記憶せよわが名前、とキングは言った ~あるいはウマ娘に託される物語について
※わりと前回の記事の続き的な文章です。下記からどうぞ。
どうも、アイネスフウジン待ちしてたらスマートファルコン実装で無事に貯めたジュエルが消えた逃げウマ娘好きトレーナーです。ファル子は引けました(完全勝利)。ハルウララが☆3になりました。サポートカードは増えません。ウ~ララ~一迅の~風にな~る~♪
前回の記事は非常にたくさんの反応をいただけて驚きました。ありがとうございます。読まれてくれればいいなとは思ってましたがTwitterで6000RT・1万いいねとはびっくら仰天。ウマ娘パワーをひしひしと感じました。
さて、前回の記事については、いただいた反応から、
「『当時の競馬ファンが今にして思えば見たかった夢』としての、現代の整備されたスプリント路線をで無双するバクシンオーの実現の話でもあるよね」(これは前回の記事に入れておいても良かった話ですね)
「ノースフライトが実装されてればもっとわかりやすく『マイルでノースフライトに勝つ』という話になったのでは?」(なるほど)
「未来の長距離の夢は孫のキタサンブラックに繋がるんだよね」(エモい)
「バクシンオー、終盤の反応からして本当は丸め込まれてることに気づいた上で、それでも自分の長距離への夢を否定しなかったトレーナーを信じてついてきてるんじゃないの?」(ワイトもそうかもしれないと思います)
等々、補足的に追記したいことは色々あるのですが、煩雑になるし焦点もあやふやになるので詳述はしません。前回の自分の記事は「サクラバクシンオーの史実を踏まえた上での、『ウマ娘』という作品が目指す育成シナリオの構造」の自分なりの読解でありますので、それはそれとしてシナリオの解釈は各自で広げていっていただければ幸いかと存じます。バクシン委員長はアホの子ですが、ただのアホの子ではないのだ。
さて、前回の話を踏まえた上で、今回はリクエストもあったので、もうひとりの〝王〟――キングヘイローお嬢様の話をしたいと思います。
あの高難易度を乗り越えてキングでURA優勝を成し遂げた皆様ならご承知の通り、キングのシナリオは本ゲームの育成シナリオの中でも間違いなくベストを争う完成度を誇ります。今まで高飛車お嬢様キャラを好きになったためしがなかった自分ですら、キングのシナリオを終えて、シニア級有馬記念の勝利イベントも見たときには、「こんなんキングを好きにならざるを得ないやん……これが一流……」と震えていました。一流のキングに相応しい一流のシナリオです。初見で通しで読むのが難しいのがもったいないレベル。
というわけで今回の記事は、前回のようにシナリオ内の疑問に筆者なりの答えをひねり出すような内容ではありません。
サクラバクシンオーとキングヘイロー。同じ〝王〟の名前をもち、しかしあらゆる意味で対照的なこのふたりを見比べつつ、『ウマ娘』という作品が、モデル馬の史実――実際の競馬のドラマをどのようにウマ娘の物語へと昇華しているのかを見ていきたいと思います。
※前回に続き、ウマ娘新参の競馬にわかがネット上の知識を元に書いた文章です。単純な間違い・勘違いや、リアル競馬ファンの方から見て変なことを書いていたらこっそり教えてください。
とりあえずこの記事を書くにあたってシナリオを読み返しがてら、「世代のキング」をゲットしてきました。皐月賞2着、ダービー5着、菊花賞10着でも獲れるもんですね……。そこは三冠獲らせてあげろよ。いや想定されてるシナリオ通りに進んだということで……。
前提として、モデル馬であるキングヘイローの史実のおさらい。これに関しては競馬にわかの自分がまとめるより、ニコニコ大百科のキングヘイローの記事でも見ていただいた方がいいかと思いますが……。以下はほぼニコ百の要約なので、詳しい方は読み飛ばしてください。
父は欧州最強馬ダンシングブレーヴ、母はアメリカのGI7勝馬グッバイヘイローという世界的超良血馬として生まれたキング。鞍上を任されたのは、落馬事故で騎手生命を絶たれた悲運の天才騎手・福永洋一の息子で、当時はまだデビュー2年目、注目の新人ジョッキーだった福永祐一騎手でした。
