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生きる事に洗練される

感受性、というのは一部の人を除き、歳とともに摩耗していくと思っている。
誰しも子供の頃は何もかもが新鮮で、色んな事に激しい喜怒哀楽を感じる。思春期は多感な時期と呼ばれ、その名の通り、第二次性徴期の変化や大人になる過程を通して新たに知った色んな感情に巻き込まれていく。
しかし、その時期を過ぎるとどんどん世界への新鮮さも薄れ、得た経験や知識を通じて対処していく。心が大きく揺り動かされる事も少なくなる。
私の観測範囲だと、その事に対して否定的だったり、抗おうとしている人が多い気がする。かくいう私も、そのせいで歳を重ねる事に虚無感を持っていた。
しかし、最近は違う考え方をするようになった。
これは感受性が磨耗していくのではなく、より洗練されていくのではないかと。
味覚の話になるが、子供舌、という表現がなされる。一般的には、味付けの濃いものや脂っこいものを特に好む大人に対して使われる言葉だ。
大人になると、薄味のものを好むようになっていく傾向があるようだ。それは体質の変化によって油分の多いものを受け付けなくなってくるからとか、そういった理由があるのだろう。
しかしそれは見方を変えれば、より微細な味の変化に気が付くようになるという事ではないか。
よく、大人にならなきゃわからない美味しさ、なんていう表現が使われるが、確かに一般的に薄味と言われる食材や料理の良さって、歳を取るごとに理解できていく気がする。
感受性もそれと同じで、磨耗して心が動かされなくなったのではなく、より小さな心情の変化を味わえる方向にシフトしていくのではないか。
若い時はジェットコースターのような振り幅の大きい感情変化を乗りこなせるけど、歳を重ねると、もっと日常的な些細な部分に楽しみを見出すようになっていけるんじゃないだろうか。
歳を取ると常に体調が悪い、なんて言うけれど、その分、若い頃には分からなかった健康の大切さが分かる。そうしたら、ただ痛みなく歩けるだけでも幸せだろう。
だから、抗うよりもそういう風に価値観をシフトしていった方が大人にとってはいい、とも思った。それが老成していく、というものなのかもしれない。
それは老化によって、肉体的・精神的にキャパシティが小さくなって、激しく心を揺さぶられるのが疲れやすくなったからなのかもしれないが、結果的に、若い時に理解できなかった穏やかな幸福を探し当てる事に繋がる。
今までの経験を元に、より微細な変化に気付くようになっていく。それが、洗練されていくという事ではなかろうか。職人もこうして技を磨いていくイメージだ。
人は、自分の人生に真摯に取り組めば取り組むほど、自分にしか分からない楽しみを見つける職人になっていき、日々のドラマに物語を見出す達人になっていくのかもしれない。私も、そうありたい。

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