「フレンドにJoin」をおぼえるまで
今日は「VRChatから離れた話」が(良くも悪くも)盛り上がった気がするので、中和剤として「VRChatに近づいた話」を投げ込んでおこうと思う。
noteを見返すに、2021年の6月ごろまでは僕のVRChatはソロプレイ専門だった。いまでもinvite onlyでワールド巡りをすることはとても多いが、リアル知人以外とは接触すらしていかなった。
転機になったのは(手前味噌で恐縮なのですが)「NISSAN CROSSING」の取材に行った時。ここで文字通り様々な人にあった。いわゆる同業の人や、コミュニティでバリバリ活躍しているクリエイターやインフルエンサー。話には聞いていたり、Twitterで見かけたりしていたものの、実際にはお会いしたことがない人がほとんどだった。
こうした人たちと、この取材の場で偶然出会って知り合い、そしてフレンド交換をしたのが、いまに至るきっかけの一つだったと思う。自分の場合は特殊な例だと思うものの、多くの人にとってこれはイベントや集会の場になると思う。
その前後くらいに、ザッカーバーグが「メタバース」と唱え、世間にメタバースブームの波が生まれた。「NISSAN CROSSING」取材は本当にドンピシャなタイミングで舞い込んできたのだ。
同じくらいのタイミングで「お砂糖」という概念が急速に注目を集め、個人的にどういうものか知りたくなった。そこでとある人が開催してた小さめの集会にお邪魔した。
そこで、特に大きなプログラムが組まれているわけでもなく、集まった人がゆるい雰囲気でおしゃべりしたり、ワールドを探索したりといった、他愛のない遊びを体験した。本来の目的も多少満たしたものの、自分の中でひとつの収穫があった。「これはVRChatの『ケの日』の遊び方だ」と。
知ってる人、初対面の人を問わず、思い思いのアバターで、好きなワールドにたむろする。なにかリターンがあるかどうかはわからない。ただ、「そうしたあり方でそこに居る」こと自体が、個人的には意外なほど心地よかった。
もともとゲームなどで他人とコミュニケーションを取ることが好きではなかったタチなので、こうした感覚をおぼえるのは本当に意外だった。とはいえ、フレンドになったとしても「いきなりお邪魔してよいものか」と身構えてしまうのは、しばらく変わらなかった。「いきなり押しかけたら変な顔されない?」という思い込みはぬぐえなかったので、「お邪魔します!」と宣言した上で行く、というケースが多かった。
その認識が変わり始めたタイミングは定かではない。ただ、一つの転換点ではなく、ちょっとずつ段階を経て「そうなった」ような認識がある。
ひとつの契機は「SANRIO Virtual FES in Sanrio Puroland」だと思う。アストネスさん依頼での取材、B4F先行公開時、そして当日、の3回に分けて行ったイベントになった。「NISSAN CROSSING」と違うのは、最初は取材目的で行ったものが、それ以降は完全に参加者として行ったことだろう。
ただただ楽しかった。VTuberファンとしてライブも楽しんだけど、同時に会場に集まるいろいろな人と遭遇し、なんなら会話が発生する、そのドライブ感が楽しかった。取材現場でお会いした人とお互いに一般参加者として出会うこともあったし、ここで初めて面識を得た方もいた。そうした方々と、各ステージの合間に会い、熱気をシェアする感覚が心地よかった。
そして、ALT3は生まれて初めての大規模同時接続会場だった。設定をミスったのであまりに重すぎ、世界がクラックされているような感覚すら覚えたけど、無数の人々とともに夜を踊り明かすのはただただ楽しかった。
2日間のバーチャルピューロランドでの日々は、「VRChatという場の引力」をおそらく肌感覚で初めて感じ取った、最初の日々だったようにも感じる。
その後、リアルがあまりに多忙すぎてマジギレする手前に陥り、そして勢いで仕事を辞め、勢い余ってフリーライターとして飛び出した。その矢先に、『VRChatガイドブック』を買い、勢いで出版記念イベントに飛び込んだ。2022年はマジで勢いでしか生きていない。
