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プヲタとネットの黎明期、そして増殖するPodcast - ゲスト:カテプロ前田さん

なんだか前回の記事が思ったよりもバズってありがたいと思うと同時にハードルが上がって続けづらくなりました。うっかりやめようかと悩みましたけど、ゲストを迎える方式を先に考えて依頼をかけておいたので危機を回避できました。

執筆する案件がほんの少しばかり落ち着いたので、お次に注力するのは会社の決算。領収書の整理とか死ぬほどめんどくさい。この作業やっても誰もお金くれない。つーかむしろ払う。起業なんてしない方がいいですよ。決まった仕事が既にあって、自動的にやることがあるってことが如何に素晴らしい…素晴らしくはないけど如何に楽なことか。毎年決算近くになるとこれを強く思います。
でも半年経つと「起業すべき」論者に変化したり。思考もにも季節感があって、日本人だなぁと地に足のついた思いを巡らします。行末ではワケ分かんないことを言うに限ります。

プロレス好きの仲間とうっかり会社を起てて、気づけば10年近く経過してた。改めて90'sのプロレス好き同士の結束力というか共有意識の強度ってのは恐ろしい。根っこにこれがあるとちょっとだけ人生が渡りやすくなったりする。今回はそんなプロレスを通して知り合った10年来の友人をコラムゲストに迎えようと思います。

BLOGを書いていた頃は何をしたっけ…と回想。なんだっけなマジで。
…この行間しばらく考えまして、思い出したのは「出会い系メールに引っかかってみよう」というものでした。今でもあんのかなこれ。出会い系というか架空請求の類に突っ込んでみようってな体験ルポ。結果はよく覚えてない。体当たり系の微ウラネタはよくありました。カロリー使うからなるべく避けたい。
00年代はこういったネットを使う怪しい商売が唸りを上げ始めた頃で、今みたいにシカト・冷笑する比率も低く、周りにちゃんと引っかかってるバカがいて大変楽しい時間を過ごせました。黎明期から15年ぐらいの間って何事も楽しめる。

プヲタはネットを使うしかなかった

で、今回はプヲタ(プロレス好き)とネットの黎明期について。
会社を起てた仲間と同じぐらい、00年代初頭にネットを通じて知り合った前田さんに筆をとってもらおうと。
前田さんと知り合った頃は、まだmixiどころかBLOGすらなかった。なので、お互いが自前のサイトを作り、Yahoo!とかInfoseekとかについてる無料サーバを使って公開して、そこに掲示板をくっ付けて交流し合うという、デジタルの世界なのにとてもアナログめいたことをやっていた。「インターネットなんて実体のないものを!」云々とやかましい年長者さんに突っ込まれると前に進まないので、んなこと言われるなら物質的なものはリアルも全て空虚、仏語を借りて色即是空の言葉をブツけて煙に巻きましょう。
当初はまだダイヤルアップ接続だから、画像なんてアップするのは大変で、プロレスの観戦記をちょろっとアップするのに数時間かかったこともしばしば。一枚の写真をアップするだけで結構時間喰ったんです。だから昔のホームページ作成ソフトには「サイト更新が終わったら自動的に接続を切る」機能がマストだった。この作業やっても誰もお金くれない。つーかむしろ払う。電話代死ぬ。そのうちISDN、ADSLが出てきて、接続しっぱなしOKという夢のような世界に激変して、そのストレスは軽減されていくんですけども。

それと触れておかなきゃいけないのは、90年代を学生としてカルチャーに埋もれた世代にとって、プロレス好きってのはだいぶマイナーな方に位置される。クラスメイトに一人いれば多い方だ。
テレビ番組としてのプロレスはガンガン追いやられていく時代で、既に獲得したプロレスファンは雑誌に熱狂していたので週プロは超盛り上がっていたけど、新規参入窓口と言える民放二局でのプロレスは厳しかった。日テレの全日中継は既に深夜だったし、ワープロは夕方から深夜に移行するタイミングだった。辛うじて深夜族のアンテナに引っかかるぐらい。だからなのか癖のある男性ばっかり。
(だから民放テレビでプロレスはあり続けなきゃいけないという話はまた今度)

