11/7(金)
朝10時起床。アトモキセチンが効いてきたのか左脳がジンジンしているので短めないし長めになる。
朝起床してしばらくYoutubeを見てしまった。最近レペゼンなんちゃらや朝倉なんちゃらさんの切り抜きがよく回ってくる。いわゆる「ガラが悪い」とされる人が視聴者のコメント等にバッサバッサと答えていく痛快なショート動画だ。
最近こういうのよく流れてくるけど良し悪しを測りかねている。「賢人は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」みたいな言葉があるが、元ヤンみたいな人がバッサバッサと切っていくのは経験の量があるからで、先の言葉に従えば「愚者」なんだろうなと思う。個人の経験からのみ答えているので、答えも普遍的なものではなく超俗人的なものになっていると感じる。仮にキッズたちがこれを見て信じ込んでしまうことを考えると普遍的な答えを出すショート動画が出回った方がいいんだろうが、賢人よりも愚者の方が魅力的に映ることは間違いないし、だからこそ彼らは人気なんだろうなと思う。かくいう自分も流れてきた動画に低評価を押さず最後まで見るぐらいには支持しているので。
そんなことを考えていたら普通に友達とのランチに遅れた。ごめん。
去年まで住んでいた土地に1年ぶりにも戻って、近所に住んでいた友達とご飯を食べた。住んでいた当時よく通っていた生パスタが美味しいお店。
会社員になったからか、かつての自分ならあんまり言いたくなかったような言葉をすらすらと喋ってしまった。自己嫌悪。仕事の話なんかしたくないし、したとしても人それぞれなんだから口を出すべきではないのに。
そう思ったので後半では無駄に「銀だこには築地本店でのみ出されるサッカーボールサイズのたこ焼き器がある」みたいな嘘をついて困らせてしまった。申し訳ない。
ただ割とマブな友達なので久しぶりに会えて嬉しかった。休職した甲斐があったってもの。
その後喫茶店でカタカタした後、尊敬している人たちが集まって喋るという情報をTwitterでキャッチしたので急遽渋谷へ向かった。
めちゃくちゃ面白かった。「ブリティッシュ・ベイクオフ」の話、聞けば聞くほど自分の好きなやつだと思ったのでこの日記書き終わったら早速みる。
以下、共感ポイント
・「飲み会の一次会後の二次会にいく途中なぜかだらだら向かっている空気が苦手。マンホールに落ちればいいのに」←本当に心の底からわかる。禿同です
・「葬式に悲しみのピークを持っていくの、構造がショートコントと同じ」←確かに
・「人間はソフトウェアよりハードウェアの方が早く進化していく。その進化を実現し革めていくことがモード」←なるほど
・絵恋ちゃんの「気を使いすぎて結果的に周りに迷惑をかける」というの、柴田聡子の「雑感」だと思った。「考え抜いた末にしたことで恨まれて愛される」なんだよな。
ここからは趣味語りになるが水野しずにずっと尊敬を持っている。
餅撒きに関するトーク中に「人間は自分で価値を決めるのは大変すぎてやっていない」という話をしていたが、まさにそこが自分が水野しずを尊敬している点だった。水野さんはその大変すぎることを真摯にやっている。そしてそれをポップに表出しているのがすごすぎる。
身の回りのことだったり、インスタで寄せられた相談に対して全て自身でジャッジしているのだ。その人間性はどこから出ているんだと本当に不思議に思っている。インスタの相談箱とか本当に死ぬほど親切丁寧。
だから自分も水野しずに憧れて水野しずになりたいと思っているが、それは水野しずを目指すことでは実現できず、あくまで自身の輪郭をくっきりさせていくことでしか実現できないと思った。オリジナリティというと陳腐になるけど、何をどう判断するかの価値観は常に立ち止まって見直していきたい。
「何が嫌いかじゃなくて何が好きがで自分を語れよ!」みたいなやつか?でも「嫌い」も「好き」も価値を判断しているという点でベクトルは違えど絶対値は同じなので的外れかもしれない。
とにかく心の底から尊敬しているので、チェキを撮っている時も心の底から緊張していた。憧れが目の前にいて、おまけにめちゃくちゃかっこいい服を着ているもんだからクリロナに拙いスペイン語で一生懸命喋る人みたいになっていた。あの水野しずと世間話みたいなことをしているのが信じられなくて、前述の通り薬が左脳を刺激していたのでずっと鳥肌が立っていた。
やっぱり「推し」とかではなく「尊敬」なんだよな。「推し」という言葉にある消費者性が最近気に食わない。「尊敬」という言葉が一番しっくりくる。
そんなことを考えながら道玄坂を下っていたら教会バーの前で「俺のち○ち○を浄化してくれ!」と叫んでいるおっさんがいた。人には人の現実があり、オリジナリティがあることを感じた。目指すべき方向性として、ベクトルは違えど絶対値は同じなのかもしれない。