アコースティックギターと共に歩んできた僕の音楽人生
今まで様々なアコースティックギターを所有しては手放してきた。次から次へとまではいかないが、それなりの数にはのぼる。仕事道具なのだからというのを自分への口実にはしているけれど、ギター好きにとっては贅沢な話だ。そこで今回は僕が弾いてきたギターの数々を一挙にまとめてみたいと思う。そしてそれはまた、僕のこれまでの音楽人生の軌跡となるだろう。
最初に手に入れたアコースティックギターはOvationのEliteというギターだった。80年代の終わり頃から90年代の初めに流行っていたモデルだ。ステージで使えるエレアコとして、まだアコギのピックアップ技術が確立されていない時代にヒットしたギターだった。今では使ってるいる人をあまり見かけないけれど、一昔前は有名アーティストも含めて目にすることが多かった。ボディの真ん中にサウンドホールがなく、ショルダーのあたりにリーフ型の装飾が施してある特徴的なギターだ。当時楽器店で働いていて従業員割引で買わせてもらったのだけれど、それでも時給数百円の僕には高価な買い物だった。何回のローン払いだったかは憶えていないけれど、そのために小遣いを減らしたり食費を節約したりしたことは確かだ。エレキギターからギターをはじめた僕にとってアコギ弦の硬さは資金の工面の次にクリアしなければならない大きなハードルだった。そのギターで「ブラックバード」や「ノルウェーの森」や、主にビートルズの曲をコピーして練習した。最初のうちは指の皮が剥けて血が滲むくらいだったけれど、いつしか指先の皮も厚くなりなんとかアコギを弾きこなすことができるようになった。
そして2本目のギター。ある日勤務先の楽器店に中古のMartin D-28が入荷した。確か1980年製の個体だったと思う。それを当時の店長(今は社長)に頼み込んで格安で譲ってもらったのだ。ところで、僕の母方の家系は音楽好きが多く、母や叔母が歌が上手かったというのは前にもどこかで話した記憶があるが、母の兄は大阪でギター流しをやっていたらしく、また母の弟はアマチュアのフォークシンガーだった。フォークシンガーだった方の叔父はD-28を愛用していて幼かった僕にMartinのギターがいかに素晴らしいものであるかを語った。ブルーケースに納められたピカピカのMartinは僕にとっても眩いばかりだった。そういった事情もあってMartinのギターは三つ子の魂の如く、憧れの存在として僕の脳裏に刷り込まれているわけだ。
その後デビューを機に思い切ってローンを組んで買ったのがGibson J-200。3本目のギターだ。これはSMILE時代によくライブでも使っていたので記憶にある人もいるかもしれない。SMILEの3枚目までのアルバムはほぼこのJ-200と80年製のD-28で録音した。しばらくしてD-28は友人に譲ったがJ-200は今でも所有している。僕にとってこのJ-200はバンド時代を象徴する想い出深いギターだ。
上京して音楽が本業になるにつれて楽器にかける費用も増した。Martin D-41やGibson J-45 100周年モデルを入手する。ビンテージギターに興味が出てきたのもこの頃からだ。渋谷駅から当時所属していた事務所がある並木橋までの道すがらに小さなギターショップが店を構えていて、いつも程度の良さそうなビンテージギターが所狭しと並んでいた。ある日ふらっと店に入り試奏した68年製のGibson LG-1が弾きやすくて衝動買いをする。この時期に入手した3本のギターはすでに手元にないのだけれど、音はSMILEの4枚目のアルバムに収録されているので今でも音色を聞くことができる。それぞれ良いギターだったが、ほどなく新しいギターと入れ替えに手放すこととなった。LG-1とD-41はそれぞれ友人の元へ旅立ち、100周年モデルは札幌行きの航空機移動の際にボディが割れて使い物にならなくなってしまった。
Martinのギターは1969年の暮れを境に大幅に仕様が変更になる。これはワシントン条約に伴ってハカランダ材(ブラジリアンローズウッド)の輸出入が規制されたからだ。そうなると当然希少価値が上がるし、音色にも影響が出てくる。そのため69年までの個体をビンテージとする意見も多い。僕もいつかはハカランダMartinを弾いてみたいと思っていた口なので、昔働いていた楽器店に入荷したとの情報を耳にした時は迷わず浜松まで車を走らせた。到着した矢先に目に飛び込んで来たのは自分と同い年の1969年製D-28だ。少し状態に難があったけれど、これは出会いだとばかりに購入へと踏み切ることにした。しかしこの69年製はその当時の僕の腕では鳴らしきることができず、数年後に売却することになる。ビンテージギターは奥が深いのだ。