超のつく良血統馬と天才騎手の息子というエリート同士の組み合わせから大いに期待され、デビュー当初は順調に3連勝したキングでしたが、同世代のクラシック戦線の主役になったのは、超マイナー血統のセイウンスカイと、生まれてすぐ母を亡くして養母に育てられたスペシャルウィークでした。キングは皐月賞でスペシャルウィークには先着したもののセイウンスカイに敗れ2着。日本ダービーでは福永騎手がプレッシャーから痛恨の騎乗ミスを犯してしまい惨敗。菊花賞では世界レコードを叩き出したセイウンスカイの遥か後方で5着。当初はスペ・ウンスと「3強」と呼ばれていた地位からはいつしか転げ落ち、この時代をスペ視点で描いた『ウマ娘』のアニメ1期でいつの間にかフェードアウトしていたのと同様、影の薄い存在になってしまいました。
陣営は「これだけの良血馬、なんとしてもG1を獲らせて種牡馬にしてやりたい」という思いから、有馬記念を負けた後の99年からは軸を短距離~マイル路線に切り替えつつ安田記念、宝塚記念、天皇賞(秋)、マイルチャンピオンシップ、スプリンターズステークスとキングをG1に挑戦させ続けますが、一向に勝てません。ついにはダートのフェブラリーステークスにも挑ませますが惨敗(ホーム画面で「ダートだけは慣れない」って言うのはこのせいですね)。G1に挑み続けること実に10回、それでも届かないG1の戴き。鞍上もメインは柴田善臣騎手に変わり、スペシャルウィークやエルコンドルパサー、グラスワンダーの華々しい活躍の影で、かつてのエリートは泥まみれで足掻いていました。
そして迎えた2000年の高松宮記念(1200m)。大外からの凄まじい末脚で先頭集団をゴール手前でまとめてごぼう抜き(キングの固有スキルはこの末脚の再現ですね)、実に11度目の挑戦で悲願のG1制覇。挫折したエリートが、へこたれずに走り続け、ついに悲願の栄光を手に入れてその血統を証明した――この物語は、後に2012年のJRA公式による高松宮記念のCMに採用されることになりました。
その後もG1に挑み続けますが健闘止まりで、同年の有馬記念(4着)を最後に引退、無事に種牡馬となりました。同世代のライバルたちに比べて実績で劣ったために種付料は格安になってしまったものの、そのぶん元々の良血統と、一度も故障せず走り続けた頑丈さが評価されて繁殖牝馬に恵まれ、同じくウマ娘化されたカワカミプリンセス(だからキングのシナリオに後輩としてちょくちょく登場するわけですね)などの活躍馬を出しました。
2018年、かつての相棒・福永騎手が悲願のダービー初制覇(ワグネリアン)。その翌年の2019年、老衰のため24歳で、先に逝ったエルコンドルパサー、セイウンスカイ、スペシャルウィークの待つ天国のターフへ駆けていきました。
――以上、史実のおさらいここまで。前回の記事もそうですが、アニメ1期を見るまで名前を知っていた競走馬といえばオグリキャップとナリタブライアンとサイレンススズカとハルウララとディープインパクトとウオッカぐらいだったウマ娘新参でもこのぐらいの説明は受け売りと知ったかぶりでできるようになるわけで、ネット上の競馬民の皆様の文才に敬意を表します。
さて、『ウマ娘』のキングヘイローのキャラ付けは、サクラバクシンオーと同様に上述のJRAのCMが元になっていることは明らかです。どれだけ笑われても、否定されても、決して諦めない不屈のお嬢様。誰が言ったか「高嶺の雑草」「泥まみれの勝負服が最も似合うウマ娘」、その不屈の気高い精神こそがキングの魅力に他なりません。
ところが――競馬記事の充実に定評のある、前述のニコニコ大百科のキングヘイローの記事には、こんなことが書いてあります。
実は集中力が無い馬で、1回だけ乗った岡部騎手が「ちゃんと調教してるのか?」みたいなことを言ったそうである。夏は暑いから嫌い、雨も砂被りも嫌い、もまれる競馬も嫌い。気分良く走れば素晴らしい末脚を発揮するのだが、ちょっとでも嫌な事があるとレースを投げてしまう。「良血お坊ちゃま」というイメージそのままの我侭馬だったのである。走るフォームも首が高く、いかにも未完成。才能を発揮し切れなかった「勿体ない」馬だったと言えよう。
(キングヘイローとは - ニコニコ大百科より)
『ウマ娘』のキングの不屈ぶりとは、おおよそ正反対の気性です。あれ、キングは泥まみれの勝負服が似合うド根性お嬢様だったはずでは……?