「FMWにショーン・マイケルズが来る? ウソだろ?」が言えなくて

俺は強引な性格だったってのもあって、学生時代はどうにか友人を引っ張り出して観戦へと繰り出したが、そうでもなきゃ校内で同様の趣味を共有するのが大変難しいわけだ。「FMWにショーン・マイケルズが来る? ウソだろ?」なんて話は一切できない。ここが80年代のプヲタと全く異なる部分だろう。プロレスに詳しくても日常に何の影響も与えない。
そこで、ネット社会が到来しようとしていて、同じように端っこへ追いやられた同世代のプヲタたちは目を付ける。それが俺や前田さんだった、ということです。そこで出会うのは他人だけどほぼ自分みたいなもんだから、そしてメチャクチャ苦労して出会った同士だから、何が何でも手放しちゃいけないのです。

ということで前田さんにプヲタとネットを語ってもらいたいのです。
あと一点補足。前田さんは現在、奥さんの大西さんと「カ、、カテェプロレスポッドキャスト」というプロレスを語るPodcastをやっている。通称「#カテプロ」。俺も何度かゲストで出させてもらった愉快で気軽にプロレスを楽しめる番組なのでおススメです。
写真はその前田さんと大西さんが挙げた「蕨路上結婚式」の様子。今まで多くの結婚式に出てきましたが、これだけ多幸感に満ち溢れた祝いの席はありません。写真だけでも見て取れるでしょう。
こちらの披露宴ではマットプロレスが行われ、某プロレスラー(一般人)から前田さん夫妻がフォールを奪い、ハッピーエンドになったんですが、後日そのレスラーさんがアメリカの地で今をときめくザックセイバーJrとシングルマッチを行うとのことで、もしザックが負けたらプロレス界の序列がワケ分かんなくなるところでした。あれ、人となりを説明しようと思ったんですが失敗しました。

ファンによるPodcastって外国だと盛んみたいで、WWEのレッスルマニアを観に行った際、入り口付近でフライヤーを配っていたし、WWEだけではなくて様々なインディー団体も観戦したのですが、そこではPodcastやってる奴がブース借りていたぐらいです。itunesのランキングとか見ると、もちろんプロレスだけではなく他のジャンルに置いても同様のようですね。
プロレスって草野球やフットサルみたいに「やるスポーツ」じゃないから、観て収まりきらない気持ちを何か形にしなくちゃ気が済まない性格の人は、こうして出力されることが多々ある。その一つとしてPodcastという形が出てきた。この辺の成り立ちってのは俺もよく分からないから教えてもらいたかったり。
それではお願い致します!

カテプロ前田「挨拶」

まるでメルマガを当時練習生だった坂井良宏(現スーパー・ササダンゴ・マシン)さんに代筆させた高木三四郎さんみたいなフリですね。コレ。
http://d.hatena.ne.jp/t346fire/20020912 参照
あさりちゃんのお話でもしましょうか(笑)。

こんにちは。カテプロの前田です。
「noteというSNSパワースポットで急に文章を書けと言われた。」と奥さんの大西さんに相談した所、文章の出だしは「こんにちは。」にしなさいと言われたので挨拶をしてみました。
実はこのアドバイス、とても理にかなっていて、オカダカズチカやバラモン兄弟、そしてマンゴー福田などを生み出した偉大なプロレスラーのウルティモドラゴン校長も同じことをおっしゃっていたのです。それが次のお言葉です。

-- 挨拶をしたとして得をすることはあっても、たとえ無視をされたとしても損をする事は絶対にない。だから会う人会う人には必ず挨拶をしておきなさい。 --
(人生に金の雨を降らせる黄金律(レインメーカールール) | オカダ カズチカ著より ※立ち読みの為原文うろ覚えママ)

