新ザ ボディ
安田は北京にいた。
日夕新聞の北京支局は20階建てビルの七階にあった。お昼には一時間も早いが昼食に出かけることにした。事務員の遠山春子と大学生通訳アルバイトの莉々に声をかけた。莉々の本名は何華である。He Fuaである。
アルバイト採用時に名前が「へ」と初めて聞いたとき安田は笑いをかみ殺したが、莉々は気がついてしまった。むっとした表情に気がついて謝ったのは当然である。
3人だけのこじんまりした支局である。
「エレベーターが混むから早く出よう、食事に行かないか」
遠山が答えた。
「支局長、さすがに早すぎませんか」
笑いながら
「私お弁当作ってきたんです。、莉々さんと行ってらっしゃい」
「そうか、残念だな奢るつもりだったのに」
にやりと笑って続けた。莉々さん、行こう二人でデートだよ」
「わあ嬉しいです。なに食べますか」
「火鍋はどうかな」
「大好きです。近くに新しくできて美味しいお店あるです」
「そうか、さすが地元の大学生だね、情報通だ、そこに行こう」
二人はエレベーターに向かったが既に3人ほどが待っていた。
一台しか無いエレベーターはいつも来るのが遅い。各階止まりが普通だからだ。出勤時も退社時もお昼時も、ぎゅうぎゅう詰めで乗ってくるのでいつも難儀だ。
中国の建築は採算重視が過ぎる、いや設計者が二台設定してもオーナーが減らすのかもしれない。そんな国だ。
しかも過積載のブザーが鳴っても誰一人降りようとしない。この国民性は一朝一夕には変わらないだろう。渋々最後の人間が降りる。
幸いにも空のエレベーターがすぐに来た。3人に続けて乗り込んだ。 ようやく外に出たが相変わらず空気が霞んでいる。
いつも安田は思う。早く日本に帰らないと喘息持ちになりそうだ。今は初夏だからまだましだ。
冬は個人住宅では石炭をばんばん燃やすし、地域にお湯を配給する施設でも高い煙突から煙りを吐き出すのでYシャツは一日で首回りが黒くなる。
その火鍋店は2ブロック先に有った。入るとツンと感じる春菜の匂いに囲まれた。
安田はようようこの匂いに慣れてきた。北京に赴任した当初は苦手で避けていた。
しかしここ中国では春菜と葱の匂いから逃れて餐庁で食事をすることはできない。
韓国におけるキムチのようなものである。大蒜嫌いではかの国では生きていけない。
大げさではあるが安田は白米と味噌汁がないと我慢できないほどの和食党である。
もちろん高級なホテルの餐庁ではそのようなことはない。
入店してすぐに十数種の薬味とスープのコーナーがあり、続けて色々な肉類、野菜類と大盛りの春菜の皿が並んでいる。肉は安田にはゲテモノに値する部位が多く並んでいる。
そして大量の唐辛子の粉の皿がが鎮座している。。付いているスプーンも大柄なサイズで有った。
米とコウリャンの粥が並んでいる。
二人はそれぞれに好みの惣菜を取った。
莉々の皿を見ると肉と野菜の他にピータンがあり、鶏の足の燻製が乗っている。
店員に渡すと大きな鍋に入れて茹でてくれる。
テーブルに着くと嬉しげに莉々は満面の笑顔で食べ始めた。唐辛子の赤い粉をたっぷりとかけて、ことも投げに口に放り込む。
安田は少量の肉と野菜と、大きなお椀に入れたお粥に取りかかった。
周りのテーブルも混んできて大声の会話が響いてきた。安田は隣の若い娘たちの大声に驚いてしばし視線を向けた。
莉々に目を戻すと鶏の足に食らいついていた。どちらかと言えば可愛い小さな口が鶏の足をしゃぶる様は見たくない。
莉々は安田の視線に気づいて言った。
「何か変ですか」
「いや、変じゃないが、どちらかと言えばその可愛いお口とはキスしたくない。ハハハ」
「安田さん、どうしてそんなこと言いますか。これは普通に中国人食べるよ」
「いや、ごめん、日本人は苦手なんだよ」
「そうね、知ってる。リーベンレンは好き嫌いが大きいね」
「そうだね、日本人はもともと草食系なのさ、肉を普通に食べるのはまだ百年くらい前からだからね、もっとも鶏は昔から食べているが」
「こんなに美味しいのに食べないは可愛そうです」
いかん、話題を変えようと安田は思ったが、もとより女の子と二人きりの食事なんて生涯で初めてかもしれないと思いだして、次の言葉に詰まった。
思う間もなく、莉々の行動が安田を困らせた。
いきなり残っていた鶏の足を安田の皿に乗せて言い放った。
「これ食べないと私怒るよ」
可愛く膨れた莉々の頬はすでに少し怒っているようだ。
安田は困惑した、中国人の食生活を侮辱したのか。
「悪かった。試してみるよ」
こんなことでギクシャクするのはまずい。安田は思い切って口に運んだ。
それは肉などは薄くて腹の足しにはなりそうも無いが、ゼリー状の皮と少しの肉が口の中に香ばしい香りと濃い甘さをもたらした。
意外にも莉々は驚いて言った。
「私の日本語の先生はリーベンレンだけど、絶対に食べなかったよ。安田さんは勇気あるね。これなら旦那さんにできるかもね」
おどけて言ったが、莉々は罠に嵌まったなと喜んでる風であった。
「莉々の旦那さんにしてくれるの、嬉しいな」
「考えてもいいです」
「いや冗談だからハハ」
「私はそんなこと冗談では言わないです」
むっとした莉利の態度に安田は慌てた。
「いやご免ご免」
莉々はいたずらな目をして笑った。
二人は二十歳も年が違うし、職場の上司とアルバイトの違いを超えてなんだか一気に近づいた感がある。
「ママが安田さんを連れてきなさいと言ってるです。我が家の餃子をご馳走したいと言ってるです」
「それは光栄ですね、ご家庭に招待されるのは信頼されている証ですからね」
「いつ来ますか。今晩にしましょう」
安田は慌てた。日本人のペースじゃない。
「私、知ってます。春子さんから聞きました。安田さんの晩飯はカップラーメンとかいつも良くないもの食べてる」
「いや、それは本社に送る原稿を書きながらだから、ついついご飯はそうなる。・・・分かった今日行きます。お願いします」
莉々は満面の顔でうなずくと、なんとすぐに携帯を取り出し、ママに連絡しているようだ。
とんでもない展開に安田は驚くばかりであった。
※
国会参議院において新臓器移植法案は先立って通過した衆議員に続き、いとも簡単に可決され、即日施行された。即日施行は珍しいことである。一刻も待てない議員がいるからだ。新しい臓器さえ有れば生きながらえる高齢議員が多い老害国会所以であろう。しかも全身が一気に新しい臓器となる。
これほどの大きな案件ならば一揉めも二揉めもありそうだが、成立により誰も損がない、どころか、利益に預かる業界が多い。個人も同様である。当たり前だが基本的に団体は個人の集合である。構成員個人の意見よりも総意が空気となって個人の意見は封殺されていると思われがちだが、権力者の場合は少し違う。
まさに、あうんの呼吸であった法案の可決である。老若男女、貴賤貧富にいたるまでが、あうんの呼吸により乗っかったがためか新聞・テレビ・週刊誌に批判的記事は無かったのである。
ただネット上には批判意見はあったが、ええかっこしいだの、黙れだの圧倒的な法案賛成派の前にはなす術もないがごときであった。
みんながドナーになるよりもドナーを得られると考えていたのだろう。戦闘場面において敵に向かって強力なマシンガンを打ちまくり、自らは被弾しても死なないし痛くもない戦闘ゲームの中の心境と同様なものである。
※
銀座の裏通り、法案通過後の一か月後のとある土曜日午後八時、場末の雰囲気もただよわせたバーの店内はカウンターに8席四人がけテーブル席が2つの16人ほどの椅子しかない。客はまばらだった。
銀座は華やかな店ばかりじゃない。外れ街は若い綺麗なホステスが揃っていない。しかし気の利いたバーテンダーのいる店なら有る。それこそが銀座ならではだろう。田舎では探してもまずは無い店である。カラオケが五月蝿いスナックならどんな田舎でも見つけられるだろう。
磨き抜かれた渋い光沢を発するマホガニーのカウンターのスツールに並んで腰をおろし、オンザロックをちびちび飲みながら新聞記者の安田は言った。
「なんでも遅い政府や官僚だが、これはえらく早かったな。」
高校時代からの友人で外科医をやっている真鍋はにやりと答えた。
「そりゃそうだろ、政治家もキャリア官僚も一番欲しいものを手に入れられない年齢層だ。なんとしても早く成立させないと自分の番に間に合わない。そうなっては一貫の終わりだからな。かっては年金を食い物にし天下りに渡りと、なんでも自分らの利益を一番にして国民を騙してきた連中だ。それこそ迅速に前向きに努力いたしました、ってとこだろ」
医者には珍しく反体制的な言動が多いのは会社員の息子として生まれて苦学して国立大学の医学部に入ったせいだろう。在学中は医学書を買うにも苦労していたと安田も知っている。医師国家試験に真鍋はストレートで合格した。高校受験、大学受験、医師試験すべて一発合格の勉強家である。
「法案成立後もう一か月が経過している。随分と参入者も増えたもんだな、そりゃそうだ命が買えるとなりゃ人の目の色は変わる。」
安田が言うと怪訝な顔で真鍋が問うた。
「どうやって命を買う。参入とはどういう意味なの」
