スプリント王者は学級委員長の夢を見るか ~またはトレーナーは如何にしてバクシンオーを丸め込むようになったか~
※本記事の執筆者はウマ娘から競馬を知った完全にわかで、主にネット上の知識を元に本記事を書いています。その上でお読み下さい。
※5/4:少し加筆修正しました。
皆さんウマ娘育ててますか? 担当ウマ娘は誰ですか? ゴルシちゃんモードの120万マニーは回収しましたか? ゴルシちゃんのファン人数を564万人にしましたか?
私はサイレンススズカ目当てに始めて無事にナイスネイチャの彼氏兼アグネスタキオンのモルモット君になりました。今は日本ダービー合わせでのアイネスフウジンの実装待ちでサポカガチャを引きたいのを我慢してゴルシちゃんがくれるジュエルを溜めているところです。
今回はみんな大好きサクラバクシンオー委員長の話です。もちろん私も例に漏れず最初のうまぴょいはバクシン委員長でした。ハルウララの初うまぴょいもバクシン育成した逃げウララでした。バクシンバクシン! もっと逃げウマ娘でバクシンしたいのでアイネスフウジンやセイウンスカイやツインターボやメジロパーマーやダイタクヘリオスの実装を待っています。
こんな記事読んでる人は当然バクシン委員長でとっくにうまぴょいしていると思いますし、委員長のウマ娘ストーリーもお読みだと思いますので、以下その前提で話を進めます。
さて、みんなお世話になるバクシン委員長の育成シナリオについて、よくこんな声が聞かれます。
「トレーナーが最後までバクシンオーを騙したままなので罪悪感がある」
確かに、バクシンオーシナリオのトレーナーはバクシン委員長をかなり強引に丸め込んで、中長距離を走りたがる彼女を無理矢理にでもスプリント路線に引きずり込んでいきます。他の育成シナリオではハルウララに有馬記念に挑戦させるぐらいにウマ娘の希望を尊重するトレーナーですが、バクシン委員長のシナリオでは頑として聞き入れません。
最終目標でマイルチャンピオンシップにチャレンジさせるとはいえ、どうしてバクシン委員長のシナリオのトレーナーはここまで頑固に委員長に短距離をバクシンさせるのか? そして、なぜ最後までバクシンオーは騙されたままでシナリオが終わるのか?
もちろん、ゲーム的にバクシンオーのステータスはモチーフ馬を尊重した純粋スプリンターですから、これで目標に菊花賞だの天皇賞春だの有馬記念だのがあったら、キングヘイロー以上の無理ゲー難易度になるというメタな話になります。しかし、それは元を質せば、バクシン委員長が長距離を走りたがるキャラであるからです。
モチーフ馬のサクラバクシンオーは、1400m以下の距離では12戦11勝(唯一の敗北で勝ったのがニシノフラワー)という短距離の絶対王者です。この馬を素直に擬人化すれば、素直に自身の史実をなぞるため、適性である短距離の絶対王者を目指すキャラになるはずです(実際、アニメ2期でちらっと登場したバクシン委員長はミホノブルボンに、共にスプリント王を目指そうと誘っていました。こうなるのが普通のはずです)。
それなのに、ゲームのバクシンオーは自身の適性を無視して、中距離長距離を走りたがります。つまり、バクシン育成シナリオの最大の疑問はここにあります。
なぜ、ゲームのサクラバクシンオーはスプリンターではなく「あらゆる距離を走れるウマ娘」を目指すのか?
ゲーム内ではこの問いに対して「学級委員長だから、皆の模範として全ての距離を走れるウマ娘でなければならない」という解答が用意されています。
しかしこれもメタ的に言えば、何らかの意図をもってバクシンオーはこういうキャラクターに設定されているわけです。では、その意図とは何か?