こうしてオカダカズチカは挨拶とレインメーカーというニ大武器を引っ提げ、瞬く間に新日本プロレスのトップレスラーとなっていきました。

先ほど阿佐ヶヤスタカさんが冒頭で語っていたプヲタとネットの黎明期の話しの前に、まだネットがない時代まで遡ってみましょう。
時代は高校生3年生の時にまで遡ります。1997年でネットはまだ普及していません。
主な情報収集は雑誌とテレビ中継でした。
プロレスを見始めた頃、プロレス団体は新日本プロレスがばかリ見ていました。"全日も"ではなくて新日一択です。
新日本プロレスは当時どうなっていたかといいますと、蝶野正洋選手が天山選手、ヒロ斉藤選手を引き連れて狼軍団を結成。そこからやがて、nWoというプロレス界に一大ムーブメントを起こすヒールユニットに移行していく時でした。そこからやがて武藤選手をnWoに勧誘していくのですが、結局、nWoには武藤選手ではなくもう一つのヒールとしての顔のグレートムタがnWoに加入します。
さぁこれからnWoはどうなっていくのだろうと言う頃、水産高校に通っていた私は3カ月程『実習』という肩書で半ば強制的にマグロ漁船に乗船しなければならなくなりました。今思うとどんなシステムの学校なんだよって思います(笑)※ちなみに現在はこの学校のシステムは保護者の苦情により無くなっています

ここからプロレスの情報はその後ハワイに上陸するまで一切途絶える事となります。日本の情報は一切入ってきません。下手したら刑務所より入ってこないのではないのでしょうか(笑)。

マグロの操業が終わった2カ月半後、船は燃料を積むためハワイに寄港します。
上陸した後の自由時間を使って、我々は日本のプロレスの情報を得る為に街へ繰り出しました。たしか周りのカタギの同級生は日本から来た手紙で日本のオリコンの情報を入手し、「どうやら日本のオリコンチャートではポケットビスケッツに対抗してブラックビスケッツというユニットが新しく出きてCDが売れて上位に食い込んでいるらしい。」という話題で持ち切りだった気がします。

私とプロレス好きの友達はそんな事には目もくれず(今思うとブラビはnWoをモチーフとしているからちょっとカスってるけど、そもそもユニットのメンバーや天野君の頭に天山の角が生えてるフォルムすらも知りませんでした)、当時ネットも無い時代にどうやってこの店の情報を入手したのかわかりませんが、当時ハワイに日本の雑誌やらテレビ番組を録画したビデオテープが売っている日本人在住者向けのショップがありましたのでそこへ向かいました。
そのショップで売られていた週刊プロレスの衝撃的な表紙を目にして僕らは驚きました。
その表紙がこちらです。

「え!?ムタじゃなくて武藤がヒール!?そしてこのつられているのは、、って!なんか犬って書いてある!」
まったくわけがわかりませんでした。
この写真の週プロはその時の衝撃が忘れられず、闘道館でバックナンバーを買い直ししたものです(笑)

それからその週プロの前の号。そして、その前の前の号や、ワールドプロレスリングの中継を録画していたビデオを買い漁ってました。
ビデオテープの内訳ですが、1時間は新日本プロレスの中継で残り30分は全日本プロレス中継の録画が入っていました。
値段はもう忘れてしまいましたが、結構な値段したんじゃないですかね。
でもこの頃の僕達には貴重な情報源でしたから、お金には糸目付けませんでした。おかげでお土産に使えるお金なんてほとんどなかったんじゃないですかね(笑)。

その時のこう、、自分の好きなものの情報を一気に得てなんかテンションがガーッ!と高ぶるみたいな感じになったのは、後にも先にこれが最後ですね。この現在の情報化社会ではもうこの感覚は感じれないと思います。刑務所でも行かない限り(笑)。

ネチケット

話はネットの黎明期までに戻りますが、マグロ漁船時代に比べれば数倍便利になりましたが、それでも本当に当時は不便でした。コミュニケーションをネットで図る時は、今はTwitterやFacebookやらSNSがあって手軽にできますが、当時は"自分のアカウント"としてホームページを作成するか、人が用意した掲示板かチャットで言葉を交わすしか自分の知っている範囲では選択肢がありませんでした。

その頃、自前の掲示板やチャットでいつもの仲間達とコミュニケーションをとっていると、新規のある中学生のプロレスファンの子がコンタクトをとってきました。
その中学生の子とはやがて後楽園ホールでも顔をあわせるようになりました(中学生の子はお母さんと一緒に観に来てました)。
やがてその中学生の子がかわいすぎたあまりに、ネットのがなんたるかをまだわかっていないと勝手に決めつけ、自称"年上でネットにも精通している我々"が一肌脱ぎ、ネットとはなんたるかを1から教えていきます(笑)。