「ドナーを買うってことさ。その代理業務を行うことが合法になった。今でも権力者や富裕層は中国で臓器を買って命を永らえている、海外にも売られている情報もある。それが臓器だけじゃなく全身をそっくり買って自分の脳を移植して再生するってことさ。もうドナーどころじゃないボディーそのものだ。そのボディを供給するビジネスだよ」
「臓器を盗む話は聞くがボディとなると殺人が起きないか。真偽の程はどうなんだろう」
「そこだよ、国会議員は老人も多く自分もその恩恵に預かりたいから危ない部分には目をつぶり見切り発車したと思う。なんと言っても金も権力も女にも貪欲で手に入れても、若さと健康はどうにもならない。国民の為なんて口で言うほど立派な連中じゃないよ。ジャーナリストも同じだ」
「自分を卑下する必要はないよ、人道的な部分は他国を批判する義務まではない、権利とでも言うべきかな」
真鍋の慰めにも似た意見に少し笑いを取り戻しては安田は続けた。
「今のところ日本人だけで外国人には解放されていないからまだこの程度だが、万が一開放されるとなれば、毎月のお手当てはいくらになるかわかったもんじゃない。日本が世界初だから帰化希望者殺到だろう。国籍を高く売れば相当な国家収入になりそうだ。まあ国が表立って収入源にするわけはないが。」
これでついに男も、娼婦のように体だけで大金を稼げる時代になった。しかも何もしないで。自然死するまでは生きていられる。
さらに真鍋は訊いた。医者といえど、いや医者だけに金のことは気になる。看護師、受付の人件費に高額の医療機器のリース代金、医者一人の開業医は健康を害し働けなくなったら破産の道しかない。高額な保険に入るのは当然である。
真鍋は聞いた。
「それはそうと、今は月額いくらの相場だね」
やや沈黙してから安田が答えた。
「今は20歳の男で身長175センチ以上体重70キロ標準で月額50万円から200万円だな。やはり顔や体しだいで数倍の開きはあるが、女の場合は10倍以上も差があるらしい。全額一度払いもあるようだ。最高の女だったらそうだろうな、女は美貌にこだわるからな。必ず美しい女を選ぶだろうしかしボディになると巧妙な殺しを仕掛けられるだろ」
真鍋は相槌を打った。
「まあそうだな、その覚悟がボディには必要かもしれない。
どうにも医者としての倫理観とかそんなもの超越しちゃってるよ。ま、不審死ではないことを証明するだけなんだが、薬物でもわかりやすいのは良いがまだ検出の難しいものとか新薬だとな疑わしきは罰せずと判断するしかない」
安田は気が付いて言った。
「自殺者の多くは金に困って追いつめられて決行するんだから、自殺者は減るってことだな。
しかしボディになると殺人のターゲットになる宿命からは逃れられない。金を得ても命の保証は無い。
しかし、別の方法も実は有る。脳の入れ替え移植だ。これなら殺人は起きない。ボディ提供者は金を得る代わりにポンコツの体に入れ替わる」
真鍋は答えた。
「そうか、その手も有るな。患者を並べて置いて脳を交換移植するのか、確かに殺人は生じないし、ボディ購入者はボディ提供者の殺しを依頼せずに済む。しかし医療スタッフが2チーム必要になるな」
続けて安田が言った。
「外国人に許可されてないのに、すでに数百人以上のオーダーが来た。どうやら某国の石油関係者らしい。
五年契約で一人百万ドル払う契約だ。都合一億ドルになる。腐敗汚職の凄さだ。幾ら金が有っても命が無ければ意味がないからな」
「凄いな、金への妄執が凄い奴は寿命にも貪欲なわけだ」
「そういう事だ。医者のお前だって足下にも及ばんだろう」
真鍋は苦笑しながら言った。
「医者はそれ程良い商売でもないぞ。最新の機器を揃えれば軽く数億は普通に借金を負うし、一日中診察室から逃げ出せん。病原菌に囲まれている。もしもウイルスが肉眼で見えたらゾッとするだろうな、悲惨な職場環境とも言える」
さらに真鍋はしみじみと言った。
「医者よりも月額100万円もらえればそのほうがいいかもしれん。医者はきつい仕事だからな。」
安田は茶化して言った。
「ま、わからんでもない。俺も月額100万円でいいぞ。遊んで暮らせるからな」
そこで安田はブリーフケースから小冊子を取り出して真鍋に見せた。
「これはまだ誰にも見せてない、懇意な印刷屋で手に入れた版下のコピーだよ」
保険業界は色々な商品を売り出した。他の業界からもいろいろな商品が出てきた。もちろん若返りたい、或いは死にたくない富裕層あての商品である。
■当社のゲンキデルバイは月々100万円から、3年以内に30歳未満の肉体(ボディ)を提供します。(登録するだけで発生する料金でありボロ儲けである)
弊社は「ボディ」の情報および在庫が業界一位です。WEB上から随時新しい「ボディ」をご覧になれます。一括払い価格は3千万円から2億円まで揃っています。新鮮な「ボディ」をご用意できます。■
そしてイラストの人体の図があり他人の人体に脳を移植する様が一例として説明されている。
安田は笑って言った。
「これを見たときには驚いたよ、法律上許されるのか。近い将来にボディを提供するなんて保証するってことは万が一自然死の提供ができない場合は殺人してでも提供するってことかな」
「おいおい、そんなことはさすがにできないし広告もできないだろう。しかし施行後一か月でもうそんな商品カタログがあるのか」
「あ、これはまだ版下のコピーだよ、さすがに昨日の今日じゃ保険屋にも どんな批判が飛んでくるかわからんだろう。社名はまだ乗せてない。流通するのはまだ先だよ。しがない俺でも記者の端くれだからこんな裏情報も取れる。
このカタログのコピーも手に入れるのにはそれなりの苦労と言うかこれまでの手間暇をかけた賜物だぜ。業界にはいろいろな業界からの参入があるが、お互いに睨みあいでどんな広告が出てくるか生唾を呑んで待っている状態だな。
なんせ先物取引業界やFX業界も相当入ってきてるからな。さすがにいつの時代も目を付けるのは早い業界だ。産業廃棄物関係と老人介護業界も来てるな。
太陽光発電業界はもちろんだ。
それより、3年以内に提供しますって書いてあるぜ、そんな人間の脳死のボディを確実に入手するには殺人しかないだろう、と思うだろ。実は世界は広い、海外に目を向ければ幾らでも有るのが現実だよ。注文に応じて揃えちゃうことは否定できないがね」
真鍋は安田から受け取りじっくりと目を通した。
「免責条項があるだろ、小さめの字でな。どれどれ
あるある、小さい字だな、万が一該当の商品がない場合および ご希望の商品がない場合は別紙による規定に基づき計算された金額でご返金する場合があります。なお、当契約締結後は上記の商品該当がない場合にあたり、双方ともに債務および債権は発生せず訴訟等の権利も無いこととします。やはりそうだろ」
「なるほど医者だけにその辺はお見通しだな」
「そりゃそうだよ、医療過誤だのなんだの訴訟はたまらんからね、免責条項をつけてもすんなりそのとおりには行かないこともあるからな。そのあたりは敏感なのが医者だよ。しかし商品とは恐れ入った」
「まあ、肉体と言ってみたり商品と言ってみたり、単なるドナーじゃないからな、普通はドナーになると生前に意思表示しても金にはならんが、これは相当な収入となる。今回の臓器移植法改正の最大の要諦さ」
「ややこしいな。英語じゃ死体をボディと言うから、ボディでどうだろう。ザ ボディだな。始まったばかりだからどうなっていくのかわからんうちにカタログを出すんだから保険屋も凄いね。人の生死の情報を掴むノウハウが豊富だろうし、まあ、脳死移植法案に関して事前にかなり情報を掴んではいるんだろうがね」
安田は嘆息してつぶやいた。
「しかし通らないと思われていたのに通ってしまった凄い法案だ」
※
何でも反対のをあげてごり押しし、かつ投票率が高くて確実な票田である老人が一番喜ぶ法案であることが大きい。
しかも国内外の富裕層から歓迎され、医療ツアーを仕組めば殺到してくるだろう。つまり多額な外貨も稼げるのだ。
保険適用診療はとてもじゃないが当分どころか半永久的に無理であろう。
自由診療になるので破格の高額医療費負担が当然予想される。
だから貧乏人には関係ない法案ではあったが、なんとなく自分にもご利益が回って来ると 悲しい誤解をするのが世人の常だ。
万人の知るオイルマネーの巨大な資金とウオール街を中心とするファンドマネーの莫大な資金が惜しげも無く支払われるだろう。
当然世界中の超リッチな富裕層のお財布であるグローバルに世界中を泳ぎまわる冷酷な、つまり合理的なファンドが早くも暗躍を始めた。
AIの進歩とメカトロニクスとの融合こそが脳移植の要である。
不老不死の儚い夢であったことが現実に可能になった以上、全財産を投げ打っても若さと健康を買うだろう。
いや命そのものを買うだろう。多くの資産家が誰よりも強欲であり吝嗇であることを否定する人は少ない。
しかし吝嗇な資産家でも自分の脳移植には流石に出し惜しみせずに出すだろう。実際に施術できる優れた医者と肝心のドナーつまり「ボディ」の供給は限られている。
生きてるうちに施術を受ける為には上位の順番を確保しなければならない。当然ながら事前に多くの支払いを現金で治める者の勝利である。