その問いに答えるには、『ウマ娘』が競走馬の擬人化作品として、どういう物語をユーザーに提供しようとしているか、という点から見ていく必要があるでしょう。
今さら言うまでもないことですが、アニメにせよゲームにせよ、『ウマ娘』のシナリオでは史実――すなわち、そのモデルとなった競走馬の辿った競走生活がベースになっています。1991年の日本ダービーから1993年の有馬記念までを、トウカイテイオーとメジロマックイーンの、直接対決が叶わないライバル関係の物語として見事に構成してのけたアニメ2期はその最たるものですが、これは元々のトウカイテイオーの史実があまりにもドラマチックすぎてifを入れる必要が無かったからと見るべきでしょう。
実際のところの『ウマ娘』が主に提供しようとしているのは、アニメ1期のような「モデルとなった馬が叶えられなかった夢」の物語であると思います。エルコンドルパサーが外国産馬の規定に縛られず、スペシャルウィークやセイウンスカイと日本ダービーで戦う物語。そして、1998年の天皇賞(秋)でサイレンススズカの競走生活が終わらなかった物語。――存在しない歴史のifを夢見ることが、歴史創作のひとつの醍醐味であることは言うまでもありません。
それはゲームの育成シナリオにおいても多々見られます。サイレンススズカの天皇賞(秋)、ライスシャワーの宝塚記念。あるいはビワハヤヒデとナリタブライアンの兄弟(ウマ娘的には姉妹)対決。皐月賞の後も走り続けるアグネスタキオン。有馬記念で1着を取るナイスネイチャ――。『ウマ娘』の物語は、そんなモデル馬の叶わなかった夢を叶える物語を私たちに提供してくれます。
さて、話はサクラバクシンオーに戻ります。この伝でいった場合、サクラバクシンオーの「叶わなかった夢」とは何か?
それはもちろん、「マイル以上の距離で勝利すること」です。
サクラバクシンオーの生涯成績は21戦11勝。うち前述したとおり、1400m以下では12戦11勝。1800mの毎日王冠で旧レコードを更新したにもかかわらず2着に終わったりと、惜しいところまでは何度か行っていたのですが、1600mのマイル以上の距離では9戦0勝、結局1勝もできませんでした。
父のサクラユタカオーは天皇賞(秋)優勝馬、母のサクラハゴロモは天皇賞(春)や有馬記念を制したアンバーシャダイの全妹と、血統的には中距離での活躍も期待されていたようです。しかし、皐月賞へのステップレースとして出走した1800mのスプリングステークスで12着と惨敗(なのでゲームでも順位指定なしの「出走」でOK。まあ、ゲームでは1800mはマイル扱いなので普通に勝っちゃいますが……)。これでクラシックを諦めて、サクラバクシンオーはスプリント路線を歩み、当時まだ重賞も少なかったスプリントの絶対王者として君臨していくことになります。
ちなみに、このスプリングステークスの勝者は後の無敗の二冠馬ミホノブルボン。またそのブルボンを菊花賞で破るライスシャワーも出走していました(4着)。ゲームでもこの2人との絡みが結構あり、育成シナリオでもバクシンオーがこの2人に注目しているのはそういうことなわけですね。
『ウマ娘』のバクシンオーがあらゆる距離で模範たらねばならないと誓っているのは、この「血統的に期待されていながら、マイル以上の距離で勝てなかった」史実が、「叶えられなかった夢」として設定されているからに他ならないでしょう。
それもマイルだけでなく中距離や長距離でも勝たねばならないと思っているのは、スプリングステークスでクラシック二冠のミホノブルボンと、生粋のステイヤーであるライスシャワーに敗れたことも踏まえられていると思われます。