もちろん筆者はこの一点を指して、だから『ウマ娘』のキングの性格付けは間違っている、と言いたいわけではありません。
そもそも馬は自分自身について語る言葉を持ちませんし、自分を語れる人間にしても性格なんてものは見る角度によって変わるものです。ゴールドシップやエアシャカールのように、モデル馬の気性が明らかにウマ娘に反映されている例はあるとはいえ、それはその気性が逸話となるほどに個性の強い馬ぐらいでしょう。
実際のところ、その名を冠したウマ娘の性格に反映されるのは、一部を除いてはその馬自身の性格よりも、「その馬に人々が託したイメージ」なのでしょう。実際はあまりに臆病だったため逃げ馬になるしかなかったというツインターボ師匠は、ウマ娘ではその愚直な破滅逃げというスタイルから強気で直情径行なお子様になりました(かわいい)。弥生賞でゲートをくぐってしまうなど覚醒前はやらかし馬だったサイレンススズカは、「最速の機能美」というJRAのキャッチコピーから空気抵抗の小さい体型に……もとい、その独走ぶりと天皇賞(秋)の悲劇のイメージから、ただただ先頭を走ることが好きな物静かで儚げな美少女になりました(スペスズいいよね……いい……)。
そしてキングヘイローは、何度敗れても首を下げない不屈の王というイメージとして(モデル馬の走るフォームが、普通はもっと首を下げて走るものなのに明らかに首が高かかったことが元ですが、ものは言いようとはまさにこのこと)。
そうしたイメージとは即ち、競馬を見る者がその馬の競走生活、競走馬としての生き様に見出した物語に他なりません。馬の考えていることは結局人間にはわかりませんが、実際の馬はただ騎手を乗せて一所懸命走っているだけだとしても、それを見る者はそこに、その背中に乗っている騎手、その馬が継いだ血の歴史、その馬に関わる人々、ライバルとなる馬たち、それらのドラマを重ね合わせて見ます。それこそがスポーツとしての競馬の醍醐味であるのでしょう。
祝福の名を持ちながら、大記録を2度に渡って阻んだことでヒールと呼ばれ、長いスランプを乗り越えてヒーローとなった直後、淀の坂に散ったライスシャワー。ただ勝てなかったことで「負け組の星」というイメージを負い、愛される一方で、勝つために走る競走馬でありながら負けることを祝われたハルウララ。あるいはウマ娘化はされていませんが、ライスシャワーがミホノブルボンを破った菊花賞で逃げをうち、ミホノブルボンの三冠を妨害したと言われたキョウエイボーガン(ニコ百の記事は必見)。そういった、人間の勝手なイメージに振り回された馬もまた、その善し悪しは別として、それ自体が競馬という、生き物を走らせて競わせる特殊なスポーツだからこそ生まれるドラマであるのでしょう。
前置きがあまりにも長くなりすぎました。この記事は『ウマ娘』のキングヘイローについて語る記事です。話を元に戻しましょう。
以下はキングのウマ娘ストーリーおよび育成シナリオのネタバレ全開ですので、キングのグッドエンド未見の方は先にキングとうまぴょいしてきてください。
キングヘイローの育成シナリオは、一言で言えば「『偉大な母の娘』が、『自分自身の名前』を勝ち取るまで」の物語です。
偉大な親を持ち、「○○の子供」としてしか呼ばれなかった子が、親を乗り越え、その親を「××の親」と呼ばせるに至る物語。このタイプの物語といえば、個人的にはやはり『ドラゴンクエストⅢ そして伝説へ…』が思い出されます。あれは「勇者オルテガの息子」が、父の為しえなかったことを為し遂げ、「勇者ロト」という自分だけの名前を勝ち取る物語でした。
子供が親の庇護を離れ自立し、自我を確立するに至る、王道の成長物語(ビルドゥングスロマン)。キングのこの物語は、もちろんモデル馬の良血あってのものですが、それ以上に鞍上の福永祐一騎手の物語が強く反映されているようです。