『実はこの我々の普段使っている掲示板は初心者用の掲示板で、上級者はもっと巨大な掲示板で夜な夜な熱いプロレス談義している。』

『そこは2ちゃんねるという掲示板だ。』

『2ちゃんねるを知らないと後楽園ホールでバカにされ、やがてイジメにあうぞ。』

『先輩の言う事は絶対なんだ。いいか、ここにコップの入った水があるだろう。お前には透明に見えるだろうが、先輩がこの水が赤色と言ったら、この水は赤色なんだ。』

それに加え我々は先ほど冒頭に出てきたウルティモドラゴン校長の教えを彼にも叩き込みました。

『2ちゃんねるでは最初に書き込む時は必ず挨拶をした方がいい。挨拶をしたとして得をすることはあっても、たとえ無視をされたとしても損をする事は絶対にない。スレの住人達には必ず挨拶をしておきなさい。』

私はその後、2ちゃんねるのとあるインディープロレス団体のスレッドを覗いてみました。そこにはその中学生のプロレスファンが書いたであろう、こんな書き込みがありました。

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565 〇い〇け

こんにちは。はじめまして。〇い〇けと言います。
年は14歳の中学生で神奈川県に住んでます。
みなさんよろしくお願いします。
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この書き込みを見た直後、目の前にあるディスプレイが口に含んでいたグリーンミストで真っ緑に染まったのは言うまでもありません(笑)。
私はこの日、初めてにして最後、2ちゃんねるで挨拶・自己紹介をしている人を見ました(笑)。そしてこの頃を境に中学生の彼とはやがて段々と疎遠になってしまいました。多分童貞を捨てたか、お母さんがあんな奴らとは付き合うのは辞め(略。

ハワイの日本人向けの週プロを見てキラキラさせていた高校生の少年の目は、やがてネットの普及と同時にこうして段々と濁っていったのでした(笑)。

恥の多いプロレスライフを送ってきました

プロレスファンの皆様が、この昨今、ネットを活用してどのようなプロレスライフを送っているだろうかと考えてみました。

試合結果の情報を仕入れたり、団体内のストーリー(今後の展開)を追ったり、プロレスに思う事をつぶやいてみたり、複垢を使ってヤリ捨てされたプロレスラーをツイキャスに誘導して告発してみたりとプロレスにおけるネットの活用方法は多種多様です。※後半部分は筆者の勝手な想像であり95%はフィクションです。

私は阿佐ヶヤスタカ氏のご紹介にあった通り、ネットを使って「カ、、カテェプロレスポッドキャスト」というpodcastの番組を配信しています。
podcastをする前はネットで何をしていたかというと、皆さんと同じようにtwitterでプロレスで思う事をつぶやいたり、プロレスの情報を仕入れたりしていました。

でも、皆さんと1つだけ違うことをネット上でしていました。
元来、私はプロレスと何かをリンクさせるのを好む癖があるようで、度々この癖に関しては他の方にご迷惑をおかけするという事がありました。

例えば、これはtwitterにおける事なのですが、

「雨の慕情」という曲の歌詞「雨、雨降れ降れもっと降れ」を歌っている八代亜紀さんの画像を貼りつけ、

「レインメーカー」

とつぶやいてみたり。

--「元も子もない」という言葉は当時三沢光晴が全日本の社長を馬場さんから継いだ時期に苦労した様子を表した言葉である。 ニーチェ--

とつぶやうそぶいてみたり

将棋界では加藤一二三 九段 通称「ひふみん」が注目されている。という事はプロレス界で次に最も注目されるべき選手はASUKA PROJECTの篠瀬三十七選手 通称「みとしちん」である!

とつぶや怪気炎をあげてみたりというような奇行を繰り返していました。
これらはまだネット上だけなのでよいのですが、全然プロレスの事を知らない知り合いと話していた時の事です。

「福くんって居るじゃん? 子役の。あの子ってさ、まだ乳歯の生え変わりの段階なんだって、前歯とか所々歯が抜けてる箇所があるらしいよ。だからテレビの出演の時だけわざわざそれ用の入れ歯を作ってもらってつけてるらしいよ。」
それを聞いた私は、「え!それ川田利明がテレビに出る時と一緒じゃん!」と言いました。
当然「川?え?誰それ?」という反応が返ってきました。
自分の中では出ごたえアリ!なツッコミをしたと思っていたのですが、相手はプロレスを知らないので当たり前のようにドンずべりをしてしまいました(知ってたとしてもウケていたかは定かではありません(笑))。