ソロ活動をスタートさせて間もなく、空輸によって壊れてしまった100周年J-45の代わりに入手したのが67年製のGibson J-45だ。生鳴りが抜群に良い個体でピックアップを付けずにレコーディング専用機として長らく愛用していた。自分のニューヨークレコーディングにもつれていったし、プロデュース作品のレコーディングでも大いに活躍してくれた。ただ60年代後半のGibsonのギターはナローネックのものが多く、このギターもそれにあたった。通常より細い握りのネックは好みが分かれるところなのだが、実は僕はあまり得意ではない。音が良かっただけに長いことそれには目をつぶって使用してきたのだけれど、先日とうとう手放すことにした。他のギターと持ち替えた時の違和感が大き過ぎるのだ。残念だけれど仕方がない。
この頃ライブ用に手に入れたのがGibson Southern Jumboだ。他にもGibson J-160Eはビンテージ品と新品の両方を入手した。しかしいずれも今ひとつ手に馴染まずすぐに手放してしまった。
40代の前半は若手アーティスト達のプロデュースワークに没頭していて自分のアーティスト活動どころではなかった。それでも周りからの後押しもあって40代のなかばからソロ活動を再開することになる。アコースティックギターを携えて全国を旅する機会が増えたのはこの頃からだ。再出発に際して新しい相棒が必要な気がした。その時に選んだのがMartin D-28 Marquisというモデルだ。これはレギュラーラインのD-28をビンテージ仕様へとグレードアップしたモデルになる。トップ材がシトカスプルースからアディロンダックスプルースに変更されていたり、バインディングがヘリンボーンになっていたりと他にも様々な変更が加えられている。通常のモデルに比べてパリッとした中音域寄りのサウンドに魅力があるギターだ。これにL.R.Baggs Anthemというピックアップシステムを付けて現在も使用している。
Gibson Hummingbirdは美しいギターだ。ピックガードにハチドリの絵柄が描かれている。川崎のビンテージギターショップに69年製の良い出物があり、試奏したところ音が素晴らしく、握りも太めのレギュラーネックだったため購入に至った。しかしワンツアー使ってみて、今の僕にはMartinのサウンドの方がフィットするように感じて早々に手放すこととなった。
作曲用にもアコースティックギターを使うことが多いのだけれど、アイデアがひらめいた時にさっと手に取るにはD-28は大きくて扱いづらい。もっと手軽に扱える小振りのギターはないかと探していたところGibson CF-100Eに行き着いた。スモールボディにフローレンタインカッタウェイ、P-90ピックアップ搭載とアコギとしては異質なモデルだけれど、そこがまた弾いていて楽しい。これを入手した直後に愛猫のトトが亡くなってしまったため、トトギターと名前を付けて普段から愛用している。
現在所有しているアコースティックギターは全部で4本。プロのミュージシャンとしてはけして多くはなく、むしろ少ないかもしれない。しかし1人が弾くには十分な数だ。SMILE時代のJ-200、ソロ弾き語りの相棒D-28 Marquis、トトギターの3本は上に記した。そしてもう1本ある。
Martinのギターを愛用している者としてはやはり最高峰のD-45は特別だ。ハカランダMartinと同じようにいつかは弾いてみたいと思っていた。その憧れのギターを、なんと、友人のみんなが資金を出し合って50歳の誕生日にプレゼントしてくれたのである。こんな夢のような話があるだろうか。このギターが自分にとって最後のギターになるかどうかはまだわからないけれど、いつの日か僕が、歌うことを辞めてステージから去る日まで、弾き続けてゆくことだろう。友人達の想いも抱えて。
最後に僕のアコースティックギター遍歴を記しておく。機種名の後の年号はビンテージギターの製造年。特に表記がないものは新品か中古品として入手している。こう見るとそんなに多くはないね。
01. Ovation Elite
02. Martin D-28(80年)
03. Gibson J-200
04. Martin D-41
05. Gibson J-45 100th
06. Gibson LG-1(68年)
07. Martin D-28(69年)
08. Gibson J-45(67年)
09. Gibson J-160E(68年)
10. Gibson Southern Jumbo
11. Gibson J-160E
12. Martin D-28 Marquis
13. Gibson Hummingbird(69年)
14. Gibson CF-100E
15. Martin D-45V