この一夜が最高に楽しかった。まつゆうさんと和尚さんをハブに、ここでもいろいろな人と知り合った(「VRChatでははじめまして!」という人もいた)。その上で、ポピー横丁の喧騒が心地よかった。3MarcoさんのDJは無限に続き、参加者も踊り狂い、あるいは寝落ちした。「SANRIO Virtual FES in Sanrio Puroland」が「みんなでイベントを楽しむ」時間だったとしたら、この日のポピ横の夜は「ポピ横という場をみんなで楽しむ」時間だった。
ハレの日とケの日の狭間。ある夜にふと現れる祝祭的な空間。その後もちょくちょく遭遇することになるが、VRChatには「眠らない盛り場」がいくつもある。そこはだいたいアルコールが回っている。つまり、(節度を守った範囲で)ノリと勢いでコミュニケーションが成立する。僕は案外、そうした場所が好きだった。
そして、フリーライター化してからいくつかの取材を体験する。その一つが、バーチャル美少女ねむちゃんとの対談だった。
この取材には実は裏話がいくつかある。その一つは、「実は数年前にねむちゃんとエンカウントしたことがあるが、VR空間で対面したことがなかった」と取材時に気づいたことだ。取材後、「今度はVRChat上で会いましょう」とフレンド登録を交わしたあと、たまたまログインしているねむちゃんに気づいた。明らかにおもしろそうなことが起きそうな予感を感じ、意を決してJoinした。なんでもない日に自分からJoinしたのは、この日が初めてだったと思う。
実際、すごいことになっていた。この日は深夜2時半くらいまで、いろいろなおもしろい話を聞くことができた。知的好奇心を満たし、情報を交換する、興味深い時間を体験することができた。
この日を境に、「なにやらおもしろそうだな」と予感できる場には、思い切ってJoinできるようになっていった。そして最近は、Joinした先で新しい人と出会い、フレンド登録を交わすことも増えてきた。だんだんと「いつメン」の概念もできつつある気がするし、そして「いつメン」の範囲は、少しずつだけど広がっているように感じる。
だいたい半年くらいで、僕にとってのVRChatは「用があるときに行く」ものから、「なにかと理由をつけてとにかく行く」ものへと変わりつつある。その分水嶺は、人との交流の楽しさを本格的におぼえたからだろう。去年の6月頃の自分に語り聞かせたらびっくりされそうだ(「まぁあり得るだろうな」で終わりそうな気もしないでもない)。
一方で、一人で遊ぶVRChatも未だに続いている。強いて言えば、ホームワールドでオーバーレイツールを使ってYouTubeをダラダラと流す時間が増えた。VRChatを「行く場所」から「居る場所」へと認識を改めつつあるのかもしれない。
では、なにかと理由をつけてでもログインしたVRChatでなにをやっているかと言えば、だいたいが「おしゃべり」だ。それが直接的になにか仕事などにつながるとは限らない。ただ、意外と「先」へつながることは多い。日々、他愛のないコミュニケーションを交わしていた相手と、あるきっかけでともになにかに取り組んだり、関わったりすることは、かなりある。よっぽど反りが合わない場合を除けば、「100%無駄なコミュニケーション」はそうそうないものだ。
実利と実益を優先し、効率的に人生を送りたいという人は多い。そうした人はたまに、「世の中の役に立たないもの」を軽視することがある。その方がいろいろと効率的に世渡りを進められるのは事実だろうし、そうせざるを得ないときもままある。
だけど、無駄や寄り道とされているものの中に、意外と大切なものが眠っていたりする。それを集めていくと、ボーナスアイテムのように人生に彩りと幅が生まれる。ある場所で偶然出会った人となんでもない雑談をしていて、思わずハッとさせられる気づきや、新しい知見を得ることは、実際に多い。いわんやVRChatユーザーの多くはアーリーアダプターからアーリーマジョリティなので、なにかしらの一芸に秀でていたり、目を見張るような知見や思想の持ち主であることがとても多いのだ。
そんな人たちと、ときにランダムに、ときに恣意的に、リアルタイムでコミュニケーションを取れる場としてのVRChatに、いま、僕はハマっている。