そこでは値引き交渉などは無意味である。
クライアントは無限にいる。なぜなら供給が需給を満たすことは永遠にないからだ。
表面上損傷のない若いボディが自然死する場合は極稀である。そこには殺人を否定できない因子がある。
とかく西側諸国では容認されないリンチ処刑し放題の国では別段不思議とも思えない。ボディ輸出は石油密輸出よりも遥かに簡単で高額な収入源である。
どこよりもフレッシュなボディの供給ができる。しかもボディが生きている間は足があるので移動運搬が簡単きわまる。生存している間は腐敗も劣化もしない。
計り知れない巨額の産業として周辺や縁の無かった業界でも涎を垂らしている。
日本ですら脳死判定の問題も既に数十年を経過して今さら人権団体なども騒がない。
宗教も政治的な思想の違いなど何も意味を持たない、東西南北の指導者たちの意思が衝突するどころか、暗殺、虐殺にまみれた巨額の不正な蓄財をなした独裁者たちはこぞって問い合わせてきた。
聖職者とされてきた人々も裏で浅ましく権利取得に励んでいると聞く。宗教はファンドも敵わぬほどの資力を持っている。つまりこれまで例のない世界中の意思と利益が一致した世界標準のグローバルスタンダードである。ましてや宗教にルーズな日本で世界初にスムーズに成立するのは当然であった。
新臓器移植法には国民が気づかない恐るべき内容が隠れていたのである。ボディの売買が合法化されていたのである。さらに買い取り予約が可能となったのである。
患者は移植を受けるのでは無い、自らの脳を他人のボディに移植するのである、外観は他人となるが中身は新しい肉体を得た本人である。
ボディは脳に支配されている。脳こそが人間であり人格であり、主人である。ボディは物体に過ぎず脳に従属して初めて存在の意味を持つ。
そして医者の発行する証明書を市役所に提出すれば、新しい風貌が登録できる。免許証は勿論パスポートの写真も変更できる。。ここまでも、新法案は合法としたのである。
かっての日本は欧米の後を追い同性のカップルにも婚姻と同等の権利を認めた。それよりもインパクトは比べようも無く大きい。
日本では男同士のゲイは今さら法律で許認可せずとも良いと思われる。陰間の存在は古来誰もが知る世界だったのだ。
表面上は臓器移植に見えるが、脳移植技術そのものがほぼ完成の域に達した故に成り立った法案である。
ロボット技術が精密なオペを可能にしたのだ。
あらゆる神経のどれがどの神経なのかをほぼ自動的に検出する技術こそが脳移植技術の要諦であった。開発者の名前は不明である。特許申請もなされていない。
脳移植のアイデアは実現性のない時代からすでに公知の事実だったので特許取得の要件は既になかったのである。
まさにロボット大国日本の独壇場である。世界中の興味を惹き、とくにセレブの高齢者は早くも日本へ押し寄せている。観光を兼ねて専用ジェットで来る人々が激増している。
国籍を日本人に限定した法律であるから、早く日本に定住して帰化をする必要がある。
現在では、よぼよぼの老人の脳を元気はつらつの若い「ボディ」に移植できる。一気に若い肉体を持ち金もたっぷりある。想像するまでも無く、果てしないビッグビジネスが誕生するだろう。
もうバイアグラなんてものにこだわらなくても、すばらしいスタミナを取り戻せるのだ。もしもボディが美貌の青年ならば金なんか無くたって女に持てるじゃないか。
また、叔父さんの脳をうら若い女性の頭部へ移植できるのである。これも大きな需要があるだろう。美女のボディを入手するのは簡単でない事は当然であろう。
性同一性障害の人々にはこれほどの朗報はない。完璧な男(女)として堂々と生きていける。
脳もボディも完全に一致して戸籍上も全く不具合がない。ある日いつものように普通にもてないあなたが今夜町で美女と遭遇し意気投合して、なんとホテルまで行く幸甚に巡りあったとする。あり得ないけど。
しかし美女の脳は元男だった。意気投合するのも当然。同じように満員電車に揺られて通勤し自分を殺して会社の社畜として生きてきた戦友なので話があって当然であったのだ。(無論そのような庶民には負担できる金額では無い。)
あなたは疑わずにそのまま気にしないでセックスできるだろうか。
VIPでもない者にハニー・トラップを仕掛ける国などないだろうが、 万にひとつ起きたとして嵌まらない者は居ないだろう。
またしても官僚の複雑で巧妙な法律条文でいかにも「ボディ」の売買は不可能であるかのように偽装されていた。
「脳死を完全に認めうる条件を満たすときに限り、またその脳死に至る原因が明らかな他殺および自殺であるときは脳以外の臓器その他を移植または受け入れることを予定し売買することを禁止する」
要するにすんなり読めば禁止法案なのである。売買しても良いとも記述はない。すると臓器売買そのものが当たり前であり正義であるかのごときであるが、実は臓器の売買は認められていない。
小さなあるいは一部の臓器についての売買は犯罪である。しかるにボディ全体の場合は犯罪ではない、正義であるというややこしいことになった。
馬鹿馬鹿しいがその根拠は書いてないからだ。
非戦闘艦艇を持ち、ミサイルも戦闘機も持つのに軍事力を持たないという憲法がまかりとおるのである国だから、違和感を抱かない国民が醸成されてきたのだろう。
憲法を弄ろうとすると国中がひっくり返る大騒ぎをする兎に角現状維持の好きな国民である。
だからこのような死生観を根本から変える今回の法改正はまことに短い条文の訂正によってのみ成されたのである。短ければ短いほど法解釈に恣意的な運用も可能となる。
新法案は従来の法に対して「下位」であるので新法案は「細部」において優先されるのである。ああ、ややこしい。しかし法律上の問題は巨額の資金の前には無意味であろう。
医者とロボット施術システムとボディとを特殊な国へ持ち込めばなんとでもなる。
まさに地獄の沙汰も金次第となる。実際に、医師と手術ロボットのセットを取り敢えず一千億円で買いたいと中東の石油算出国からオファーが来ている。
納入第一号の取り合いになって、ブローカーまで暗躍して札束が舞っている、そんな噂がネット上に溢れている。
そもそも、国内においては合法だの非合法だの騒いでいても、国境を越えたならば、何の支障もない国が多く存在する。独裁国家ならば、全く躊躇は不要である。専門医とIQの高い素質ある者は誘拐される危険も生じた。
医者は即戦力として、若者は医学の専門技術を学ばせる奴隷として利用するのだ。医学全般を学ばせる必要は無く、脳移植の専門だけを学ばせる。
麻酔や循環器の専門医は既存事業の医者を誘拐すれば足りる。麻酔医と循環器系の医者を患者のベッドサイドに立ち会わせて、移植手術そのものは遠隔地からのリモート手術で済む。
リモート手術する側は薬の匂いも血の匂いも無い場所で操作する。
無人攻撃機から数千キロも離れた冷暖房の完備の快適なシミュレーション部屋から爆弾投下するようなものである。
安山電機、西芝、日向製作所の医療ロボット製造メーカーの株価はウナギのぼりである。連日のストップ高でもう一ヶ月で二倍越えで、まだ値がつかない。全世界の脳外科医は既に報酬が三倍にもなった。
いやそれ以上の噂も多い。アメリカに拠点を置く巨額資金を動かすファンドや中東石油資本などは優秀な学生を集めるために多額の奨学金を準備し始めた。
殺人が原因である脳死の「ボディ」は認められないようである。さすがに「殺人」の用語を用いることをためらったのだろうが、逆にここがあやふやでは恐ろしい事態が増えるのではないか。
条文のあやふやさについての批判を寡聞にして知らない。あわよくば自分らも若い肉体を手に入れ、若い娘を囲うことだってできる。(金も有るし)
しかもあらかじめその料金を支払うことも可能となった。ジャーナリズムはこちらを選んだのではないか。とりあえず自らも若い「ザ ボディ」を手に入れる道を。
※
深夜の新宿西口マンハッタン、冷たいビル風が吹き抜けるが、眩い新宿の灯りに照らされる空に雲は見えない、上空の風も強いようだ。おかげで珍しくかなりの星が見える。少ない通行人もコートの襟を立てて抵抗しているが、裾がバタバタとあおられている。
高層ビルの間を車が絶え間なく走るが、走る男に視線を飛ばすドライバーはいない。そのほとんどはタクシーだった。何が起きようと、タクシードライバーには興味が無いのだ。たまに事故現場に遭遇しても興味は無い。手を上げてタクシーを止める人だけが彼らの興味を引く存在だった。
「はあはあ」
息を切らして良男は走った。どうも今日は背後からの視線を感じる気がした。
最後のピアノ演奏を弾き終えてクラブを出てからひと気のない歩道を駅へと向かっていた。尾行されてる気がしてコンビニを出てすぐの角を左に曲がってから全力疾走して次の角を右に曲がった。なんとかまいたようだ。
しかし本当に尾行者がいたのかわからない。これまでそのような経験も無ければ裏世界に関わり合いになるような危ない仕事をしたことも無い。
覚醒剤やマリファナにも縁がない。ともすればアーチスト、とくにミュージック系は疑われがちだが良男は幾度かの誘惑にも乗らなかった。警察にマークされる覚えもないのだ。
