罪と人
しばらく前、実は裁判員としてとある殺人事件の公判に参加してきました。
その時に、この事件以外にも通じるような教訓を4つほど感じました。これまでの投稿と打って変わって、デスマス調で書いてしまう位の教訓です。
それを忘れないうちに、裁判員としての守秘義務(審議の経過や内容)には抵触しない、公開情報(傍聴席に開放された情報)の一部と併せて、自分への戒めを含めて投稿してみます。
念のために、以下に出てくる事実関係は既に裁判所によって公開されている情報を更にオブラートに包んで書いているため、名誉棄損等には当たらないことを明記しておきます。
長すぎですが。
まず、事件の概要です。
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○被害者は重い知的障害をもつ40代の男性(以下息子さん)
○被告人はその母親である70代の女性(以下お母さん)
○第一発見者は被害者の父親であり、被告人の夫である70代の男性(以下お父さん)
○当時、この家庭は3人暮らしであった
○当日(昨年2月の初旬)の流れ
・8時頃、お父さんが会社へ出勤する。
・9時頃、お母さんは息子さんを連れてバス停まで行き、そこで障碍者就労支援施設のバスが来るのを待ち、息子さんを見送る。
・15時頃、息子さんの当日の作業が終わり、バスで帰路につく。バス停まで迎えに行っていたお母さんと一緒に15時40分頃に帰宅する。
・16時頃、お母さんは息子さんにお菓子やコーラを食べさせ、息子さんは相撲のビデオを見ながらお菓子を食べてうとうとし、やがて昼寝につく。
・17時30分頃、息子さんの寝顔を見て「もういいだろう」と思ったお母さんが、息子さんの手足をビニールテープできつく縛り、ロープで首を締めて殺害。
・その直後、息子さんを殺したことに強い罪悪感を覚え、お母さんは自殺を決意。台所の包丁を取り、息子さんの近くまで行って自分の両手首、及び腹部を刺す。その後、倒れる。
・18時30分頃、お父さんが仕事から帰宅。家族二人が倒れているのを見て、気が動転しながらも息子さんのロープやビニールテープをほどき、警察と救急車を呼ぶ。
○背景
・息子さんの知的障害では、パニックになると暴れてしまうことが多かった。他人に危害を与える意図はないものの、両親や施設職員など信頼できる人に向かって突進したり、手をつねったり張り倒したりしていた。
・息子さんが一旦パニックになると自然に治まるまで誰にも止められず、お母さんや施設職員さんらは口でなだめるだけ、お父さんは手で叩くなどするものの、それでどうにかなるわけでは無かった。
・そのパニックにより、家中の引き戸という引き戸が全て壊れており、カーテンでそれを代用していた。よってエアコンはこの家には付いていなかった
・そのパニックは、息子さんが落ち着きを失ったタイミングでなると思われるが、誰一人その予測はできなかった。パニックはたいていは月に数度で、数十分から数日で治まっていた。
・事件の前月、息子さんのパニックが数週間続いたことがあった。いつも介護しているお母さんにとっても、長期間のパニックは負担になっていた。
・お母さんは口数の少ない人で、苦労があっても自分の中にため込む性格であった。口数が少ないため、支援施設職員との情報交換も十分にはできていなかったらしい。
・また、息子さんの介護は40数年間ほぼお母さんが一手に引き受けていた。息子さんの介護のため、この40数年間、旅行などの息抜きをしたことはない。
・お母さんは非常にサバサバと、というより淡々と家事や介護に取り組む人で、「当たり前のことだから」「自分の息子のことだから」とストレスをストレスだと受けとっていない様子であった。
・対して夫のお父さんは亭主関白的な性格の持ち主で、家事や息子さんの介護はほとんど手伝わず、家のことについてお母さんと話し合うことは少なめであった。また、毎週末には地元のスポーツ少年団の監督を務めており、ストレス発散は適度に行っていた。
・お母さんは逮捕後の未決拘留中、急速に認知症が進んだ。事件へのショックや、突然家事等をしなくなったことが原因と推測されるが、事件前から認知症の兆候はあったと思われる。
・重度の障碍者を長期間泊まり込みで受け入れる施設(老人ホーム的なもの)は、近くに存在していたものの、30人待ちで息子さんを受け入れてもらえていなかった。
・「待ち」が多いのは、日本全国の同様の施設でも同じである。ちなみに「待ち」の解消は、主に入所者や待機者の死亡によるしかない。
・事件後、お父さんは少しずつ家事やお母さんの世話を手伝うようになった。
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長くなりましたが、要点はおおよそこのような感じでした。
殺人罪は最低懲役5年以上と定めてあるところ、検察官の求刑は懲役5年、弁護人は酌量減刑からの執行猶予を主張していました。それくらい、人間の綾が絡んだ末の悩ましい事件でした。
特にポイントなのが、事件当日、その直前まで、お母さんや息子さんに特に変わった様子がなかった事です。犯行動機についてはお母さんも「なんであんなことをしたのか、自分でもよくわからないです」と繰り返しており、検察官や弁護人もその点は最後まで判然としなかった様子でした。
そしてもう一つポイントなのが、息子さんの様子です。私の父が特別支援学校の教師をしていたのでたまたま知っていたことなのですが、知的障碍者の方の普段の振る舞いは、その家庭の様子を鏡のように映します。
息子さんの場合、たとえパニックになって誰かを傷つけることはあっても、それは誰かを頼ろうとした結果であって、危害を加えるという意図はなかったとのことでした。
とすればこの家庭は、夫婦間でのコミュニケーションや役割分担が不足気味だったのにも関わらず、息子さんへの愛情は十分に注がれていたと推測できます。
つまり、お母さんが多分に無理をして介護をしていたと考えられます。
ここでは評議で自分が何を言ったか、評議がどんな過程をたどったかを書くことはできませんが、感想として、この事件からは教訓めいたものを感じました。
① ストレスはこまめに発散する
② そのために自分が受けているストレスを自覚する(できれば自分を診断する感覚で)
③ できるだけ負担は分散させる。手伝えるものは手伝う。
④ 小さなことでもコミュニケーションを重ねる
いかにも簡単なものですが、特に家族や親しい人との間では、これらの積み重ねはのちのち大きな違いを生むんだろうと思います。
おそらくお母さんは長年ストレスを我慢し続けたために、ストレスの蓄積に無頓着になり、やがて気づきにくくなったのではないでしょうか。
それに、心身の衰えを無意識に悲観していたのが合わさって、化学反応を起こしてしまった可能性があります。
お父さんとお母さんの生活は対照的でした。
負担を抱え続けたお母さんが結果的に犯罪者となったのは、何とももどかしくもあり、それでいてある意味自然の流れにも見えます。
ただ、重い現実が実際に起きた以上、これを皮肉と片付けるのは軽々に過ぎてしまいます。
ストレスというのは身の回りに溢れかえっている言葉ですが、時に命に関わることがあります。
人が亡くなること、殺されること、殺すことは非常に大変なことですが、案外と人は簡単に死んでしまいます。
どうか皆さんも、ストレス管理を気にしてみてください。
その後お母さんは、懲役4年、うち未決拘留期間中の50日を差し引くという実刑判決が言い渡されました。
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