社会人になってからを振り返る
2013年4月、旅行会社に就職をした。
旅行会社に就職した理由は2つ、1つ目は旅行が好きだったということ。
辺鄙な田舎で育った私にとって、旅行というものは非日常的で、特別な体験だた。海外はもちろん行ったことはなかったし、旅行に行く距離としても、車で移動ができる近隣の県まで。それでも十分に幸せだった。
高校生の時に初めてカナダに留学をして、大きな衝撃を受けた。海外ということもあったけど、他民族国家のカナダで、ホームステイ先の中東人の家庭で見たり聞いたりしたことが本当に刺激的だった。自分が井の中の蛙だっということがよく分かった。これから旅行を通して見聞を広めたいと強く感じた。
2つ目の理由は、海外で働きたかったということ。就職先の会社は、若手社員が早い段階から海外に赴任をして、マネージメントを経験できるというところが魅力であった。希望のコースで入ることができたので、すぐにでも海外で働きたいという気持ちが強かった。
社会人というものが想像以上に大変だった。
覚えることが山の数ほどあり、自分のペースで仕事ができなかった。お客には振り回されるし、時間がいくらあっても足りず、集中力ももたず、ミスも多かった。終電で帰ることはしばしば、22時より前に退社できた日が数えるほどしかなかったのではないかと思う。それでも早く海外に行きたいという一心で耐えて耐えて、自分なりのフルパワーで仕事に向き合った。
慢性的な人で不足が原因で、約束の時になっても、海外赴任の命令が出なかった。日本から人を出せないとのこと…聞いていた話を違うと何度も思ったが、社会人になってから、会社が絶対的な存在になってしまったために、文句も言うことができず、ただただ待った。
当初入社から2年以内に赴任の予定だったが、実際に赴任できたのは入社6年目だった。よくそこまで耐えたなと今となっては思う。
正式に赴任をしてから、様々な壁にぶちあたった。まず、日本側で統括をしてくれている上司を全く信用できなかったことが辛かった。根本的な考え方が合わず、降りてくる命令も、抽象的なものがおおかったり、理解できないものが多かった。自分で考えて動けというくせに、色々と調べた上で、考えて行動したら、勝手にやるなと叱られたり、、、本当に踏んだり蹴ったりだった。現地の取引先も適当なところが非常に多く、それを寛容に受け入れることができなかった為、自分の中でたくさんのことが溜まっていった。
そして1番の問題が、以前もっていた溢れんばかりのバイタリティーが、カツカツになってしまっていたことだ。もし早い段階で海外い行けていたら、もっと力強く、折れない心をもって、がむしゃらにやれたのではないかと考えることが多い。日本で身につけた社会人としての様々な能力や感覚が、社会人6年目という時期に海外に出て、自分自身を乱しているように感じてしまうのだ。
「やりたい」という気持ちにも鮮度がある
最近、ツイッター上で目にしたこの言葉が、今の私にずしりとのしかかってきた。人生には、【我慢】も大切だ。ただ、それと同様に【選択】も大切だということ。やりたいと思ったら、もちろんその為の準備期間も大事だが、気持ちが覚めないうちに、新鮮なうちに、何かを犠牲にしてでもやってみるということを選択しなければいけない。
日本の社会人教育は、怖い。
【責任】ということばを強くおしつけてくる。
まじめにやらなければ、迷惑をかけないようにしなければ、、、
そうやってどんどん保守的な思考がつくられていってしまうと感じる。
私は数年以内に、この業界から離れようと思っている。
これまで、特にやりたいことがなかった。というより考える余裕がなかった。ただ、最近新しい分野に興味を持ち始めた。
調べることだけでも楽しくてワクワクするという感覚は、社会人になる前にもっていたものと同じだった。もちろんどの分野でも、仕事は大変なもの、責任が伴うものだということが大前提だが、その中にやりがいを見いだせたら、自分の中で多きなパワーが生まれるような気がしている。