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俳句の時間 2022.03.01

数か月前から中3の子とオンラインで俳句授業をしている。俳号を豊(とよ)という。この日は受験が一段落して、俳句授業に笑いが戻ってきた。ヘッダーの写真は、写真が趣味の豊が出かけた先で撮った一枚。ガジェットは齢70年を過ぎるという年代物のカメラで、前回の授業ではその修理の模様を写真で見せてもらっていた。

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授業しょっぱなに送ってもらったヘッダーの写真を、私はとても気に入った。それを70年物のフィルムカメラで撮ったというのも、豊らしくていいエピソードだと思った。

この日の授業は季語手帖の一句から季語を決めてあった。3月2日の季語、暖かを使った、古瀬まさあきさんの特選句。

星死ぬと知るあたたかき日の図鑑

語順の通りに読んで、星の世界の広さ、死とあたたかのギャップを感じ、最後にまるで自分の両手に開かれた図鑑が現れたような気がした。少年の日の古瀬さんが、春の自室か図書室で受けた驚きを今分けてもらっている、そんな一句。今回は豊と、この句の形を借りて俳句作り。

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四つ目の吹きだし、〇の部分に言葉を入れていくなら何が入るか。私が写真と入れると、豊は夕暮れと返してきた。どうしても今私の発想は暗いほうに行きがちで、それは豊もよくわかってくれているので、遠慮なくさらに暗い下手な二番煎じの俳句を出す。

人孤独と知るあたたかき日の遺影

これは私の作品としてじゃなく、ドリル的な要領で遊んでいる。元の古瀬さんの句がいいから、私の暗い句はそれなりに俳句の形をしている。でもあくまでもドリルだ。名乗って出す俳句ではないことを明言しておく。若い豊は私の暗さに目もくれず、しっかり自分が見たものを言葉にしてきた。

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路地歩くあたたかきゆふぐれ

これは音数が足りないから語順を変えたら定型でいけるよ、とおせっかい。

下町の路地のゆふぐれあたたかし 豊

ドリルから離れて、豊の写真を見ての率直な感想として

あたたかや下町のふと異郷めく 要

と続けると、豊は口数が減ってしまっている。定型にするんじゃなかったなあと自分のおせっかいを反省し、上五に神戸を入れたら、とさらにおせっかいを重ねた。

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神戸はいい。だけど、「歩く」だと音数が足りず、「散歩する」だとなんだか情緒にかける。煮詰まって、「歩く、散歩するをあきらめて、路地のほうを生かそう」

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うん。いい感じ。ここまで来たら、あとは助詞の出番。最後に詠嘆の「よ」なら異国情緒豊かな中華街の生ぬるいうるんだ夕暮れを思うかもしれない。主格の「は」なら「路地の」を「路地を」に変えて、神戸の路地をあたたかきゆうぐれは、とか、いろいろ提案していると豊のほうから「の」はどうですかと返してきた。「ああいいね。泣けてくる、とか、猫騒ぐとか、酔っ払いとか、いろんなものを想像できるよ。書いてないけど想像できる余地があることを、余白があるっていうんだ。これは助詞を全部「の」でいいんじゃないかな?」こんなふうに助詞力をいろいろ吟味してこの日の句は定まった。

神戸の路地のあたたかきゆうぐれの 豊

豊がいいという句がいいんだ。私はこの句が好きだ。

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