いけない事と思ってしまいながらも、プロレスにリンクさせてしまう事を我慢できずに、ついつい実際の会話やネット上に吐き出してしまうのです。
それを無理やり我慢すると、なんかこう胸の奥に痞えというかモヤモヤとしたものが溜まっていきます(笑)
そういうモヤモヤとしたものを吐き出せる場所はないかと模索していたところ、そんなSNSは当然ありませんでした(笑)。場所が無いなら自分で作るしかありません。その場所を作るための手段としてpodcastで配信というものにやがて行きついてったのです。
恥の多いプロレスライフを送ってきました(笑)。

モヤモヤを晴らす行為

おかげ様で最近podcastを配信してからというもの、そういう奇行も少なくなって、血圧も下がって、家の2階の階段の昇り降りも大分楽になりました(青汁)。

普段、私はそのモヤモヤをtwitterや普段の会話で吐き出してきたというのは先ほどお話した通りですが、そのモヤモヤを一番吐き出せる行為というのは、やはりプロレス観戦後の飲みの席です。一緒にプロレス観戦している仲間ですからプロレスネタ出し放題!私の周りには奇行(主にバカ話)を笑って受け止めてくれる古くからの付き合いの仲間達が居たのです。
この方達がもし居なかったら、モヤモヤはもっとドス黒いものとなっていたでしょう。

そこで私はふと思いました。もし、そういうありがたい方々が自分の周りに居ないプロレスファンは、どうやってこのモヤモヤを解消しているんだろう。と。そして、「もし自分の周りにそういう人たちが居なかったら、私はどうなっていただろうか。」と想像した時にとても怖くなりました。

そんな時にプロレスの馬鹿な話でモヤモヤを晴らせるような放送があったらいいな。と思って作ったのが「カ、、カテェプロレスポッドキャスト」でした。
私だけで喋ってしまうと、話があまり変な方向に行ってしまって、また恥の多いプロレスライフを送ってしまいかねないので、プロレス初心者の大西さんに横についてもらって喋ってもらう事にしました。そして適度な調整を取り、拝み渡り(スト市式)の様にバランスとりつつ配信しています。我々が配信しているポッドキャストでは、リスナーさんのtwitterでのつぶやきを積極的に拾っていったり、プロレスのポッドキャストでは珍しくリスナーさんのネタ投稿コーナーがあるのもそのためです。酷い時はリスナーさんのつぶやきを拾っていくだけで、優に30分は経過してしまうこともあります(笑)。おかげ様で私は私と同じ様なモヤモヤ抱えた、普段の生活では知り合えなかったプロレス村の拗らせた人達と知り合う事ができました。

すみません。気づけば後半青汁のCMの様に自分のpodcastの宣伝をしてしまいました(笑)。

我々はPRIDE、K-1の波に飲み込まれ、時には「八百長」と罵られ、プロレス暗黒期を共に乗り越え、プ女子という思わぬ副産物を手に入れて今でもここに居ます。

カテプロの配信を聴いたり、阿佐ヶヤスタカ氏のこの場所「note」を読んで、拗らせてるのは一人じゃない。とそう思っていただければ幸いと思います(笑)。

あとがき

この文章を執筆中に阿佐ヶヤスタカ氏がNOAHの写真集ができるまでみたいなチョーいい文章を書きやがったので、この文章は流す程度に読んでいただければ幸いです。
ああ!流す程度に読んでくれって、あとがきに書いても何も意味がないのに気づきました(笑)。

ありがとうございました!

で、前田さんの寄稿を受けて

ご寄稿ありがたく頂戴いたします。
ここよりまた阿佐ヶヤスタカです。こんにちは。フォントでも変えられれば良いのですが。できるっぽいけど、まだイマイチ使いこなせていない。

「文章は不慣れ」と言いつつも、さすが昔ちゃんとブログや日記(なんかのチープなcgiで動いてるやつ懐かしい)で書いていた人って、集中すれば結局上手ですよね。前田さんも昔はちょこちょこ書いてました。

