「初恋のVW」 愛車遍歴(四輪編)その2
普通自動車免許を取得できるのは18歳から。それは東京だろうが静岡だろうが日本全国どこでも同じだ。今はどうか知らないが当時の大抵の若者は高校三年になって進路が決まると、こぞって自動車学校に通ったものだった。僕は高校を中退したので進路も何もあったものではなかったが、18歳になったらすぐに免許が欲しいという気持ちは、高校に通う友人たちと同じように抱いていた。しかし自動車学校に通うのにも資金が必要だ。その頃すでに僕は親元(祖母の元)を離れ、アパートを借りながら自分で生計を立てていたため、金銭的な余裕などいっさいなく、友人たちが次々に免許を取り、買ったばかりの車で颯爽と街を流す姿を指をくわえて見ているほかなかった。
その後アルバイトで働いていた楽器店の店長から正社員への昇格の話を持ちかけられ、(当然それに応じ)それなりに安定した収入を得ることができるようになると、満を持して自動車学校に入校し普通免許を取得した。それが19歳。この時は本当に嬉しかった。これからはどんな遠くでも、自分が思い立った時に、気持ちの赴くままに行くことができる。それからうまく言えないけれど、走っている車の中に自分一人しかいないということがなんとも不思議な気分でならなかった。そんな感覚、わかるだろうか。
免許を取得して最初に手に入れた車は初期型のフォルクスワーゲン・ゴルフ(17型)だった。小型のテールランプが後期型に比べて最高にクールだ。それにささやかながらもスーパーカー辞典に掲載されていた憧れの一台である。浜松市内のとある中古車センターで格安の19万円で売りに出されていたのはラッキーだったけれど、黒いボディは再塗装されたもので明らかに素人の仕事だったし、ボンネットを開ければ黄緑の地の色が丸見えだった。シートはタバコの焦げ跡さえなかったが、ところどころシミだらけだ。(後にこのシミが...。)お世辞にも状態良好とは言い難い。けれども資金的にはそれが精一杯だったから、まあ贅沢は言えまい。
各種様々な不具合には目をつぶりながらも気に入って購入を決めた車だった。ところが、このあと再三にわたって困った事態になり、手を焼くことになる。
まずは「エンスト問題」。出勤時だろうが外出先だろうが、時所かまわずエンジンがかからなくなってしまうのだ。ついさっきまで(あるいは昨夜まで)調子良く走っていたと思ったら突然エンジンがうんともすんとも言わなくなる。セルモーターは元気に回っているからバッテリーの問題ではなさそうだ。こんな時映画や漫画なら車体をひと蹴りもすればプスプスと音を立てながらエンジン始動、なんてことになるのだろうけれど現実の世界ではそうもいかない。当然JAFの年会費を支払う余裕などあるはずもなく、周囲の見知らぬ人に助けを求めて押しがけを手伝ってもらったり、夜間の車通りが少ない時は仲間に連絡をつけてかけつけてもらったりと、とにかく周りには迷惑のかけどおしだった。販売店に問い合わせてみるものの、のらりくらりとした対応で、らちがあかない。中古車市場なんて現状販売が相場なのだろう。つまりはトランプのババ抜きのようなものだ。結局最後まで原因は究明できず、あきらめるしかなかった。こういうのを泣き寝入りと言うのだろうか。
手放すきっかけになったのはその後間もなく発症した「心霊問題」だ。
霊魂の存在を信じるか信じないかはさておいて、運転している最中に突然カビの匂いが漂ってきたと思ったら体が金縛り状態になり、そして無意識のうちに涙が溢れ出し気がつけば道路脇に車を停めてわんわんと泣いている自分がいる。信じられるだろうか。そんな不可解なことが二回か三回か。嘘のような本当の話です。知り合いの紹介で心霊に精通する方に見てもらったところ、その車は過去に死亡事故を起こした経緯があるらしく、シートのシミはその時の血痕という見立てだった。結局その場でお祓いをしていただき車は廃車にすることにした。
それが初めての愛車。フォルクスワーゲン・ゴルフ(17型)。さんざん酷い目にあわされたけれど、いつかまた程度が良いこの車に出逢ったら乗ってみたいと思う。それくらい大好きな僕の初恋の車です。
つづく...