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さよなら、チャーリー
ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツが他界した。
僕はローリング・ストーンズのことは好きだけれど、「とても好き」を公言してる人からしたらそれほど熱心なファンとは言えない。とはいえ、代表的なレコードを数枚持っているし、2014年の来日公演にも足を運んだ。それから、僕のソロアルバム「Odyssey」のジャケット写真ではストーンズのビンテージTシャツを着ている。でもそれはスタイリストが用意したものだ。つまりそれくらいのファンということ。
ミック・ジャガーもキース・リチャーズもヒーローだと思ったことは一度もない。歌もギターもうまくないし。と言うより2人とも所謂ヘタウマだ。それにミックの書く歌詞はあまり好みではない。佇まいも主張が強すぎて僕には少しトゥーマッチだ。キースのギターリフは唯一無二だけれども。
ストーンズの中で一番好きなのはチャーリーかもしれない。今まではあまり意識してこなかったけれど彼が亡くなって気がついた。派手なフロントメンバーの背後で小洒落た衣装を身にまとい、寡黙にハイハットを刻む姿は英国の職人さながらだ。さっきテレビで亡くなる数年前のインタビューがチラッと流れたのだが、ドラマーとしての役割とは?という質問に対して、「私のビートでお客さんを踊らせることだ。」と答えていた。さらりと言いのけたその回答に彼なりの美学というか哲学が込められている気がして胸に響いた。誰かの楽しみのためにプレイするというスタイル。どうやら僕はそこに惹かれているらしい。
そう言えばR.E.M.からビル・ベリーが抜けた時やストーン・ローゼズからレニが去った時もすごくがっかりした記憶がある。バンドから魂が抜けてしまったような感覚とでも言おうか。よくドラマーはバンドの屋台骨と言われるけれど本当だな。あるいは心臓なのかもしれない。R.E.M.もローゼズもドラマーが抜けて魅力が半減してしまった。そしてその数年後に解散した。
チャーリー・ワッツがこの世を去って、この先のローリング・ストーンズはどんな道を辿るのだろうか。チャーリーだけではなく、残されたメンバーだって高齢だ。
これからそう遠くない未来にはポピュラーミュージックの歴史を作ってきた多くのアーティスト達もさらに高齢化が進み、いずれは鬼籍に入ることになるだろう。僕が敬愛するブライアン・ウィルソンやニール・ヤングやジャクソン・ブラウンはまだまだ元気だけれど、もし彼らがいなくなったらと思うと本当に寂しい。しかし時代は変わり続けるのだ。
さよなら、チャーリー。安らかに。