ただの言い訳
「叱られない」とつぶやいた言葉に、心臓が冷える気持ちになった。
我が身が大切で、自分が傷つかないように振る舞う裏で大切に思う人を、大切だと思いたい人を傷つけている。
何度も何度も、数え切れないほどまちがえてきた。
寝ている人に、毛布をかけられない。
風邪を引いてる人に、何かを買ってこようと思えない。
そんなことを繰り返して、諦められてがっかりされて生きてきて、仕方がない、わたしはそういう人間なんだと開き直れればどれだけ良かったのだろう。
出来なかったので、たくさん学びました。
今では寝ている人に毛布をかけられます。
風邪を引いてる人には、優しい言葉や世話をすることができるでしょう。
でも、本質は変わらないので、もうずっと人を傷つけています。
叱られないその人に、言い訳を振りかざしながら傷つけているんだろうな、と漠然と思っていた。
「間違えた方にいったら、怒る」
大事だと思うから、声を掛ける。
難しいなと思う。
嫌われたくない、それもあるけれど。
どうしたって、声をかける、言葉を向ける。
そこには従って欲しい気持ちが含まれていて、それを無碍にされるときっとガッカリして、人によっては離れていって、人によってはさらに強い言葉をかける。
わたしは後者だった。自分の言うことを是と考えて「それは間違いなのだ」とすぐに圧を掛けて従わせたくなる。
そんなやり方では、誰も話を聞いてくれないのでやめようと心がけて、今では飲み込む事が上手くなりました。
そうして生きて、また間違いを犯しました。
自分の選んだ道が傷つけたことを認められず、言い訳のように「叱れない理由」を話して。
伝えることは変わらないので結局は心の持ち用なのですが、後悔してます。
人の心を理解させようと言葉を紡ぐのは悪手です。
どうしたら良かったのでしょう。声を掛けたら良かったんです。
分からないです。きっとまた間違えるでしょう。
でも大事にしたいので。大切だと思うので。幸せでいて欲しいので。
後悔しながら、軌道修正しながら生きていきます。
支離滅裂、とっ散らかって、書いてる自分でさえ本心なのか分からない戯言です。
やっぱり書くの苦手だなあ。