顔をしっかり確認していない。いかにも探偵のような山高帽をかぶっていたのがそれらしい。明日も出没すれば間違いなく尾行者だ。
まさか殺し屋だろうか、いやそんなことをすれば俺のボディは使えないはずだ、それとも金だけとって逃げるのを警戒しているのだろうか。
あの会社は西芝が親会社だから西芝ボディ株式会社と看板がでていた。他の大手グループ会社が他のフロアにも入っている20階建てのビルにあった。そんな会社が殺人なんてするはずは無い。
そう考えて良男は冷静になった。息を整えるまで5分もかかった。若いとはいえのんべんだらりと暮らしていては体も鈍る。
バイトに明け暮れた時代からもう1年以上も過ぎた気がする。その頃はそれなりに体を使う仕事をしたが今はピアノを弾くだけでなんらの運動もしてない。
10日前、契約時に百万円を一か月分としてもらった。契約時の臨時金でさらに百万円も貰った。二百万円はバイト時代の一年の稼ぎにも近い大金である。百万を超えるこれだけのお金は中流以上の世間ではたいした額でもないだろうが、良男にとっては初めてであった。
実家は鉄工所を営むが、さほど裕福でもなく良男は厳しい躾を受けた。ピアノ教室だけは通わせてくれたものの小遣いは僅かしか与えられなかった。ピアノよりもギターに興味があり、バンド活動にのめり込んだ。結果は学業に身が入らず受験競争の敗者となった。
しかしかろうじて東京生活の糧となったのは皮肉にもクラブでのピアノ演奏であった。
※
大学進学で東京に出てきたが卒業しても就職などする気も無く、音楽で身を立てると言うと父の怒りを買いそれきり仕送りを止められた。
帰郷するたびに美智子と会いはしていたし、美智子も数度上京していたが、一緒に暮らしたいと言う美智子を押しとどめていた。
しかし良男は生計を立てる目処もないままに美智子を呼び寄せた。
美智子がメールでは無く、手紙を寄越したことが良男に決断をさせたのだ。
文面に、描いた白い木蓮が咲き誇っている。春はここに一杯あるよと教えている。白い大きな花を全身に咲かせた木蓮がのびのびと描かれていた。それは便箋の紙の半分を超えて占めていた。
文面は木蓮をまたいで左右に書かれていた。美智子はよほど感動したのだろう。
良男は木蓮の絵に懐かしい美智子の肢体を感じたのである。
良男は読んで思わず電話した。美智子の声が弾んでいた。
一週間後に嬉々として上京してきた。
何年も務めた医院を辞めて身の回りを整理して慌ただしいことだが、4年間も良男のもとに行くことを辛抱していた期間にいつでも旅立てるように準備していたのだ。
狭いワンルームの一室で若い二人の同棲生活が始まった。
美智子は早々に病院に面接に行き直ぐに採用された。看護師は食えないミュージシャンよりも数倍も高い報酬である。
それが良男には苦痛で有った。生活には余裕ができたが、男としての矜持が保てないのだ。ボディ登録の高額な報酬に目がくらんだのである。
美智子には内緒である。
※
新宿の南口改札を出て右に下り坂を下りて大きな交差点がある、それを突っ切って5つ目の新しい大きなビルだった。エレベーターが3台ある。
は広いワンフロアをそっくり使っているようだった。
良男は恐る恐るドアを叩き、受付嬢に広い部屋に案内された。
ほどなく若い男性が現れて、詳しい説明を受けた。
なにやら小さな文字が薄い紙に印刷されている用紙に住所氏名を書き込んだ。
住民票と戸籍謄本が必要で身分証明書も要求された。
※
戸籍謄本はその日のうちに郷里の母に頼んだ。
相変わらず母は言う。
「どうなの仕事は、好きな人はできないの、できないなら帰っておいであんたならいつでも嫁を世話する人はいるから・・・」
「いや、まだ帰れない。今度新しいメンバーでバンドを組むんだ。その中に有名な音楽プロデューサーのコネがある奴がいるから、今度こそデビューできる。」
「もう充分じゃないか、あんたが東京に出たのはもう5年前だよ。ところでこの謄本は何に使うんだい、結婚するんだったらこっちに相手の方を連れておいでよ。お父さんも式の費用は全部出すと言ってくれてるよ。帰ったらお前たち夫婦の当面の生活は面倒を見ると言ってくれてるんだよ」
「違うよ、キチンと仕事上で契約するから必要なんだ」
「そうかい、うまくいけばいいね。駄目なら帰ってきなさいよ。あんたの嫁くらいすぐに見つかるからね、佳子さん、ほら従姉妹の、良男にお似合いの良い子が居ると言ってくれてるんだよ」
「それはいらないよ、前に連れて来て紹介した子がいるだろ、あの子と一緒になるつもりだから」
「あの可愛い子と今でも付き合っているの、それなら早く言ってくれればいいのに、安藤医院の看護師さんて言ってたわね、あの子ならお父さんも喜ぶわ、良男には勿体ないしっかりした可愛い子だと言ってたよ」
「はっきり決めた訳でもないから、」
「まあ今の若い男女の交際は私たち夫婦のような時代とは違うとは思うけど、女は中ぶらりんの状態は辛いものだよ」
「うん、だから悩むんだ、安定した稼ぎが無いのに一緒になるのも可愛そうだし」
「昔から言うでしょ、一人飯は食えないが二人飯は食えるって、帰ってきて式をあげなさい。費用は出してあげるから。お父さんも孫の顔を見たいなんて、最近は年寄りみたいなことを言ってるよ」
「考えているよ、そのときには世話になります」
美智子と同棲していることは言い出せなかった。
※
翌日、音楽スタジオ、
「お前、最近バイトもしないようだが随分リッチじゃん、怪しい、お金持ちのマダムのパトロンでも見つけたか」山本は笑いながらそう言った。
「違う、違う、ちょっと小遣いをもらったんだ。爺ちゃんが亡くなったのさ。株と銀行預金がかなりあったので、親父が少し俺にくれたんだよ。音楽は諦めてまっとうな仕事につけと言ってね」
あらかじめ作っておいた言い訳を話した。祖父が亡くなったのは良男が高校生時代の昔である。
「じゃあ、ここにいるのはもうまずいんじゃないか」
「俺に今更なにができる。音楽をあきらめるのは早すぎる漸く一応は音楽で飯を食ってる。クラブでの演奏でだがね。ギターじゃ難しい、いや、ほとんど無理だろう。子供のころピアノ教室に行かせてくれた親に感謝するよ。俺としてはギターと歌で世に出たいんだが。メジャーデビューできれば一躍有名人さ」
山本はつくづく我が身も同じと思い、言った。
「まあ良男も俺も同じだ。Easygoing、気楽にやろう。
ところでここんところクなもの食ってないんだ。少し俺にもおすそ分けしてくれよ。ステーキハウスで驕ってくれよ。たまにはガッツリ肉を食いたいんだ」
「そうだな、驕るよ」分厚い防音扉を開け、カウンター前を通り過ぎながら娘に声をかけた。
「HONEY、今晩の飯は何だい?弁当用意してないなら帰りに好きなものを買ってきてやるぜ」
スタジオマネージャーをやっているナオミは言った。
「あんたのHONEYじゃないよ、でもテイクアウトでアボガドの入った奴、それとコーヒーのビッグサイズね。それを買ってくれたら今日だけHONEYになってやるわよ」
ウィンクしてナオミは答えた。小柄だがチャーミングな笑顔と誰にも隔てなく優しくて、ウィットのある冗談で人気者だった。売れない食えないミュージシャンにはサンドイッチなどを差し入れたりもする優しい女だ。
「Okay、特大のサンドに特大のコーヒーだな」
「あんたにそんな金があるの」
良男がこたえる前に山本が笑顔で言った。
「良男でさえたまにはたんまりと金があるのさ、憎まれ口をたたくとおこぼれにあずかれんぞ」
「じゃあねエビアボガドのフットロングでお願い、半分残して夜食にもなるわ」
二人はワイワイと出て行った。
エレベーターを降りてビルから出た瞬間、良男は一瞬胸騒ぎを覚えた。昨夜クラブから帰る時に感じた同じ風だ。何か以前と違う風のようなものを感じる。誰かが自分を見ている。
「おい、ヤマモト。誰かが俺たちを付けてないか」
「なんのことだ、尾行されてるってか?お前ヤクでもやったか、尾行なんてやるのは警察くらいだろう」
「いや、そんなことじゃない、いつもと違う風のようなもの、それは俺をどこかで見てる」
良男はすばやく後ろを振り向いた。黒い人影がさっとビルの陰に消えたような、残像が良男の目には映った。一瞬も置かず良男はその方向に走った。その影を追うように走った。10メートルも無いその角まで走ったが、その角からは黒い影は見えなかった。昼時なのでどっと多くのビルから人が吐き出されている。のどかに談笑しながら歩く人々の周辺にどす黒いような人影はない。
山本は驚いて、帰って来た良男に言った。
「どうしたんだ良男、顔色が悪いぜ。今日はなんだか変だぞ、お前何か薬かヤクザもんの女に手を出したんじゃないのか」
「いや体はなんでもない、ヤクザの女なんかにちょっかい出すほど馬鹿じゃないぜ、つけられている気がするんだ」
「お前をつけてるって警察か?ヤクをやってるのか」
山本は良男の言葉を信じていないようだ。良男は笑って答えた。
