「花燃ごみ」
序章「motif of flower」
「虹ってあるでしょ」
突然だった。
なんの事かわからず、返事ができない。
「あの根元には姉弟の天使がいて、
二人が両端を持ってるんだよ」
職場近くの居酒屋で、突拍子もないことを
言い出したのは、4つ年上の先輩だ。
「どういう比喩ですか?」
僕は彼女に聞いてみる。
新卒で今の会社に働き始めた僕に、
何かと気を遣い世話を焼いてくれた人で、
颯爽とした雰囲気があり、頼もしかった。
去年自分が部署を移った後も、
こうして月に一度、会社終わりに
近くの居酒屋に寄るのが定例となっている。
普段、アルコールを幾ら摂取しても
明瞭としている彼女が、今日に限っては
訳の分からないことを言っているので、
先ほどのお伽噺に興味が湧いた。
「比喩とか譬え話じゃなくて、虹ってのは
姉弟の天使が二人して持ってるんだって」
「そうなんですね」
話の腰を折りたくはないので、あたりさわりの
無い返事をする。
「私さ、小さい頃、虹を見るのが好きで、
根元まで行ってみたいってずっと思ってたの。
それである日、母親と一緒に散歩してた日に
言ってみたわけ」
「『虹の根元まで行ってみたい』って?」
「そう。そしたらね、母親が周りをキョロキョロ見渡した後に、耳元で囁いてくれたの。
『虹っていうのは、きょうだい天使が
端と端を持って支えてるんだよ』って。
だからそんなことしたら二人の
邪魔しちゃうでしょ?って」
「ロマンチックなお母さんですね。」
「そうなんだよね、でも小さい子どもが確かに、天使さん達に迷惑掛けちゃうな、やめておこう。なんてならないでしょ?ゴネたの、私」
晴れ渡る空の下、アスファルト道路の真ん中で、虹の根元まで行ってみたいと地団駄を踏む少女と、それに困惑する母親を思い浮かべる。
「お母さんも大変ですね」
僕がそう言うと彼女は、確かにね、と笑った。
数年前に世界中で流行した感染症の影響で、
マスクをする事がここ数年、当たり前になっていた。こうして素顔を出して笑顔になっている誰かを見るのは涼しげで、こちらも思わず
口角が上がってしまう。
いつまでこの生活が続くんだろうか。
そんなことを考えていると、彼女は、
「それを今、たまたま思い出しただけ」
と言ってきたので、
「虹も見えない、夜の居酒屋で?」
と茶化した。
「いつ思い出しても色褪せないから
思い出なんじゃないの?」
文句を言う彼女を尻目に、マスクを付けた後、
腰を上げる。もう?と気怠げに聞いてくる彼女の腕を肩に掛け、店外に置かれたベンチに
座らせて会計を済ます。
馴染みの店員に礼を告げた後、外に出る。
春風がアルコールで火照った身体を冷やして、
心地が良い。
「あのさ」
駅に向かっている途中、彼女が口を開いた。
「公園で、花燃やしにいかない?」
二章「原材料『花』」
突然の事で返事ができない。
居酒屋での会話といい、虹は天使が持ってると
ボヤいたり、花を燃やそうと言い出したり、
到底正常ではない。
あまりにも脈略も無いことを言い出してきたので、どう返せばいいかわからない。
「洒落てると思わない?夜の公園で、
花束を燃やすって。日常で起きた嫌なことも
全部綺麗に消えて、さっぱりすると思うの」
と普通ではないことを言い出したので、
冷静に諭そうと思い、
「あそこの公園は花火禁止ですよ。
危ないし嫌です」と、
語気を強めて伝えたが、
逆に腕を強引に組まれ、
公園の方へと連れていかれてしまう。
途中、駅の近くにある雑貨屋で、
乾燥花を買わされた。
木箱に赤黒い薔薇が敷き詰められており、
刺々しい棘を持った茎の緑色含めて、
鮮やかで綺麗だった。
会計を済ましている途中、女性店員が
店の雑貨を無造作に手に取って目を凝らして見ている酔った先輩をちらっと見た後、
「贈り物用ですか?」
と、微笑みながら静かに問いかけてきた。
三章「花煙」
「公園にも着いたことだし、燃やそうね」
そこから程なくの距離にある公園に着いた。
「本当に燃やしちゃうんですか?」
彼女は不思議そうな目でこちらを
見つめてきた。
店員にプレゼント用ですかと聞かれ、
返事に困り、そんな感じですと答えると、
「それなら、せっかくだし梱包しておきますね」
と、丁寧に包装してくれた木箱を彼女に渡す。
多様な色で彩られた紙袋が可愛らしかった。
「本当に燃やすんですか?」
再度尋ねるも彼女の動きに迷いはなく、
綺麗に包装された袋を引き裂いていく。
小気味の良い音が耳に入っていくのが
不快だった。
彼女がライターで火を付け、花束の先端を燃やす寸前で咄嗟に、あ!と声を出した。
「どうしたの」
きょとんとした顔で僕に尋ねてきた。
何か言わなければ、と思った。
何か言わなければ、燃やされてしまう。
「日を改めませんか」
「なんでよ」
「せっかく燃やすのなら、もっと天気良い時に
した方がいいかなって」
僕の咄嗟の言い訳に納得したのか、何も言わずにライターを僕に返した。
「とにかく、今日はもう帰りましょう」
彼女は返事などせず、ただ左手で握りしめた
薔薇の花束をじっと見ていた。
綺麗な人だな、と思った。
改札まで見送ったあと、アパートへ帰路につく。
シャワーを浴びた後、バルコニーへ出る。
夜風を感じながらゆっくりと息を吸って吐いた。新鮮な空気が気管支を通っていくのを感じる。
心地が良かった。
夜空を見ていると、ピロンッと気の抜けた音が
ポケットから聞こえた。携帯を取り出して
確認すると、彼女からだった。
『今帰れました。さっきはごめんね。おやすみ』
返信はせず、携帯をポケットに戻した。
花を燃やして何もかもさっぱりできるなら、
どれだけ楽天的に人生を送れるだろう。
明日は燃えるごみの日だと、ぼんやり考えた。