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そこに「居る」ためのフルトラVRChat

僕は基本的に、「VRChat」へはフルトラでログインしている。現在の構成は以下の通りだ。

  • Varjo Aero

  • VALVE INDEXコントローラー

  • VIVE Tracker 3.0 × 3

「VRChat」における「フルトラ(フルトラッキング)」とは、「全身の動きを取得し、アバターなどへ反映すること」である。両手、両肘、両足、両膝、頭部、腰、胸部の動きをセンサーで取得し、自分のアバターと対応する箇所を動かす技術であり、VRヘッドセットとは別のデバイスが必要になる。

もともと僕は「10点体験してみてえなぁ」と思い立って2018年の時点でVIVE Tracker 2018を7つ仕入れた人間だったので、フルトラ環境には馴染みがあった。ただし常用はしていなかったし、「VRChat」への使用はそもそも「VRChat」に関心が薄かったのでやったことがなかった。
フルトラVRChatを初体験したのは2021年、HaritoraXを仕入れてからだった(仕入れた理由は「ほしくなったから」)。

HaritoraXは少々装着が面倒だが、Bluetoothで接続され、外部センサーいらずで動作する特性はやはり便利だ。稼働時間が短く、その割にトラッキング精度もそこそこだったVIVE Tracker 2018からステップアップすると、さらに便利さを痛感した。普段遣いデバイスへと昇格するのも時間の問題だった。

2021年の9月からHaritoraXつきの「VRChat」を開始し、その後は世間のメタバースブームに合わせて「VRChat」ログイン時間も増えていった。無論フルトラでのログインだ。途中からは、より精度が高く、装着が楽なVIVE Tracker 3.0へと乗り換えた。
そして今に至るまで、基本的にフルトラVRChatを継続している。誰に頼まれるでもなく、たとえ人に会う用事がなくとも、3つのトラッカーを装着してログインしている。

僕自身はパフォーマーでも、kawaiiを極めし人でもない。いわんやサキュバスでもない。なのになぜフルトラが手放せないのか。それは「そこに居る」感覚がほしいからだ。

はじめてのHaritoraXフルトラVRChat(2021.09.18 「Japan One Room」にて)

フルトラになって「Japan One Room」というワールドの床に座ったとき、それまで「VRChat」で感じたことがない居心地のよさを感じた。

フルトラではないとき、「VRChat」プレイ中に現実でしゃがんだりすると、アバターの下半身は適宜同じようにしゃがむ。しかし、しゃがみ方については厳密に反映してくれない。そして、床に腰を下ろしても同じような姿勢にはならない。
その動きの違いに「自分とアバターの乖離」を感じた。いかにすばらしい空間にいても、そこにいるのはアバターだけであり、自分はほんとうの意味ではいないのだと感じたのである。立位で移動するだけならばそうは感じないので、自分の「VRChat」の遊び方が「気に入ったワールドに行って風景写真を撮る(=自分はほぼ撮影せず、滞在もしない)」に偏ったのも、そのためだと考えている。

しかし、フルトラであれば、床に腰を下ろすと、アバターも同様に床に腰を下ろす。自分とアバターの動きが同期される。それによって「自分とアバターの乖離」は埋まっていき、アバターは文字通り「もう一つの自分」に一歩近づく――そんな感覚をおぼえたのである。

そして、アバターが「もう一つの自分」に近づいたことで、「アバターがいる場所」は自然と「自分がいる場所」に置換された。「Japan One Room」は古きよき日本の四畳半である。昭和を感じさせ、タバコや蚊取り線香の匂いが漂いそうな古びた一室に、自分が「居る」ように感じられたのだ。

そこから、「VRChat」での時間の使い方に少しだけ幅ができた。まずは気になるワールドに足を運んで、いい感じの写真を撮る。そして、本当に気に入ったらいったん腰を下ろす。床にベタに座ることもあれば、近くのゲーミングチェアに腰を下ろすこともある。そして座ったまま時間を一人費やす。気に入った空間に座り、居続けることで、空間の良さを味わう遊びだ。

その延長として、フレンドがよく集る場所にたむろするという楽しみ方が開けたような気がする。仲の良いフレンドと「いっしょにいるだけ」で、会話を挟まないゆるい時間を許容できるのも、「そこに居る」という感覚が芽生えたおかげのような気がする。
ソーシャルVRである「VRChat」の場合、コミュニケーションは必ずしも言語的ではない。同じワールドで、隣り合っていっしょの動画を見るだけ、あるいはよりシンプルに、近くにいるだけという、非言語コミュニケーションが成立し得る場所だと思う。そして、非言語コミュニケーションの没入度をより引き上げる効果を、フルトラは発揮している……のだと、僕は考えている。

そんな感じで魅力に気づいてから、僕はずっとフルトラで「VRChat」に入り浸っている。「動く」だけでなく「居る」ことにもフルトラが有用であるという発見は驚きでありつつ、「居る」ことも「動く」のうちなのかな、とも思ったりしている。

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