前述の通り、福永騎手の父・福永洋一騎手は「天才」と呼ばれながら、落馬事故で重傷を負い、騎手生命を絶たれています。福永騎手が父と同じ騎手になると決めたとき、当然ながら母親は反対したそうです。息子まで父と同じ目に遭わせたくない、そう思うのは当たり前のことでしょう。
しかし福永騎手は父と同じ道を歩み、「福永洋一の息子」という名を背負い、父と比較され批判されながらも戦い続け、2020年にはコントレイルで父も為しえなかった三冠ジョッキー(しかも無敗)となりました。先日もワールドプレミアで天皇賞(春)を親子制覇しています(筆者はスペちゃんの血を引くアリストテレスを買って負けました。ちくせう)。
キングがシナリオ内で「偉大な母の娘」として扱われることに不満を持ち続け、母がキングのことをレースの世界から引き戻そうとし続けるのは、この福永騎手のエピソードが元であることは間違いないでしょう。ちなみにキングの母の真意は、シニア級有馬記念に勝利したときの特別イベントで垣間見えます。見てない人はキングに有馬記念を勝たせてあげましょう。
ともあれ、モデル馬だけでなく、鞍上の騎手の物語も背負ったキングは、「馬に託された人々のイメージ」の体現としてのウマ娘という存在の、ひとつの象徴と言えるかもしれません。
しかし、ウマ娘としてのキングにとっては、そうした「背負わされた」ものこそが苦難でした。偉大な母の名前でしか見られないことへの苛立ちと反発、そして劣等感。キングの高飛車で目立ちたがりの振る舞い、取り巻きにキングコールをさせ、自らを「一流」と言い張ることは、全てそれに対する強がりであることは言うまでもありません。そして、聡いキングには自分が強がりを言っているという自覚があります。自分が笑われているという自覚さえあります。最初から、現実を誰よりも理解しているのがキングです。
ウマ娘として走る限り、母の名前がついて回る。母と比較され、「母の娘」という呼び名を背負わされる。そして、周りが自分を、親の才能には決して及ばない、身の程知らずの道化だと呆れていることを理解している。それでも、それを認めるわけにはいかない。膝を屈してしまうわけにはいかない。自分の足で立てる大人になるために、キングは「一流」という言葉で必死に自分を奮い立たせています。セイウンスカイはその姿を見て「がんじがらめ」と評します。
こんな環境で育てば、普通はもっとひねくれそうなものです。
しかしキングは、信じられないほどに心優しく面倒見のいい少女でもあります。ルームメイトである、あの自由奔放なハルウララの面倒を見て、トレーニングに付き合い、ウララがレースで走れば全力で応援してくれるのがキングです。ウララのボケにちゃんとノリツッコミを返してくれるのがキングです。
ここすき。さすがキング、芸人としても一流。
そして何より、(おそらく史実通り負ける方が正規ルートですが)日本ダービーに勝利したとき、泣いているスペシャルウィークを気遣って取材を切り上げてしまうほどに、キングは優しすぎるのです。ウマ娘という勝負の世界で生きるには、勝者が必ず敗者を生み、誰かの夢を壊してしまう世界で頂点に立つには、キングはあまりにも優しすぎ、良い子すぎたのかもしれません。母親も、娘のそんなところを知っていたからこそ、キングをレースの世界に送り出したくなかったのかもしれません。
シナリオの端々の描写から解る通り、キングの母親はおそろしく不器用な人です。本人なりの優しさと愛情を発露しようとすると抑圧になってしまうタイプの親です。しかし、キングもそれは理解していて、だからこそギリギリのところでひねくれずに済んだのでしょうか。
さて、菊花賞での敗北(勝った場合はそれでも認めてくれない母との電話)を経て、トレーナーとキングは大きく方針転換します。「母親に自分を認めさせる」ことを止め、「自分だけの道を行こう」と。