刑務所刑務所うるさいですし、あとがきはズルいし、つーかマグロ漁船て! もうホント、こんなに(一般的に)羨ましくないハワイの上陸の仕方なんてあったんですね。
青汁のくだりは東京ダイナマイトリスペクトですね。僕も大好きです。好きすぎて前田さんと大西さんと一緒に大阪NGKまで単独漫才ライブを観に行ってしまいました。
あと2ちゃんねるでは、皆さんも既知だとは思いますが、メアド欄にsageとか入れておくのが常なのですが、『〇い〇け』君は、わざわざご丁寧にメアド欄に自らのメールアドレスをちゃんと書いてました。後で聞いたら、当日から変なメールがバンバン届くようになったそうです。そんな〇い〇け君もプロパイダを変えてメアドも変わって、立派な人間に育っていると思います。プロレス終わった後の飲み会にお母さん連れて来るぐらい純粋な子でした。それだけ交流を欲していた。
「プロレスが好きだ」「こんなところが好きだ」という思いはモヤモヤになり、一人で抱え込みづらいんでしょう、どっかに放出しないと収まらない事例が多く見て取れます。

前田さんの言うように、プロレスの近場にあるエンターテイメントってかなりの数がありますよね。「あの歌手ってプロレス好きなんだ? へぇ~。聴いてみよ」とか、プロレスの含有量が多いと途端にエコ贔屓してdigって好きになるというパターンって結構あると思うんです。アーティスト自身が発信することもあれば、ファン同士でその情報が共有されますし。
一方で打算的にプロレスに近づいてきた臭いが少しでもすると、無駄に閉鎖的なコミュニティの側面もあるのでバッシングの対象になってしまう。こりゃどの分野も同じかも知れませんが、そのエグみが少々強い。

今思うとnWoのオマージュって結構世間に蔓延しましたよね。プロレス界でもオマージュユニットが相当数現れましたし、中でもbWoなんて今でもTシャツ着てますよ俺。bWoまでいくとパロディか。
ボキャブラ天国内で海砂利水魚が起こした『b.A.d』もありましたね(リーダーは嵯峨根)。前田さんも書いているブラビの天野君も『天山(あまざん)ひろゆき』と名乗っていたので思いっきりテイストが注入されていました。
nWoはヒールといって悪役のユニットだったわけですが、要は対抗勢力なのに、それが席巻してしまうという現象が起こります。90年代の特徴の一つでもあると思います。正義は必ず勝つキレイ事に賞味期限が訪れた時代じゃないかと。
…というアタマの中で拗れた事柄を教室内で共有できなかったけど、90'sフレイバーはとことん堪能したぜって奴らを結び付けたネットインフラには感謝ですよ。70'sや80'sの方が粗削りで危うくてそこが羨ましいかも知れないけど、90'sも粗削りで危ういところは自力で探せばちゃんとあったんです。

先日、カテプロさんのPodcast仲間に会って話をする機会がありました。『全力!シューティングスターラジオ!』という番組をやっている二人。特に『いっつー』君がまだ20代前半なのにこれまたメッチャクチャ詳しい。
訊けば、幼い頃はお父さんにitunesでTNAの試合映像を買ってもらって観戦していたらしい。もう流入の仕方が俺たちの世代の理解を超えている。
ROHで森嶋がいかに素晴らしかったか、なんて話ができるのは私も嬉しかったですよ。「中学の頃の俺に『お前間違ってないぞ!』って伝えたいです!」などなど堰を切ったように喋って酔っ払って千葉在住なのに横浜で終電逃した『いっつー』君もまた、プロレスという治らない風邪を大いに拗らせていた。00年代を学生として過ごした彼なんて余計、孤立したプヲタだったでしょう。
先に書いたマイケルズがFMW登場と同じく「レッスルワンにAJスタイルズが来る? ウソだろ?」という気持ちを教室内で押し殺して学生時代を過ごした彼もまた、ほとんど俺で俺はほぼ彼です。探して浮遊すると自分に出会うこともある。

求めさえすれば、趣味趣向の孤独は意外と払拭できるようです。
あれ?キリが良くなってきたな…。ま、まさか俺と前田さんが筆をとって「君は一人じゃない」的なことで〆るだなんて…。クサ! やり直しだよこんなモン!

前田さんのPodcast「カ、、カテェプロレスポッドキャスト」

公式Twitter:https://twitter.com/kakateeeee
ハッシュタグは「#カテプロ」
公式サイト:http://kakateeeee.speaker.jp/

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