「やってないよ、薬をやるほど売れてないよ、もっとも逆かな、売れてもいないし大して才能のない奴に限って薬をやるとインスピレーションが湧くなんてアーティスト気取りの勘違いしてるアホがいる。」
「でもなんだか変だぞ、田舎でお見合いでもしたか?相手方が調査することもあるしな。お前んち資産家なんだろ。相手方から見れば素行さえよければいい縁談だからな、俺らの世界は男女関係がふしだらと思われてるからな」
「よせやい、お見合いなんて。恥ずかしいわ。資産家じゃないよ、鉄工所なんて今は3Kの見本みたいなもんだ」
※
その夜、良男は底知れぬ恐怖を感じた。
毎月百万円は良男には捨てきれない魅力であるが命を狙われるならやめるしかない。
しかし、殺人となると警察も面子にかけて捜査するだろう。国会を引っくり返す論議で揺れた法案であり、マスコミの嚆矢となる事件を大手企業が起こすとも思えない。
日本人なら知らぬ者がいない大手企業の子会社である。 しかし今日の胸騒ぎは一体なんなのか。駅のホームで端に立っていても問題はあるまい。「ボディ」は商品である。毀損しては買い取り契約した業者には大損害でしかない。
※
中国 北京
“莉々,你来你就出租车迟到不就快了。我因为那司机是唯一的米,我安静的人牢牢地把你来过了。”
而“知道妈妈,我会较长。这些突然仁王雅先生虽然取得了行李,我给你的玩具熊,这是一个困难的时间把一个袋子里。”
并要沿着长长的楼梯是一个非常。我们已经降低重包为一个变化。南特没有电梯和假名七一束虽然不是以某种方式。莉々但今天例外喃喃如常。我被你到达机场的时间耗尽。
朋友,当我到达机场等着不少。
“你好,莉々,你终于”
“谢谢你,能来这么”
“也许司空见惯的朋友”
莉々说,面带微笑,转向看家伙。
“这会是不再能满足甚至再过一年,你,我想有些人认为结了婚,如果你回来孤独。我想还有一个孩子。”
王说。
“是啊,因为不想生下一个孩子,直到莉々回家,我来买纪念品给宝宝。”
在一个屋檐下顿时笑声出现了。每个人都是年轻女性。这是同学在高中。已经十分之七的十五人已经结婚。
登机开始。莉々是走倾斜身体随身携带的行李。这是全粉是什么熏鸡的最喜欢吃的辣椒腿。由于化妆品的爱不能随身总是在日本无法使用偏好产品已被推到了行李。
最终,飞机加速,开始经常航空旅行到成田机场等待日本的未婚夫看起来与日本的期待是没有看到。
中国、北京
「莉々、早くしないと遅れるよ。タクシーは来てるよ。あの運転手は大人しい男だけどメーターだけはしっかり入れているからね」
「わかったママ、もうできたわ。荷物作ったのに急に王さんが大きなテディベアをくれるんだもの、カバンに入れるのに一苦労だわ」
長い階段を下りるのは大変だった。いつもと違って重いカバンを下げている。なんとかならないのかな7階なのにエレベーターも無いなんて。莉々はいつものようにつぶやいたが今日は格別だ。空港に着くころにはヘトヘトだな。
空港に着いてみると友達が沢山待っていた。
「ニイハオ、莉々、いよいよね」
「ありがとう、こんなに来てくれて」
「当り前よ友達だよ」
莉々は微笑んでみんなを見まわして言った。
「もう一年間も会えなくなるのね、寂しいわ。帰ってきたら結婚してる人もいるよね。ベビーもいるでしょうね」
王が答えた。
「そうよ、莉々が帰国するまでには赤ちゃんを産んでおくから、赤ちゃんにもお土産を買ってきてね」
どっと一堂に笑いが巻き起こった。みんな若い女たちである。大学の同級生だ。15人のうちすでに9人が結婚している。
搭乗が始まった。キャーキャーと派手な歓声に送られながら莉々は機内持ち込みの重い荷物で体を傾けて歩いた。大好物の鶏の脚の燻製や唐辛子の粉末やらで一杯だった。愛用の化粧品は機内持ち込みできないので日本では入手できない嗜好品が手荷物に押し出された格好である。
やがて機体は加速し、フィアンセの待つ成田空港へのしばしの空の旅が始まった。
※
東京
「もしもし安田です。先生お願いします、診療中なら後で連絡頂けるように伝言願えますか」
「少々お待ちください」
待機中の音楽が流れて曲名も思い出せないうちに真鍋の声が聞こえてきた。
「どうしたの朝から電話くれるなんて珍しいね」
「いや、仕事中にすまん。これまで言わなかったが、実は結婚するつもりなんだ。」
「えー初耳だな、先日は隠していたなハハハ。いつ誰と結婚するんだい、水臭いぞお前」
「いや、すまん。この歳まで独身で不甲斐ない俺だからな気後れしてね、実は相手は中国人なんだ。持てないおっさんが中国人が相手だと、金の力だと言われるんじゃないかと、いや直接言われなくてもね」
「何言ってんだ、国籍なんて気にする時代じゃないぞ、ダルビッシュの親父はアラブ系だぞ」
「すまん、なんか恥ずかしくて、実は歳が二十歳も違うせいもあってね」
「いやーでかした。お前、親父になれるぞ、医者として言うぞ、歳相応の妻なら四十歳近いから子供は諦めろと言うところだった。五人はいけるぞ、少子化対策に貢献しろ、はは」
「そんな、お前みたいな金持ちじゃないぞ、大学まで行かせるなら一人がやっとだよ」
「しかしどこで知り合ったんだ。言葉は通じるのか、お前中国語なんてできたっけ」
「中国語なんて本当にチョットだけさ、中国で特派員を2年間ちょっとやったくらいじゃ話せんよ、いつも社の通訳付きで取材してたんだ。実はその通訳が婚約者になったのさ。日本語科の大学生だったのさ。帰国してからスカイプでチャットしてきた。その間2回ほどは会いに行ったけどね。彼女の卒業を待って結婚するつもりだ」
「なーに案ずるには及ばんだろう。外国人妻の患者さんも来るがほとんど問題ない、何たって愛する夫がいるんだ、夫を大事にするのは今や大和撫子より外人さんだ。日本男性は優しくて思いやりがあると言ってるよ」
「俺も普通に接しただけだが、俺が女性は苦手なのは知ってるだろ、何故か会った時からウマが合うというのか、説明は難しいんだが」
「それだよ、それが男女の仲ってやつさ、日本の女は贅沢になり過ぎたよ、半ば冗談にせよちょっと前まで三高とか言っただろ、今は具体的に年収七百万以上なんてアンケートに答える」
「ハハそうだな、俺は今でも達してない。大新聞の高額報酬は有名だが、俺のような小新聞なんて安いものだよ。莉々は俺の年収を聞いて、大丈夫足りなければ私が働きますと言ってくれた」
「リリと言うのか彼女は、どんな字なの」
「莉々は草冠に利益の利さ、莉々は愛称なんだ、本名はへなんだ、フアは元々は中華の華なんだ、しかし簡体字なんで化学の化けるの下に十と書く。」
「ふーん、愛称の方が言いやすいな、苗字は何」
「苗字は、笑うなよ、ヘって言うんだ」
「いやどんな名前でも外国人だからあり得る、しかし漢字は何」
「何だよ、何でもできる何なんだ、だからへフアが本名さ。あ、そうそう実は中国人だけど漢民族じゃない。イスラム教徒だよ」
「え、どういう事」
「少数民族の回族、回る族と書いて回族なんだ。見た目は中国人と変わらない、日本人にも見える。他の国から見たら日本と中国と朝鮮系は区別がつかんだろう。その中で回族なんて日本人なら知らないだろう。でもねよく観察すると漢民族よりも顔だちが優しい」
「ハハハ、それはお前の惚れた目にそう見えるんだろう」
「う、うん、そうかも知れん」
「ハハハご馳走様、さもなきゃお前一生独身だったかもな。良かったよ、俺が紹介した女性とは全部うまくいかなかったもの、いつも俺はダメな男ですなんて言うから相手が引いてしまったよな、まさか会話が難しいはずの異国の女性と恋するとはハハハ」
「いやその節は済まんかった」
「謝る必要なんか無い、縁がなかっただけだ、ところでイスラム教徒は豚肉を食べないだろ、お前大丈夫なの」
「そこだよ初めは聞いて驚いた、宗教は禁じられていると思っていたが回族が自治区になったのは古いからか容認されているのかもしれん。詳しくは知らないが。
中国東北部は回族だけじゃなく朝鮮族もモンゴリアンもいるし人種は様々だよ。それよりもナンチャッテイスラム教徒で戒律なんてほとんど守ってないからじゃないかな。日本人の仏教みたいなものだな。一緒に火鍋料理店などにも行ったが豚肉はガンガン食べていたよ」
「そうか、それは知らなかったな。ところで俺が中華料理、特に餃子が好きなのは知ってるよな」
安田は急にわざとらしく丁寧な口調になった。
「ハイ覚えとります。家庭を構えましたら自宅に招待しますので沢山召し上がってください」
元の調子に戻って
「俺はもう彼女の餃子は食べたよ。莉々がママと一緒に作ってくれたが、兎に角、皮が美味い、のし棒を使ってクルクル回して器用なものさ、大半の女性は餃子の皮作りができるようだ。日本と違ってオカズじゃなく主食だもの、作る量が半端じゃない」
「それは楽しみにしとります。で、いつ結婚するの?仲人さんは決まってるの」
「いや、それよ、君に頼みたいのよ、駄目かな」
「おお、そうか、喜んで引き受けるよ、友人から頼まれるなんて本当に名誉だよ。しかし、なんだな俺の女房が早速新しい着物作らなくちゃとか騒ぎそうだハハハ」
「助かる、俺も先では出版社に転職も考えないでも無い、だから今の会社関係には頼みたく無いのさ」
「あ、そうなんだ、今日は随分驚かせるね、また相談にも乗るよ」
