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レモンに心を救われた話

レモンが繋いだ縁

秦さんのクラウドファンディングが始まったみたいだ。たいした応援にはならないかもしれないが、私と秦さんたちの思い出を振り返りながら、クラウドファンディングを応援したいと思う。

ご支援ください!

最強のレモンサワーが作りたかった

私とレモンとの出会いは、たまたまFacebookで見かけたクラウドファンディングだった。2017年のクラウドファンディングなので、もう7年前かと思うと感慨深い。

呉市の「第五鳥八」という居酒屋のカウンターで、一人で飲んでいた時に、この企画を見つけた。数あるリターンの中の「世界にたった一つだけ!あなただけの柑橘の木を手に入れよう!」という誘い文句に惹かれ、酔った勢いでレモンの苗木のオーナーになっていた。

最強のレモンサワーを作ってみたいと思ったのだ。広島に赴任するまでは、広島県はレモンの名産地だから、さぞレモンサワー文化が盛んなのだろうと期待していた。しかし、意外にも広島県民はさほどレモンサワーにこだわりがない様子で、多くの居酒屋のレモンサワーは普通のレモンサワーだった。それなら自分で作ってしまおう、と思った。

忘れていた頃にレモンが届く

その時届いたレモン

それからしばらく、レモンのことはすっかり忘れていた。2018年に、リターンのレモンが届くまでは。レモンと一緒に同封されていた活動報告を読んで、私の心は踊った。耕作放棄地を蘇らせて、レモンで島おこしをしようとしているなんて、面白すぎる。

気づいたら代表の秦さんをFacebookで探して、メッセンジャーでメールを送っていた。とにかくレモン畑に行きたい、といったようなことを送ったと思う。かなり怪しい人間だったと思うが、秦さんは快く返事を返してくれて、レモン畑に遊びに行けることになった。カーシェアで車を借りて、呉市の島嶼部へ向かった。

秦さんと中元さんとの出会い

その日、生まれて初めてレモン畑をちゃんと見学した。

レモン畑で、秦さんと中元さんと出会った。その日はあいにくの雨模様だったので、レモン農家さんの小屋のような場所で話を聞いた。大層感激して、私は来週も遊びにきます、とその場で約束した。もう毎週来てもいい、とまで思った。私の求めていた体験はここにあったのか、と思った。

西日本豪雨

めちゃくちゃ雨が降った

ワクワクした気持ちで週末を待ったが、楽しい週末は訪れなかった。豪雨が発生し、広島県の呉市のあたりは特に被害が大きかった。レモン畑を訪問するどころの騒ぎではなくなってしまった。当時の得意先がことごとく被災したこと、そもそも広島市内から呉市に向かう高速道路が土砂崩れで落ちたことなどから、私の残業時間はぐんぐん増加した。土日はほぼ倒れていた。

元々私は仕事にかなり疲れていたが、豪雨が呼水となり、うつを発症した。疲れているのに寝られなくなった。朝になっても寝られず、でも9時には働きに出なければならないので、どんどん衰弱した。豪雨被害を受け入れることも、私には難しかった。みんな頑張って生活していたのに、不条理だと感じた。土砂崩れの痕を横目に運転していると涙が溢れてきて、号泣しながら運転していた。得意先の駐車場でヒカキンの猫動画を見て泣き止む日々が続いていたが、流石に危ないし限界だと感じて、上司に電話した。「もう限界かもしれないです」と。心療内科で診断書をもらい、会社を休職することになった。

何でもいいからソーシャルグッドなことをしたかった

で、なぜか竹を伐採していた

うつで休職して自信を喪失した私は、何でもいいから何かソーシャルグッドなことをしたいという気持ちになった。秦さんたちに連絡すると、なぜか竹を切りに行くことになった。

レモン畑に竹チップを撒くと、雑草が生えなくなる効果があるということで、竹を伐採することになったのだ。竹は根が浅い植物で、土砂崩れの原因にもなりやすいということもあった。私の人生は竹とは縁遠いものだったため、かなりの衝撃を受けた。

