
ザ・ワールドが圧倒する時のこと
これって冗談だろ!というぐらいに、にわかには信じられない映像です。荘厳です。
This is a view of the Andromeda Galaxy, showing more than 100 million stars. pic.twitter.com/fAEFy524Z4
— Curiosity (@MAstronomers) June 10, 2024
そりゃ、もちろん無限の宇宙なんだもの、星がいっぱいあるとは分かっていた。
けれど、こちらからは星々の間は暗かったりするから、そこは何も無いという気になっている。
でも、ぜんぜん違ってた。
恐ろしいほどに、星たちがぎっしりうごめている。まるで生き物。
この後ろにもまた、無限に星の海が続く。
アンドロメダくんが、こうもくっきり隅々まで撮影されてしまうと、
彦星も織姫も、おとぎ噺だったことが判明する。
ちょっと目立った2つの星だけを勝手に取り上げていたのだ。
梅雨に入ると、すぐに七夕が来る。
結婚してからというもの、二人は毎日遊んで暮らしておりました。るんるん。
織姫が機を織らなくなったので、神たちの着物はすりきれてぼろぼろになり、
彦星が牛の世話をしなくなったので、牛はやせ細り病気になってしまう。
これに激怒した天帝は、二人を天の川の両岸に引き離してしまう。
二人は悲しみのあまり毎日泣き暮らし、仕事になりません。
やり過ぎたか。。
不憫に思った天帝は、二人が毎日まじめに働くなら、年に1度、7月7日の夜に会わせてやると約束した。
これにて一件落着ぅ。
ということで、織姫と彦星は可哀そうだという話になってきた。
が実は、ふたりは始終一緒にいたことが判明する。
お互い、少なくとも10億年は生きている。
ふたりにとって、1年とは10億分の1という瞬間でしかない。
そう、彼らにとって1年なんてわたしたちの1秒ほども無くあっという間に来る。
すぐ来る。いや、いつも居る。
しかも10億回会っている。まあ、雨の日は会えなくとも、半分の5億年は会った。
天帝、ひどく計算間違いしている。キミのその算数能力の方が悲劇的だ。きっと、小学生の頃、彼は算数がとっても苦手だった。
わたし30歳でかのじょと暮らし始めて、80歳でお亡くなりになるとする。
50年間、毎日会っていても、50年間×365日=18250日、一緒にいることになる。
わたしたちの経験世界だと、約2万日も会えばかなり十分だということが分かる。
10億回というのはすごいぞっ。
わたしの5万倍も会ってたのだ。
始終、いちゃいちゃしてた。会い過ぎだろっ。
よくぞ飽きもせず、離婚もせずに10億年も続いたもんだとただただ驚く。
この圧倒的にパッキングされた時空はいったい何を語り掛けているんだろうか。
この世には、知られているもの(known)と、知られざるもの(unknown)とがある。
知られざるものは、マインドでは触れることが出来ない。
人が想像できるどんなことさえも超えている。
この圧倒的な宇宙の姿を見ていると、ああこれは知られざるものなんだなと畏怖の気持ちが湧いてくる。
まっ、簡単に言えば、見てもぜんぜんなんのことか分からないということ。
わたしは、これを見ているうちに、じぶんの内側の静かさに波長を合わせて行く。そろりそろり。
彼方からやって来るその言葉は、静けさの場所でだけ聞くことができる。
マインドがマインドに語り掛けているのではないのです。
それはきっと、宇宙の静けさがわたしの静けさに語り掛けている。
静けさとは、音が無いという意味では無くて、それは究極の親密さだと言ったひとがいる。
わたしは、もっとも親密な場所でじぶん自身と出会う。
そして、ひとつになる。。
思考や知覚や感情で解釈するものではなくて、「わたしである」とはもっと直接的なものです。
人はときどき、純粋な「あること」の直接的な体験をする。
わたしたちはそれを知っているし、そこに疑問の余地は無い。
だから、臨死体験者が生還すると、もう生に執着しなくなる。
NASAの初代の飛行士たちは、優秀な空軍エリートたちだったのに、ガイアを見て戻るとほとんどが宗教へと舵を切った。
でも、意外なことに、じぶんという存在の直接的体験を、たいがいの人たちは否定する。
戸惑い、記憶から無かったこととして脱落させてしまう。
今生まれたわたしの孫たちの世界は、この稠密(ちゅうみつ)にパッキングされた宇宙を天として仰ぐのです。
もう小学の高学年にもなると、嘘っぽくて七夕はやらないでしょう。
だって、こんなに満天の世界を知ってしまうんだもの。
どれも彦星で、どれも織姫みたいなのがごろごろしていて、なにがなんだやら。
ロマンが消えてしまったというよりは、新しい神が君臨したのです。
途方も無い、無限世界というリアルな神。
そして、対極には自分というちっぽけな存在が依然としてある。
今までの神はよかった。
なんだか、存在があいまいで如何様にも解釈できた。
でも、孫たちは、この圧倒的な存在をクリアに認めるしかない。
あまりの無力さに怯えるでしょう。
けれど、その時、星たちはきっととても静かな言葉を話し出す。
ずっと、あなたとわたしが求めて来た”親密さ”ということの意味を知るでしょう。
今日もガザやウクライナのことをXで見ました。
それでも、21世紀になって良かったなって思う。
人たちは、やがて”親密さ”ということをもっと深く学ぶでしょう。
それは心穏やかな、平穏なこころです。
もうすぐ、梅雨。
夜、静かな雨の音を聞くのです。