ところで前回の記事について、一部からそれとなくお叱りをいただきました。その意は「敗北を機に自身の強みが活かせる路線に向かうことを『妥協』と呼ぶのはどうなのか」ということだったかと思います。現実の競馬に関していえば、それは全く仰る通りで、勝利を求められる動物である競走馬に対して、適性を見極めて勝てる距離で走らせてあげることは当たり前であり、それを「妥協」と呼ぶのは全くもって外野の勝手な言い草に過ぎないでしょう。もちろん馬でなくとも、万能の超一流には及ばずとも一芸に秀でた者が、その一芸を活かせる道を選んで成功することは、万能の超一流とはまた別に、強く敬意を払うべきプロフェッショナル精神であり、それを外野が「妥協」と呼ぶのは相応しからざることに違いありません。
しかし、それはそれとして、『ウマ娘』のサクラバクシンオーが、短距離に絞ることを断固拒否するキャラとして造形されていることについて、「適性を見極めること」と「諦め」との切っても切り離せない関係を無視することはできません。
馬と違ってウマ娘は自分の希望を語ることができます。どんなレースを走りたいか、何を目指したいか、トレーナーと直接話し合うことができます。その上で、本人の希望と適性が合わないときはどうすればいいのか? 自分の希望とは異なる適性に向かうことを、本人が「諦め」「妥協」と思わずに打ちこむにはどうすればいいのか? スポーツの世界、あるいは本人の資質が絶対的に運命を左右するあらゆる分野において、永遠にまとわりつくこの問題は、当然ながら『ウマ娘』の世界でも避けては通れません。
サクラバクシンオーと、キングヘイロー。
片や史実では輝かしき短距離の絶対王者。ウマ娘としては半ば無根拠に絶対的な自信を持ち、絶対的な短距離適性を持ちながら適性の合わない距離を走りたがるアホの子。
片や史実では挫折と苦闘の末に栄光を手にした泥臭いエリート。ウマ娘としては自信家を装いながら、その裏に隠した劣等感を拭い去るために、適性の合わない距離に挑まざるを得なかった負けず嫌いのお嬢様。
対照的な2人の〝王〟のシナリオが、どちらも「本人の希望と適性が合わない」問題を扱っているのが『ウマ娘』の非常に面白い点だと思います。そしてどちらも、形は違えど「本人の夢と自尊心を尊重した上で、適性のある場所に導いてあげること」にものすごく気を遣って描かれています。
自分の適性に薄々気付いていながらも、クラシック三冠という大舞台で結果を出して母親に自分を認めさせるため、それを認めるわけにはいかなかったキング。しかし菊花賞の敗北で、いよいよ現実と正面から向き合うしかなくなってしまいます。自分は「一流」でもなんでもない、へっぽこなウマ娘だと。それは必死に踏ん張っていたキングの自尊心が、完全に折れかけた瞬間でした。
そのとき、トレーナーがかけた言葉は、「母親を振り向かせるのはもうやめよう」であり、「君だけの道を行くんだ」でした。
クラシック三冠という、キングをこれまで奮い立たせてきた夢と目標が挫けたとき、トレーナーがしたことは、「君のそれは『目的』じゃなく『手段』だった、そして『手段』なら他にもある」ということを指し示してあげることでした。
キングが母に自分を認めさせたかったのは、他の何者でもない、ただの「キングヘイロー」になるため。母親からの承認はそのための手段のひとつであって、目的そのものではない。ひとつの道が破れても、別の道がある。もっと彼女に合った、彼女らしい道が。
キング自身は「諦めろ」「高望みをするな」「合わない距離を走るのをやめろ」といった否定の言葉を想像していたはずです。けれどトレーナーは、キングの夢と自尊心を否定せず、今までの努力を最大限に尊重した上で、別の道を指し示す言葉を選びました。自分の適性がそれまでの理想と合わない事実を受け入れ、その上でキングが前を向けるように。
それは「諦め」でも「妥協」でもない、キングが〝王〟として輝ける新たな道です。