竹を切りながら、秦さんや中元さんといろんな話をした。もう会社を辞めたい、みたいな話もした。何なら雇ってくれないか、みたいな話までしたと思う。やんわり断られながら、「大きい会社だからこそできることもある」といったような励ましを受けたと思う。サラリーマンとして無力感に打ちひしがられていた頃だったから、お二人の励ましはとても温かかった。

耕作放棄地でひたすら開墾作業をした日もあった

家と仕事場の往復だけでは、多分心が死んでしまったと思う。毎週土曜日に何かしらの作業があって、行くたびに作業内容が変わっていて、さまざまな体験をさせてもらった。農機具の使い方すらよくわからなかったが、見様見真似でお手伝いさせてもらった。ボランティア活動に参加している他の方々との出会いも面白かった。どの人も優しい方ばかりだった。世の中捨てたもんじゃないな、と心から思えるというのは、私にとっては大きなことだった。

畑に通って1年ちょいでようやくレモンにさわれた人

ちなみにレモンの収穫を体験できたのは、畑に通い始めて1年と少しが経った頃だったと思う。竹を切るのも、開墾作業も、すごく楽しかったが、やはりレモンを触りたいという思いはかなり強かったので、レモンの作業の日はすごく嬉しかった。

レモンとレモンの縁に救われた

本社の人を島に案内したりもした

すっかり趣味になっていたレモン活動を、仕事に活かしたいとも思っていた。結局たいしたことはできなかったけれど、会社の食材提案の資料で、とびしま柑橘倶楽部のことを紹介したりした。レモン関係の仕事を何かしたい、と夢見ていた。何なら今も。だけど、私にはできることがほとんどなくて、ただレモンに癒されているだけだった。

除草作業をして、野焼きをして、燃やしている間にレモンスカッシュを飲む

秦さんや中元さんを見ていると、いろんな生き方があるのだと思えた。うまく言えないのだけれど・・・会社で成功することとかよりも、もっと大事なことがあるのだと思えた。広島生活のなかで、何度も休職して復職してを繰り返していた私には、必要な観点だった。

みかんの収穫ボランティアも楽しかった

送別会まで開いてくれた

畑でパーティーをする人たち

2022年、ようやく私は東京に異動になりましたが、5年半にわたる広島生活の割に、送別会はほとんど行われませんでした(笑)。会社でも、あまりに送別会が企画されなかったために、可哀想に思った元上司が個人的に送別会を開いてくれたくらいでした。プライベートで付き合いのある友人はいましたが、わざわざ東京異動のことを知らせて気を遣わせるのもな・・・と思い、連絡できなかったような気がします。

広島を離れて寂しいと思うのは、秦さんや中元さんに会う頻度が減ることくらいです。それ自体が寂しい話ですが(笑)。広島で最後に会った日は、あいにくの雨模様でした。現在の夫である当時の彼氏を連れて島に行って、除草作業をしていたら、割と強めの雨が降ってきたと記憶しています。やることがなくなり、ひたすらパンやポトフを食べていた記憶があります。

ありがとう、とびしま柑橘倶楽部

東京に異動になってからも、出張で東京にいらした時に声をかけてくれて一緒に飲んだり、こちらが旅行で広島に行った時に会ってくれたり、交流が続いていて嬉しいです。クラウドファンディングをしたことがきっかけで、ここまで人生が豊かになるとは思いませんでした。

2024年3月の誕生日広島旅行でもレモンを堪能する私

何の足しにもならないかもしれませんが、感謝を込めてnoteを書いてみました。もちろん、今回のクラウドファンディングも支援しています。

少しでもご興味のある方は、ぜひご支援を! 人生変わるかもしれませんよ(笑)。

#愛とレモンで島おこし #とびしま柑橘倶楽部 #READYFOR #クラウドファンディング

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内海あさ|忘れてみたい夜だから
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