育てたいなという気持ちが生まれたというお話でした。無理せず、寄り道、脇道、回り道をしながら気長に成長していきたいものです。