(先生、患者さん見えましたよ)
電話から聞こえる看護師らしき声で安田は慌てて言った。
「忙しいところ長々済まんかった。詳しくはメール送るんでよろしく、奥様にもよろしく」
「ああ、よく電話くれたよ、今日は愉快な1日の始まりだ、メール待ってるよ、それじゃ」
「ありがとう、じゃあこれで」
電話を切り安田はホッとした。とりあえずこれで順調に進むだろう。早めに成田に行こう。すでに花束は用意してある。
どんな大きなカバンを持ってくるかも知れないのでレンタカーもクラウンを予約してある。トランクに入らないなら後部座席に積める。
フィアンセを迎える至福に浸っていた。
※
機上
莉々は眼下に富士山を認めた。下手くそだが意味の分かる中国語と日本語でパイロットのアナウンスが教えてくれた。両方を聞き取れる莉々は日本語を学んで良かったとつくづく思った。憧れの日本の婚約者まで見つけた。中国人の男には滅多に見たこともない謙虚で優しい日本人フィアンセだ。
安田が左の窓側に座りなさいと教えたとおりに座った莉々は壮大な富士山の歓迎を受けたわけだ。
成田空港国際線Arived出口、まだ莉々の乗る便は到着してない。30分の遅れが案内モニターに出ている。
久しぶりに成田まで来たのみならず、車を運転してきたのは初めてで疲れてしまった。しかも、成田空港への分岐で左に逸れるべきところを直進してしまった。遥か先の出口で降りて引き返えしたのだ。成田方面の案内板は有ったが飛行場を表す表示が一切無かったからだ。てっきり先に空港への案内板があると誤解していた。と言うのもそれまでの道中には飛行機の絵が書いてある表示板が続いていたからだ。まさか肝心な空港への案内板びその飛行機マークも成田空港方面への文字すら無いとは思いもしなかった。成田方面との表示看板は有ったが成田空港への表示が次の出口には有るだろうと高をくくっていた。安田は慣れないナビすらもろくに見ていなかった。いつもは空港バスに乗るので沿道の景色すら覚えていなかった。
安田は漸く成田空港へたどり着き初めて来日者を迎える緊張を味わった。
到着ゲートの出口の柵には大勢の出迎えがもたれかかって今か今かと待ち構えている。中国からの便が間もなく到着するので出迎え陣には中国語が飛び交っている。安田が分け入る隙間も無かった。しかも到着は30分遅れるサインが有る。
安田は少し離れた長椅子の端っこに腰を下ろすことにした。到着しても30分はイミグレーションで足止めを食うだろう。やがて到着サインが出て30分も経つ頃腰を上げた。と、そこに特大のカートに特大のカバンを三つも積み上げて安田を怒りの目で見つめる莉利が立っていた。
「どうして歓迎しない」
莉利はストレートに怒りを表した。
安田は狼狽した。
「いや、ごめんごめんこんなに早く出てくるとは思いもしなくて」
「みんな柵のところで歓迎する。あなたはそんなところに座って、私を歓迎しないね」
「ごめんごめん、今行くところだった」
安田は冷や汗をかいてしまった。
もう破れかぶれで莉利を抱擁した。
強い力で莉利は抱き返してきた。
そして莉利は笑顔を見せて、安田もまた顔面一杯に笑顔を満たした。
「よく来てくれました莉々」
「よく来たよ旦那さん」
山積みの荷物はカートを壊しそうだった。大きなトランク二つに大きな段ボール箱が一つある。莉々の肩にはこれも大きなバッグが掛けてあった、
カートを押し始めた安田の腕に莉々は腕を絡ませてきた。押しにくいので困ったが、これほど困難が嬉しい経験は味わったことがない。
空港の中は広い。動く歩道を五つも経由しパーキングビルのエレベーターに2人だけで乗った。ドアが閉まると同時に莉々はキスをしてきた。独身生活の長い、そして一度も恋人をもたなかった安田は面食らうと同時に甘いキッスの味に酔った。しなやかで細い莉々の腰を抱き寄せた。
※
新宿
今日も晴れわたった空が巡ってきたが、心は晴れない。
それは毎月のお手当てが貰える代償であった。甘んじるしかない。しかし命を狙われるこの恐怖は耐え難いものがあった。
やめるべきだ、心からそう思う。しかし良男にはこれほどの稼ぎを得る方法が他には無い。身体を売ったに等しいと思う。売春婦の病気への恐怖とも違う確定的な恐怖が繰り返し襲ってくる。
良男は遂に影の正体を見た。見えたのは一瞬に過ぎないがその影は外国人のようだった。
黒いスーツに黒いシャツに真紅のタイは目立つ。おまけに大男である。
向かってくる歩行者が驚いて良男の後方を見つめる視線で気がついたのだ。
良男が振り向いた時に影はしまったとの素振りを見せながら視線を下に落とした。
プロのヒットマンならここまで動揺を見せることはなかろう。暗殺が目的なら既に実行されている。
そして影は踵を返して立ち去った。良男はすぐに後を追った。大股で歩く影はすこぶる足が速かった。しかし決して走らなかった。
良男は走らざるを得なかった。
しかしその走る音は影の耳に当然届いた。猛然と影はダッシュした。人混みの中をまるでラガーマンが抜けていくように誰にもぶつからず突進していく。
良男は当然のごとく置いて行かれた。しかし良男の目にはしっかりと残像が残った。
間違いなく尾行されていた。次に街角で遭遇すればすぐに特定できる。今やあの程度の背の高い者は普通にいる。外国人と判別できる。黒人だったからだ。
影は良男のガードマンであった。商品としての「ボディ」が殺されては会社としての信用失墜になる。新規のボディ募集が不可能になる。
購入予約した者はいつまでも払いたくないし、早く脳移植したいのだ。健康で姿の良いボディを一刻も早く手に入れたい。契約した会社の保有するボディの情報を手に入れるだけでも相当な金額を払ったのだから、その情報をもとにボディを事故により脳死状態にする。
それこそがヒットマンを使う理由だ。
こうしてヒットマンとボディガードの攻防が戊発した。双方ともに武装している。
日本ヤクザのようなドアに銃弾を打ちこむ悠長なものではない。脅しに使うツールではない。
対象に確実に打ち込み再起させないためのツールである。すなわち即死を目的としているので口径の大きい銃弾を用いる。
但し撃つ対象はボディではない。ヒットマンがボディーガードを撃つのである。独裁者やマネーファンドと大企業の関連することが表面化することは避けなければならない。国際的な大物やスターそして宗教界などに命を永らえたい者が多い。
ヒットマンの目的はボディを脳死状態にすることだが、手術が数時間以内に行える環境が揃うまではボディに一切危害を加えられない。
すなわち、手術室があり、そこに脳移植用のロボットと外科医が揃っていて新鮮な輸血血液もあって、更に専門医と「患者」がスタンバイされていなければボディを殺せない。
だからヒットマンはボディガードを撃てるがボディを撃てない。
ボディガードは当然ボディを撃たないが、ヒットマンは容赦なく撃つ。
この妙な三角関係は、微妙なバランスを取ることになる国内において手術環境が揃うのはほとんど無理である。北朝鮮や中東、南アメリカなどの無法地帯、麻薬製造地域、そこが施術地域としてもっとも適地となる。
※
その実現の地、「ザ ベース」。
合法である無しに関わらず現実は進んでいた
ザ・ベースの所有者であり管理者であるボスは同時に脳移植の患者としてボディを欲するクライアントでもある。そこから導きされる結論はそれら地域は拉致されてくるボディにとっての地獄の最終地である。
そこは共産党幹部、世界のセレブの集まる地球上で最も贅沢が実現される場でもある。
最高の美女と美男も集まる。
無名のアーチストは何も知らずに高報酬がセレブ達のお蔭と思っている。彼らはボディ予備軍でもある。
超高級な保養地で優雅に過ごすが恐ろしい事実を全く知らない。ダンスやミュージック演奏を日常として充実した日々を送っているが、観客にはボディの展示会である。
いつも若い才能が溢れる劇場であるが、それとなくエンターテイナーの若者が入れ替わっている。
美しい海と白い砂浜の上で、悲惨な、そして老人や致命的な病を得た上層の富裕層の命を買う傲慢で冷酷な命の売買が日々行われている。
南米のザ ベースにはすでに北日本は多くのボディを送っていた。200名を超えるので少なくとも4000億円以上を得ていると思われる。
※
尾行者との接近遭遇
それは思いがけなく実現した。
尾行者は二人いたのだ、いや正確には二つの勢力がいた。
一つは西芝の放つガードマンで良男の命を守る役割である。
もう一つは良男のスポンサーであり良男のボディを予約した者が放つ殺し屋である。単純に殺せば良い従来のヒットマンとは違う特殊な訓練を受けたヒットマンである。殺しと見せずに脳死を狙う特殊工作員とも言える。
ガードマンとヒットマンの間で戦闘が行われた。
それは宿命であった。ガードマンは良男を24時間の監視下に置いた。当然複数のチームを組んでいる。そこへヒットマンが近づけば当然ガードマンの知るところとなる。
ガードマンは合法組織としてプロバイダと契約する以上は武器を持つことはできない。しかしそれは表向きのことである。ヒットマンの攻撃を想定する以上丸腰は考えられない。