そしてもうひとつ、バクシンオーのキャラ付けの元になっていると思われるのが、2012年のJRA公式、スプリンターズステークスのCM。2011年から2013年のJRAのかっこいいCMシリーズはウマ娘内でも多数ネタにされているので皆様ご存じかと思いますが、ご覧になられていない方はまず下の動画をどうぞ。
絶頂を極めた者に、もはや勝つべき戦いは残っていないのか。サクラバクシンオーが現役だった当時、スプリントG1はスプリンターズステークスしかなく(高松宮記念はまだ2000mの高松宮杯。ナイスネイチャやマチカネタンホイザが勝っています)、スプリント重賞自体の数が非常に少なかったそうです。
惜しむらくは当時日本の競馬はスプリント路線が整備されておらず、GⅠはスプリンターズステークスのみ、海外遠征もまだ活発化する前で、香港スプリントも1999年からと悉く短距離路線に恵まれていなかった事で、もし何年か後に産まれていればもっと勲章を手に入れたであろう馬であった。
しかしながらバクシンオーが出てきたことで、スプリント路線の活発化が進み、高松宮記念が1200mに短縮し、アグネスワールドやシーキングザパールといった短距離馬が海外に進出するきっかけを作ったと言えよう。
(サクラバクシンオーとは - ニコニコ大百科より)
ラストランでレコードを叩き出し、もはや勝つべき戦いがなくなったため、全盛期のまま引退したスプリントの絶対王者――というこのJRAのCMの解釈は、『ウマ娘』のバクシンオーの圧倒的な自己評価の高さに反映されているとみるべきでしょう。レースで勝てば「うーん。やっぱり私、優秀ですね!」と自画自賛し、敗れても「他の子も速かった!それは認めましょうとも!」と自分の速さ、強さ、優秀さに対して一切の疑問を持たず、自分を破った相手の強さを認める王者の精神をバクシン委員長は持っています。
この性格、真面目に描けばただの傲慢になるところですが、そこでバクシン委員長を「自己評価が異様に高いアホの子」にしたのが、これから詳しく見ていきますが、『ウマ娘』におけるバクシン委員長のキャラ付けの天才たるところなのです。
さて、バクシン委員長の『ウマ娘』における「叶えられなかった夢」が「マイル以上の距離で勝つこと」であることは既に述べました。
では、史実のサクラバクシンオーの競走成績を尊重した上で、この夢を叶えてあげるシナリオを考えると、どうなるでしょうか?
……はい、はっきり言って、これを成立させるのは至難の業です。
たとえば、ナイスネイチャの場合。史実でなかなか勝てなかった名脇役、ブロンズコレクターと呼ばれた馬が、『ウマ娘』では自己評価の低さを乗り越えて精神的に成長し、史実で叶わなかったG1の頂きを勝ち取る――たいへん明快な「夢を叶えるif」の物語です。
古今東西、物語はまず何らかの欠損があり、それを埋めることを最終目的とすることで成立するものです。夢を叶える。恋が成就する。謎が解ける。史実を踏まえた物語の場合、史実に元から明快に叶えられなかった目標が存在するならば簡単な話です。その目標を叶えればいいのですから。
しかし、サクラバクシンオーの場合、史実で既に「JRA史上最強のスプリンター」という栄光を手にしています。サクラバクシンオーの存在が現在のスプリント路線の整備を促したという、競馬史において極めて重要な功績を残したレジェンドです。その栄光と功績に比べたら、「マイル以上で勝てなかった」なんてことは些末な問題でしかないでしょう。イチローは高校時代投手もしていましたが、イチローが投手として大成しなかったことを「叶わなかった夢」と呼ぶでしょうか?
