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「蘋果抄」

「最近、よく遅刻するようになったね」

チャイムが鳴った後、横に居る友人が笑う。
結局、ホームルームには間に合わず、
諦めて通学路近くにある公園のベンチで時間を
潰して、一限から学校へ行く事にした。

「うん。朝早くから起きてたまるかよ」

「それを毎日するのがウチら高校生だよ」

ハハハと笑う友人を尻目に、先ほど走りながら
考えた事を思い返した。

本当は、こんな日々を送りたい訳じゃない。
席替えで隣になった子と音楽の趣味が合って、それがきっかけで仲良くなって放課後一緒にCD
ショップへ出かけたり、席が離れた後も、
廊下の隅で駄弁ったりすれ違う度に手を振り合うような経験もしたかった。

そういう『毎日』があるとぼんやり思っていた。
あって欲しかった。

でも、現実は小説じゃない。変わらない日常が
続いて、私は明日も時間に追われながら学校へ行く。

きっとこれからもそうなんだろう。

「黒田、考え事してるとこ悪いけど、
二限は別の教室だよ」

友人に肩を叩かれ我に帰る。

「やばっ。急がなきゃ」

踵を履き潰したまま次の教室へ走った。

放課後、いつもの時刻通りに来た電車に乗って、吊り手に捕まりながら窓を見やる。

電信柱と住宅が密集している景色は終わらず、自分のこれからの生活を暗示しているようで、思わず苦笑してしまった。

今だに放課後、誰かと図書館でテスト勉強する事も、恋人と駅の真下にあるコーヒーショップに行った経験さえ無い。

明日もきっと無いんだろう。

そんな事を考えながらいると、
携帯の通知音が鳴る。
電源を押すと友人からだった。

『明日、学校サボって川へ爆竹花火しに行こうよ』

なんだそれ、と思わず吹き出す。
夕日に照らされた電車の中で、
自分の笑い声が響く。

返事を返した後、もう一度外を見る。
車内からの景色は夕陽に照らされ、
いつもより少し綺麗に映った。
私はまた明後日から同じ景色を見るんだろう。

でも、少なくとも明日はいつもと違う日になる。それがなぜだか頼もしかった。

『中目黒、次は中目黒駅でございます』
電車の中でいつも通りのアナウンスが流れる。

「エピローグ」

「結局、花火はどうでしたか」

つまらなそうに後輩が聞いてくる。
お通しのトマトを箸で掴むのに苦労しており、
以前『全部手掴みしたいです』と呟いていた事を思い出し、笑いそうになった。

「爆竹の方、湿気でやられちゃってて、
線香花火くらいしか出来なかったの」

「災難でしたね」

箸でトマトを掴めた事が余程嬉しかったのか、
上機嫌で返事をしてくる。

「嬉しそうに言ってんじゃねえぞ。でもそう。
大学卒業してから、そういうのしてないな」

「学校は休まず行った方がいいですよ」

「あ、それなら今度、会社サボってどっか旅行こうよ。知らない電車乗って、終点で降りるの」

それを聞いて後輩が噴き出す。電車内と違って
居酒屋は騒がしく、
少しの笑い声など誰も気にも止めなかった。

「どこ行きましょうか」

珍しく後輩が乗り気になって尋ねてくる。

「えっとね、」

変わらない幸せがあることを、幸せに思えた。

「花燃ごみ」収録
第八編「Paper Flower」共著 紅井林檎

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