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俳句の時間 2021.12.26
雪が積もった。今後何日か、最低気温が氷点下の日が続くとなると、解けずに残る、凍る。生まれ故郷とはいえ、あたたかい地域から引き揚げてきた人間にはちと堪える。装備も軽装だし。
数日前から気象庁が脅していたおかげで、クリスマスのせいか買い物客が多かったのか、雪が積もる前の昨日はあちこちで渋滞に引っかかったらしい(うちの母調べ)。とはいえ、今日の積雪は今のところせいぜい5cmくらいで、母は庭に出て、雪の密に詰まったようなきゅっきゅという音を足裏で確かめて、「新雪はいいわあ~。」と満足気だ。
英語の語法のことで高校生の姪っ子に話があったので、市内のもう一人の妹宅に連れて行ってもらう。妹も天気予報を見て、今日は一日出かけないと決めていたというので、まさに冬ごもりだな、などとぼんやり考えた。
実家に戻り今日の季語を確かめたら冬安吾。ああ、冬ごもりとはだいぶ違って、状況が限定されてくる。これは難しい。例句を参照すれば、やはり寺での生活が反映されているというか、つまり私には縁遠い景が描かれている。
灯の声をたのしむ冬の安吾かな 吉田冬葉
寺の講堂に籠っての、僧侶たちの勉強会の一瞬をとらえた一句と思った。とにかく自分の中の寺体験を、どこかから引っ張ってこなくては一句できない。と、先日京都で、母と次女と天竜寺に立ち寄った時だったと思うが、僧侶の沓が棚に並べて掛けられていたことを思い出した。確か朱色の布靴で、白糸でなにか模様が描かれていたような。色の褪せたものから、まだまだ新しいものまでならんでいて、そのわきに「お手を触れないでください」といった注意書きがあったことも思い出した。俗世の人間が触れては、学僧の修行に障るのだろうかと考えたので覚えていたのだ。
沓触るる勿れ冬安吾の講堂 要