サクラバクシンオーのシナリオを、史実を踏まえた上で「マイル以上で勝つ」ことを最終目標に設定した物語として作るとどうなるか。目標がそこにある以上、まず間違いなく、「どれだけ短距離で勝ってもマイル以上の大レースで勝てなければ意味がない」という価値観の物語、あるいは「マイル以上で勝てなかったから短距離王を目指す」という諦めと妥協の物語になってしまいます。しかし、偉大なるスプリント王者・サクラバクシンオーのシナリオとしてそれは相応しいでしょうか? そんなはずがありません。
サクラバクシンオーは短距離の絶対王者でありレジェンド。〝驀進王〟の覇道が、踏み台や妥協であっていいはずがありません。史実を踏まえた物語の中でそうすることは、史実のサクラバクシンオーの功績を貶めることになってしまいます。
史実を尊重するなら、素直にバクシンオーを純粋スプリンター志望として、史実通りのスプリンターズステークス連覇を最終目標とするシナリオだってあり得たはずです。というかそれが普通のはずです。最強スプリンターという史実を尊重しつつ、マイル以上で勝つことを目標として設定するなんていうのは、物語の目指すところが完全に食い違っており、普通は不可能なことです。
しかし『ウマ娘』は、バクシン委員長のキャラ付けという単純明快な一発解答で、この不可能を可能にしてみせました。
もちろん『ウマ娘』の育成シナリオはそのモデル馬の史実を踏まえたものですから、サクラバクシンオーの名を冠したウマ娘に、史実で無関係の菊花賞だの有馬記念だのを走らせるのはおかしな話(え、ハルウララ? あれは特殊な例)ですし、ゲーム的にもバクシンオーに中距離以上の適性を持たせるわけにもいきません。
そこでひねり出されたのが、バクシンオーの「自分の適性を無視して長距離を走りたがるアホの子」というキャラ付けなわけです。
物語的に『ウマ娘』のバクシンオーに要求されるのは、「マイル以上で勝つという夢を叶える」ことです。しかし同時に、「史上最強のスプリンターとして君臨する」という史実も尊重しなくてはなりません。この相反する目標を両立させるために提示されたのが、「本人がどう考えても無謀な目標を立てるので、トレーナーがそれを抑えて現実的なところからクリアさせていく」というシナリオだったのです。
ゲームでのバクシン委員長の育成シナリオは、(本人が強すぎてプレイしていると普通に勝っちゃいますが)本来はスプリングステークスで敗北して「今はまだマイル以上の距離は無理があるので、短距離でスピードを極める」路線に向かうというのが正規ルートのはずです。
これを当たり前に生真面目に書くと、「マイルで負けたので、短距離での王者を目指す」という話になり、短距離をマイル以上の距離のための踏み台にするシナリオになってしまいます。ナイスネイチャが若駒ステークスでテイオーに負けたので、皐月賞やダービーを諦めて菊花賞へのステップとして小倉記念に向かうようなものです(史実では怪我のせいですが)。しかし、指示するトレーナーはともかく、短距離の絶対王者であるバクシンオー自身がこの方針に納得してはいけないのです。それでは、史実のサクラバクシンオーの偉業が「妥協」の産物になってしまいます。それでは史実への敬意も、物語としてカタルシスも何もあったものではありません。
しかし我らがバクシン委員長は自分の適性を無視し、中距離長距離も走らねばならない、クラシック三冠を勝たねばならないと言い張る子です。
バクシンオーは、「自分にはマイル以上の適性がない」とは露ほども思っていません。自分はステイヤーになれると固く信じています。「スピードが不足している」と言われれば納得しますが、「適性が足りない」とは思っていません。故にこそ、バクシンオーの短距離路線は本人の「諦め」でも「妥協」でもなく、「トレーナーの指示を信じてついてきた道」になります。
こうして本人の適性を知るトレーナー(=プレイヤー)からすれば無茶無謀、無理難題を敢えてバクシン委員長本人に言わせ、それをトレーナーが言いくるめることで、「本人の夢を一旦脇に置かせてスプリント路線を邁進させる」という泥をトレーナーだけが被る構図になり、バクシン委員長自身は自分を信じたまま、諦めでも妥協でもなしに、ステイヤーを夢見ながら短距離路線をバクシンすることができます。こうすることで、「マイル以上の距離で勝利する」という夢と、「短距離の王者」の誇りの両方を保持したままに「スプリントの絶対王者としてのサクラバクシンオー」を描くことが可能になるのです。