「それは言い方を変えただけで結果的には同じことでは?」と問われれば、「相手が納得できる『言い方』と『見せ方』こそが大切なのだ」というのが、バクシンオーとキング、双方のシナリオにおいて大事にされている部分でしょう。キングの母親が娘を説得できないのは、結局そこができていないからです。娘の人生を肯定的に導く物語を作れなかったからです。
物語とは畢竟、いかに受け手を納得させる『言い方』と『見せ方』が出来るかがその面白さを決めるのですから。そして、人が目指す「目標」とは即ち、それを自分が達成するに至る物語を想像するところから始まるのですから。キングの母は、キングに「別の幸せがある」と言っても、キングが納得できるだけの具体的な何かを提示できなかったのでしょう。
トレーナーがバクシンオーを丸め込んで短距離をバクシンさせるのも、トレーナーがキングに「自分だけの一流を目指そう」と指し示すのも、つまりは示された当人の夢と自尊心を壊さず、否定せず、その上で自分に合った道を納得した上で走らせてあげるという気遣いです。そのために適切な言葉を選ぶということがどれだけ大切かを、この2人のシナリオは描いています。
そう、そもそもが2人とも、スカウトを受けるかどうかの決め手にしていたのは、そのスカウトが自分の夢に対してどんな言葉を向けてくれるか、その一点でした。それはつまり、2人ともトレーナーに求めていたのは、「自分が納得できる言葉」であり、つまりは「進むべき物語」だったのです。
そして、トレーナーはその期待に応えて、2人に「納得できる言葉」と「進むべき物語」を提示します。だからこそ、どちらの進む道も決して「諦め」の結果でも、「妥協」の産物でもなく、紛れもなく「王の道」の物語として描けているのです。
……バクシンオーに対する「納得できる言葉」が「1200m×3=3600m」でいいのか、というのはまあ、さておくとして。でもそんな委員長が好き。
世界一かっこいいキング。これが王者の精神だ。惚れてまうやん。
さて、前回の記事で、『ウマ娘』という作品が私たちに主に提供しようとしているのは、「モチーフ馬が叶えられなかった夢」の物語である、という話をしました。
ただし、アニメ2期がそうであるように、それだけが『ウマ娘』という作品の目指すところではありません。トウカイテイオーのように、史実の時点であまりにもドラマチックな物語が完成している馬に関しては、物語としてそれ以上のifを付け加えることを野暮として、史実を忠実になぞりつつも、そのパーツの組み合わせで新しいドラマを作り出す技術を併せ持っています(アニメ2期10話のツインターボ師匠のオールカマーの使い方よ!)。
キングヘイローも、「史実の時点でドラマが完成している」馬に入るでしょう。単純に「叶えられなかった夢」という観点で見れば、キングにとってのそれは「クラシック三冠を制し、黄金世代の脇役ではなく頂点に立つこと」になるでしょう。しかしそれは自動的に、挫折と苦闘を経て泥臭く掴み取った高松宮記念の栄光という史実のドラマを否定することになってしまいます。
キングの育成シナリオの非常に上手いところは、ここのバランスの取り方です。育成次第でゲーム内でキングに三冠を獲らせてあげることも可能にしつつも、物語としてはそれを目標とせずに、あくまで「高松宮記念の勝利で『キングヘイロー』としての在り方を獲得する」という史実を尊重したシナリオ。それでいて、高松宮記念がゲーム内スケジュールでは中盤の終わりにあることを利用して、その先の目標に史実で勝てなかった安田記念、スプリンターズステークスを配して「史実で1勝に終わったG1をもっと勝てるキング」という夢を叶える流れ。
そして何より、「黄金世代に生まれた」キングヘイローというウマ娘の物語として、完璧な決着を見せてくれる天皇賞(秋)勝利後の、この会話。
史実では、キングが高松宮記念を勝ったときには、既にスペシャルウィークとエルコンドルパサーは引退し、セイウンスカイは屈腱炎で長期療養中(1年以上かかって復帰はしたものの復帰レースで大敗し引退)、グラスワンダーも激太りして見る影もなく衰えていました。キングが栄光を手にしたとき、同世代のスターたちは皆、既に一線から去っていました。かつて覇を競った同世代から取り残され、ひとりぼっちで手にした栄光だったのです。