かくしてガードマンはヒットマンと直接対峙する結果を招く。
そしてそれは良男の眼前で起きた。
あるピアノ演奏のアルバイトの帰り道、新宿駅に向かう道中は夜も更けた深夜12時である。そこだけ歩車道の境に灌木の無い部分に差し掛かると黒塗りのSVU車が鋭いタイヤの軋み音をたてて急停止した。止まらぬうちに男二人がスライドドアから飛び出してきた。
一人が良男を羽交い絞めにしたかと思うと別の男が足を抱き上げた。
黒い影が現れたのはその時であった。
スタンガンの火花とショート音が羽交い絞めした男に突き付けられショックで男は
崩れ落ちた。良男もまた服を通して感電した。足を抱えた男へ黒い影は容赦なく躍りかかると再度スタンガンを首元に当てた。男はやはりその場でへたり込んだ。ここまで強力なのは改造してあるのだろう。
SUVのドライバーはこの様子を見て仲間を置いたまま急発進して逃げた。
黒い影は男二人の頭と腹に強力な蹴りを一度づつ入れて去ろうとした。
良男は礼を言おうとしたが黒い影は口元に僅かな笑みを浮かべると何も無かったようにゆっくりと歩いてさった。
良男はぽかんとしていたが、黒い影がふり向きざま指で良男を指し駅の方向へ指を振った。
早く現場を去れとの意味を悟り早足で去ろうとした。既に騒ぎを嗅ぎつけたのだろう数人の野次馬が遠巻きで見ている。
携帯で話しているのは警察を呼ぼうとしているのかも知れない。面倒になりそうなので良男は振り向かず顔を伏せて現場を去った。
黒い影は手足の長い黒人であったようだ。身のこなしが素早く現場に倒れたままの男たちとは違う洗練さがあった。襲った男たちはややあ鼻が恰も長くボクサーを続けたのように見える。
翌日テレビが新宿での乱闘事件を伝えていた。
スタンガンを使った乱闘として興味深く取り上げている。
アメリカ映画のような乱闘騒ぎで明らかに外国人同士の争いに見えたとの目撃者談が放送されていた。
現場で倒れていて事情聴取さされたのは中国人で不法滞在者として逮捕されている。
乱闘事件が都心の中で堂々と行われ、日本語を話せない二人が倒れていた。目撃者によれば大柄な黒人らしき一名が二人をスタンガンで倒したようだ。別に東洋人らしき一名がいたが現場から去った。その黒人は男を救ったように見えた。
中国マフィアの疑いが大きいことは、依頼人が中国人としたほうが事件の収まりが良い。つまり良男のボディに投資しているのは中国共産党がらみなのだろうか。
これで良男は警察にも追われる身になった。被害者ですと出頭することもできたが、素直に良男の言い分を認めるとは思えない。被疑者の一人として疑われ留め置かれるだろう。
臓器提供者がいて全身を提供する、そして金銭を存命中にもらえてしかも高額である。ブローカー(仲介者)がいて合法な組織である。
スポンサー(買い手)がいる。
そのような前例の無いことに警察は慣れていない。良男の言い分は捨て置かれて拘留されるかもしれない。
以上から警察は単純な強盗事件ではなく無論喧嘩でもなく、麻薬の売買に関わる抗争と踏むだろう。
ニュース性も高く出頭すれば顔も名前もメディアに晒される可能性もある。
良男はそう考えた。とてもじゃないが出頭はできない。
しかし薬も麻薬も縁がない自分にはボディの提供者としてスポンサーの手先から狙われているとしか思えない。
ザ ボディの契約を解除するしか無い。しかし既に契約から2か月を経過し欲しかった録音機材を購入したりでが思いのほか金は残っていない。
30万円を返済しなければならない。受取金額の10%の違約金返済で解約できる。しかしそれでも、おいそれと用意はできない。恐怖と戦いながら身を守るしかない。それとも警察は身の安全を保障してくれるのか、いやそんな話は聞いたことが無い。余程の政治家やその家族などであれば別だろうが、アメリカのFBIのような保護システムがあるとは寡聞にして聞かない。
※
良男は翌日の午後6時を過ぎクラブに出勤しようと電車に乗ろうとしていた。電車を待つ間もホームの後方の壁に背を向けて警戒していた。
人影が傍に近づいていた。思わず見紛えたが、それは昨日救ってくれた黒人だった。
「驚かないでください。私はあなたの味方です」
流ちょうな日本語、と言うよりは日本人そのものの日本語だった。
「ああ、わかります。昨日はありがとう」
「分かっていただけてありがとうございます。私はもうお分かりでしょう、あなたのガードをしています。以前は尾行していてごめんなさい。しかしあなたはよく感づきましたね。今まで気づいた人は居ませんでした。まだあなたは4人目ですけどね」
「やはり尾行していたんですね、怖かったです。しかしなぜ今更それを告げるんですか」
「昨日の事件があってからではあなたが狙われているのがはっきりしました。今後はあなたの了解のもとに身近にガードした方がいいでしょう」
「そうですね、僕も心強いです。解約したいのが本音ですがそれにはお金が不足していますから無理です。だから頼りたいです」
「契約に関しては私は関知できません。あなたの意思次第です」
「そうですねわかります。とにかく頼もしい味方です。ありがとうございます」
「お礼は不要です。私の仕事ですから。あなたの職場と自宅以外は離れずにいます。安心してください」
黒人はトニーと名乗った、私に付いては詮索しないでと添えて。
電車は到着し二人は車中の人となった。トニーはどうしても目立つ、東京都心でも未だに外国人は目立つ、特に肌の色が違う黒人は目立つ。明らかにガードしていると周辺にわかるので良男はありがたいが迷惑でもあった。敵に居場所を教えるようなものではないか。
電車は新宿に着き、良男そして2メートル後ろにトニーが付いてくる。長身でがっしりしたトニーに視線を送るすれ違う人々が多いことに良男は気づいた。
クラブに着いてトニーは周囲を充分に確認して良男に別れを告げた。外に出るときは必ず電話してくれと言い残して。
※
「莉々、ここが僕たちの家だよ」
、決して広くはないが調度品にしっとりとした落ち着きがある。
「素敵、綺麗なマンション。あなたが買ったの」
安田は苦笑いしながら答えた。
「いや、これは借りたんだよ。買うつもりなんだが、それは莉々の意見を聞いてからにしようと思ってね」
「そうか、じゃあ早く買うね、早く買わないと高くなる」
「いや、莉々、日本は高くならない。中国と違う、安心してじっくり探せるよ」
「でもわからないです。同じこと言った兄は買えなくなった。3年で2倍になった」
「いや大丈夫だよ、1年以内に買うつもりだから」
「わあ、嬉しい本当の私たちの家です。赤ちゃんを安心して生むね」
「そ、そうか、そうだね」安田はどぎまぎした。実感が湧かない。結婚自体も人生には無いと思っていたからだ。中国での結婚式と披露宴でもまるで自分ではないような浮遊感に満ちた経験だった。さすがの中国本土だ大きな丸テーブルが6つもある大広間に一族120人が料理をつつく光景は圧巻だった。新郎側は両親と真鍋医師夫婦の4人だけである。
瀋陽には珍しい日本人でしかも医者だと紹介されてオオモテだったので歓迎の嵐であった。嬉しい誤算ではある、その歓迎とは白酒での乾杯のやり取りであり、強烈な蒸留酒で真鍋は開宴して30分でダウンした。
両親を連れていけて少しは親孝行ができたかと思えた。友人代表で真鍋が来てくれたので助かったが、花嫁側は50人もが遠く北京から瀋陽まで来てくれた親族が半数を超えた。幸い親族の旅費宿泊費は安田の負担ではなかったが宴の費用はすべて負担した。物価が安いとは言え200万円を払った。
安田の蓄えで賄えたが次に必要な家の購入費の自己資金が心配である。
※
翌日朝8時、
「旦那さんもう起きるか、早すぎるです。莉々は疲れているです」
「何言ってる、莉々は若いでしょ。やっと取れた休みは明日までなんだから
安田はかねてより計画のディズニーシーへと車を走らせた。
奥地の瀋陽育ちの新妻にぜひとも見せたい一心だった。
それは安田の思い通りの展開となった。莉々は夢中で楽しんだ。。
「旦那さんありがとう、ママも連れてきたい」
「お安い御用だとは言えないが、いつかママを招待しよう」
「わあ、ありがとう、御用って何ですか」
「うーん、気持ちと言うかなあ難しい表現だな」
「表現って何ですか」
「いや、参ったな、心の表し方と言うことかな、日本語は少しづつ覚えようよ。今でもとても上手なんだけどね」
「日本語は難しいね」
「いや、中国語ほど難しくはないと思うよ、僕は2年間も暮らして中国語はほとんど話せない。莉々の通訳があってなんとか記者としての仕事がこなせた。感謝してるよ」
「お互い様ね、私は日本語の勉強になってお金も貰えたし学校の試験でもよい成績が貰えたよ」
※
安田は休み明けに出勤して新しい任務を言い渡された。
本格的な脳移植業務への取材である。西芝電気をまず探れと指示を受けた。まずは正面から取材を申し込んだ。
副社長が応対すると聞いて西芝の本社へ向かった。ビルは相応の豪華なロビーを擁しエレベーターも格調高い内装だった一流ホテルのようである。エレベーターを降りるとまず広いホールがある。大きな半円形のカウンターがあり中にいる女性がすぐに立ち上がり笑みを投げかけてきた。