そう、ゲームのバクシン委員長は最後までトレーナーを疑いません(いや、ちょっとは疑いますが、すぐ信じてくれます)。1200m×3=3600mという詭弁すら納得し、皆の模範たる学級委員長としての全距離制覇の道をバクシンしていると信じてトレーナーについてきます。バクシンオーにとって、ゲーム内でトレーナーとバクシンするスプリント路線は決して「自分に適性がないが故の妥協」ではなく、「学級委員長としての覇道の第一歩」と信じ続けます。
なぜトレーナーは最後までバクシンオーを騙し続けるのか。なぜなら、バクシンオーは王であるから、妥協してはいけないのです。「自分には短距離適性しかない」と理解し、諦め、納得してはいけないのです。もしトレーナーが真実を打ち明けてしまったら、その瞬間にバクシンオーは「自分の全距離制覇という夢を受け入れてくれる人はいない」という事実を受け入れざるを得なくなり、その3年間は妥協の物語になってしまいます。
だからトレーナーは最後までバクシンオーを丸め込むし、バクシンオーは最後までそれを信じて、最後に最終目標としてマイルチャンピオンシップという舞台に挑むことになります。トレーナーを信じてついてきたバクシンオーを、最後にトレーナーが信じることで、丸め込まれ、騙されて始まったバクシンオーの短距離路線は、紛れもなくトレーナーとバクシンオー、双方が固く信じる「全距離制覇の夢の第一歩」に変わります。こうなったときにはもう、もはや最初の真実は意味を持ちません。トレーナー自身が既に、バクシンオーの姿に同じ夢を重ねているわけですから。
そうすることで初めて、「短距離の絶対王者である」という史実と、「マイル以上で勝つという夢を叶える」という物語の要請は両立するのです。まさにアクロバット。バクシンオーがこの性格でなければ成立しない、ウルトラCの綱渡りシナリオです。
バクシンオーがなぜ「学級委員長」にあれほどこだわるのかも、「短距離の絶対王者」という史実を仮託したものだと考えれば理解できるでしょう。もちろん『ウマ娘』の育成開始前のバクシンオーは、才能あるメイクデビュー前のウマ娘に過ぎません。ドラフト1位が必ず大成するわけではないのと同じ、まだ海のものとも山のものともつかないウマ娘です。しかし、このシナリオはバクシンオーが最初から「絶対王者の誇り」を持っていないと成立しません。「自分は最速のウマ娘であり、自分が勝つのは当然である」という王者の精神を最初から持っていなければ、スプリングステークスでの敗北でバクシンオーは自身の限界を知り、あるいは途中でトレーナーの方針を疑い、現実を受け入れて妥協してしまうはずです。
勝とうと負けようと、自分が絶対的に強いという確信を持っていなければ、トレーナーのあの詭弁に素直に騙されてくれるはずがありません。その王者の精神の拠り所として他の何でもなく「学級委員長」を持ってくるのは、まさに天才の所業と言わざるを得ません。「自分の適性を無視して長距離を走りたがる、自己肯定力オバケのアホの子」というバクシンオーのキャラクターに、これほど似合った設定はないでしょう。
めちゃくちゃ長くなったのでまとめ。
バクシンオーシナリオのトレーナーがバクシンオーを騙し続けるのは、「短距離の絶対王者」であり、「マイル以上では勝てなかった」という史実をともに尊重して物語として成立させるために、「妥協」という泥をトレーナーだけが被る形にするためです。バクシンオーシナリオのトレーナーは、バクシンオーの夢と王者の精神を守るための盾であり、その覇道を真に偉大なる道にするための支えなのです。
拙文が、バクシンオーシナリオで罪悪感に見舞われる心優しいトレーナーが、バクシン委員長と気兼ねなくバクシンする一助になれば幸いです。
そして、バクシン委員長の全距離制覇の夢を叶えてあげましょう。
さあ、みんなもサクラバクシンオーとこれからもバクシンバクシン!
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