ですが、ゲームのキングは、ゲーム内時間が3年間であることを活かして、まだスペシャルウィークもセイウンスカイも、エルコンドルパサーもグラスワンダーも現役で輝いているうちに高松宮記念を勝利して、『一流のキングヘイロー』の名前を手にすることができました。そして、『一流のキングヘイロー』として、同世代のライバルと決戦することができました。
「G1で負け続けた」と言われるキングですが、皐月賞やマイルCSで2着、スプリンターズステークスで3着、適性外として扱われる菊花賞でも5着と、充分に健闘はしていました。しかしウマ娘化された面々だけでなく、他にも同世代にマイルでは安田記念とマイルCSを制したエアジハード、短距離では海外G1で2勝したアグネスワールドなどの強力なライバルがいたキング。キング自身、苦闘の時期にも東京新聞杯や中山記念では勝っていたわけで、この黄金世代に生まれたのでなければ、クラシックの冠は獲れたかもしれません。そうでなくとも、あれほどG1のタイトルを獲るのに苦闘することもなかったかもしれません。
黄金世代に生まれたことは、キングにとって不幸だったのでしょうか? それとも、だからこそ「泥臭く栄光を掴み取った馬」という物語を獲得し、記憶に残る馬になれた幸運だった、とみるべきなのでしょうか?
馬自身の気持ちはわかりませんし、当時の陣営はもっとキングに勝たせてあげたかったのが本音ではあるでしょう。ただ――。
キングヘイローはそもそも、初期のメンバーには入っていませんでした。スペシャルウィークを主人公とするアニメ1期を制作するにあたって、TOHO animationの伊藤隼之介プロデューサーのたっての希望でウマ娘化が実現したのだそうです。
伊藤 Cygamesさんがスペシャルウィーク、サイレンススズカ、トウカイテイオーをメインキャラとされていたのですが、ゲームに登場するキャラクターのリストを見た時に、セイウンスカイ、エルコンドルパサー、グラスワンダーもいる。これならやれると思いました。キングヘイローがいなかったのでどうしようとも思ったのですが、幸い馬主様の許諾がいただけていたのでCygamesさんに頼んで同馬も加えていただきました。
(競走馬の名前を受け継ぐ美少女たち!『ウマ娘 プリティーダービー』 TOHO animation 伊藤プロデューサーに聞く より)
セイウンスカイやグラスワンダー、エルコンドルパサーと比べたら、スペシャルウィークのライバルとしてキングの実績は格落ちと言わざるを得ません。それでもスペシャルウィークを主人公とする『ウマ娘』に、キングヘイローが必要だと判断した伊藤Pの思いは、上記のゲームでの天皇賞(秋)の会話に象徴されているのでしょう。
黄金世代の中では脇役。他の4人とは違うところで泥臭くあがいたキングの物語は、しかしスペシャルウィークたち黄金世代が存在したからこその物語でもある。競馬には、勝者の栄光の裏で足掻く馬たちのドラマがあることを、競馬にわかの自分にも教えてくれるキング。
「黄金世代に、キングヘイローがいて良かった」。『ウマ娘』という作品が、キングヘイローという馬に重ねたドラマは、きっとその一言に集約されるのだと思います。
そして、ゲーム内で敢えて目標外に設定されたシニア級有馬記念の特別イベント。キングヘイローの最大の夢である「黄金世代の頂点」の座を目指させるか否かは、物語の目標ではなく、トレーナーの意志に任されています。
キングの固有二つ名は「世代のキング」。意識的に獲りにいかなければ獲れないこの二つ名は、物語を超えて、『ウマ娘』がキングヘイローという馬に捧げる感謝の印なのでしょう。
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