「日夕新聞の安田様でございますね、お待ちしておりました」
安田は名刺を渡した。
女性は確認してから「それでは副社長の青木がお待ちしております、ご案内いたします」と返答した。
女性は会釈して手を下にささげて同道を促しながら先を歩いた。安田は後に続いた。
大きなドアをくぐると幅の広い廊下がありいくつかのドアを通り過ぎて女性はドアをノックした。応答があり女性は中に入り安田も続いた。
女性は恭しく名刺を渡し、日夕新聞の安田様ですと告げ、座を去った。
「ようこそいらしゃいました。副社長の青木です」
「日夕新聞の安田と申します。このたびはご多忙のなかお時間を頂きありがとうございます。早速ですが、すでにドナー提供の契約もされたと聞いております。何人ほど契約されたのでしょう
「いや安田様、それは企業秘密で申し上げられません」
さりげなく笑いながらやんわりと安田の質問をこなす。さすがに大会社の中で泳いできただけはある、風格と弁舌が合っている。質問に答えなくても嫌味を感じさせない。
安田は食い下がった。
「実数はすでに数千人とも噂が流れています。もちろん登録者の数であって双方がマッチングしての契約数は謀りしれないですが」
「そうですね、需要は双方に多いと思います。海外からの需要者が多いのですが当然同じ人種のドナーを望む場合が多いのでマッチングは難しい部分があります。海外ではドナー契約すれば確実に殺されると考えるようですから」
「そうでしょうね日本人は殺されると考える人は多くないでしょうが海外ではそう考えるでしょう。耐え難い貧困に喘ぎ、家族のためにドナーとなる以外は考えられないでしょうね」
「幸い日本人の提供者数は順調に伸びております。当然マッチング契約数も伸びております」
「しかし、解約する契約者もいるんじゃないですか」
「そうですね、なんせ世界的にも初めてのことですから充分説明したつもりでも解約される方はおります。
解約される方には返金をもってご契約を解消とさせていただいております。」
「そこでお願いがあるのですが、その契約から解約へ至る方は相当な悩みを乗り越えたかと思うのです。報道者としてはその内面を知るために取材したいのですご紹介頂けませんか、もちろんご本人の同意を得てのことです。貴社の名前を公には致しません」
「なかなか難しいご要望ですな、しかし透明性が大事な局面ですからね、隠匿したと世間に思われるのが大変良くないとも考えております。弊社の一存では無く業界団体もありますのでそちらと相談の上でお返事申し上げます」
「いや、それは当然と考えております、正確に報道しないといけないことは重々承知しております。ぜひともご紹介ください。ご連絡をお待ちしております」
※
西芝から良男にその依頼があり、安田と面会する。
「契約されて、その後解約されたとお聞きしました。まず何が契約し、またなぜ解約するに至ったか少しづつ教えていただきたい
「いいですよ、話したほうが重荷が下せますなんでも聞いてください」
「それは助かります。児玉さんはお金に困るようなご家庭ではないと聞いております。なぜこのようなドナー提供を考えられたのでしょうか」
「いやお恥ずかしい。実家は普通の家庭です。ミュージシャンと自称してますが、ニートのような生活です。当然ですが音楽で食っていけるのは極く一部の成功者です。当然ご存知だと思いますが」
「そうですね、才能があっても埋もれていくいく人が多い世界です。分かります。それで生活費のためなんですね」
「その通りです。貸しスタジオでバンドの音合わせするにも結構なお金がかかります。サラリーマンをやっていては充分な練習も活動もできません。ライブ会場を確保して観客を集めてもチケット代金は安いものです。完売してもペイしません」
安田は続けた。
「そうですね、メジャーになるのは厳しいですね。ましてや副業では業界も相手にしない」
良男はうなづき、会見は終わった。
※
二人の会話は盗聴されていた。
良男は常に見張られていた。しかも簡単な方法で。
良男は携帯の電源を切ったことが無い。そのネット接続を通じて、居場所もすべての会話も筒抜けだったのである。
良男は狙われていたのである。良男のスポンサーこそが共産党幹部であった。良男の風貌と肉体を気に入っていたのである。しかも支払った金額は返却されない
前払いで一億円を払ったにも関わらず契約約款では途中で「ボディ」が解約しても返金が一切ない。これはブローカー会社側の利益の確保でもあるが「ボディ」の命を守る為の資金でもあった。もしも返金されるのであれば、ボディを脅迫して解約に追い込めば返金されて且つボディを独自に拘束できる。
このからくりを見破るジャーナリストは例によって少なく、いつも基本的勉強ーそれはにわか仕立てで良いのだが、ほとんどせずにその事象をただおいかけるだけ、他社に置いて行かれないように、他社のスクープを許さないためである。
※
「ニイハオ」
突然、中国語で話かけられ莉々は驚いた。
ディズニーシーはあい変わらず込み合っている。巧妙に隠された行列は少しづつ進んでいた。行列を外から見えなくする経営側の意図は見事に成功している。
後ろにいる若い女性が二人連れであることに気づいてはいた。しかしその二人はまったく会話をしないが、不思議に感じず莉々は安田の腕にしがみついていた。その行列の先におどろおどろしい西洋館が聳えているからだ。
莉々は怖がりだった。でも見たくてしかたない面もあった。
綺麗な北京語であった。続く会話は安田には殆どわからない。
女は問うた。
「どこから来たの」
「北京から来たわ。あなた達はどこから」
「私たちは瀋陽から来たのよ」
「近いじゃない。あなた達は留学生なの」
「違うわ研修よ。日本の企業に勤めていたの日本本社に研修で派遣されてるの」
「そうなんだ。じゃあ今日はお休みで観光に来たのね」
「そうです。あなたたちは仲がとてもいいカップルですね。羨ましい、私たちも日本人の彼が欲しいわ。どこで知り合ったの」
「私は北京で日本語の通訳していたの。この人は夫で、私が通訳で働いた会社の上司だったの」
少し誇らしげに莉々は顎を上げた。背が高い方の女が殆ど話し、片割れは頷くばかりであった。そしてキラリと目が光ったように続けて話した。
「そうなんだ、本当に羨ましいわ私たちは日本語は少ししか分からないから日本人と恋をするのは無理ね」
莉々は嬉しくて微笑んだ。
しかし安田はその女たちの目に密かな憎しみの光を感じた。中国で法輪功信者に近づいたときに尾行を受けたことを思い出した。その後その信者と連絡が取れなくなったのだ。それ以来一切の行動を日本企業の取材だけに限定した。通訳として同行させた莉々の顔も掌握されていると思える。安田は危機感を覚えて莉々を抑える必要を感じた。笑い
ながら安田は言った。
「莉々、夫がほっとかれて寂しいですよ」
日本語ではあるが最近安田の言葉は中国語のようである。
「あ、ごめんなさい旦那さん」
夫をふり返りながら彼女らに視線を戻して中国語で言った。
「夫がね、ほっとかれて機嫌が悪くなったの、ごめんね。またどこかで会えれば良いわね」
「気にしないで、夫婦の楽しい時間を取ってごめんなさい。本当にまた会えれば良いわね。メールアドレスだけ教えてくれないかな、私たち日本人の旦那様いないから相談に乗ってほしいこともあるから」
莉々は無邪気にメール交換をして夫に向き合った。
莉々は再び安田の腕にぶら下がった。
その後の恐怖の館のアトラクションで更に安田の腕にしがみついたのは言うまでもない。帰路、安田は中国共産党の魔の手が及んできたのかと漠然と不安を感じた。
あの二人の中国人は本当に普通の研修生なのかそれとも工作員なのか、結論は出るはずもない。そうだとしても何故我々に近づいたのか、例え莉々を工作員に仕立てても、夫婦ともども日本で重要人物には知己も無い。利用価値があると思えない。
※
死体安置室がこのようなものかと良男は思った。殺風景ではあるがむき出しのコンクリート壁ではない。
薄れ汚れてはいるが壁紙も貼られて天井も内装がなされている。口には何もされていないので叫んだ。かなりの大声で誰かいますかと言っても何ら返事は無い。
口の中が妙にねとつく。
それはクラブでピアノ演奏を終えて通りに出て駅へ向かった数分後の出来事だった。もうボディ契約を破棄した以上襲われる恐怖から解放されて二週間は経過している。
しかし、それは甘い考えだった。適合性があり年齢が若くそれなりの容貌と体格を満たすボディは、依頼者にとっては得がたいものである。
前から大きな男が立ち塞がると思った時には左右と後ろから首と腕の自由を失った。思い起こすとその時点から記憶が薄れている。腕にチクリと痛みを感じたのは何かの薬を注射されたのだろう。
気がついたら両腕両足を拘束されベッドの上にいた。
拘束着だろうまったく動け無い。尿道に違和感があるのは導尿の処置をされたのだろう。
看護師など医療経験者が関わっているだろう。
意識を取り戻したがどうすることもできない。ボディ略奪の罠に嵌まったのだろうか。
ーーーーー続くーーーーー