世界ふしぎ発見!2023/01/14放送感想
久しぶりに失恋の痛みを覚えた。
この感覚はもう何十年ぶりだろうか、心臓の裏側を鋭利なナイフで少しずつスライスされていくかのような。
そのまま私の心臓を蒸したとしたら、タコさんウインナーになってしまうかもしれないと思った。
その痛みの原因はおよそ4時間前のこと。
『世界ふしぎ発見!』である。
ある時から毎週何気なくみるようになり、気がつくと習慣化していた番組の1つ。
Twitterで実況を始めてからというもの、気になったことを思いつくままにつぶやくシュルレアリスム的手法の自己満足がやめられず。
あるときは旅行先でも同行者をほったらかしにして申し訳ないと思いつつ、誰が正解しただの誰がボッシュートになっただのを全世界に垂れ流していた。
その『世界ふしぎ発見!』2023年の初回放送で1つの“文化”が終わった。
ボッシュートである。
放送1時間前にSNSで回ってきたセットリニューアルの情報に期待もしつつエジプト要素が残っているように願いつつ、放送が始まった。
ゲストは3人。
司会の草野さん出水アナ岡田さんとレギュラー解答者の黒柳さん野々村さんを含め、スタジオの人数は8人。
昨年まではゲスト解答者が2人だったのでプラス1人である。
VTRが終わり、スタジオで感想について言い合う時間。解答者の足元が見えている。
つまり、スタジオでクイズの解答を記載する液晶パネルと表示用液晶パネルと、ヒトシ君人形がボッシュートされたときに収納されるあのシステムがなくなっているのだ。
どういうことだろうと疑問に思っていたところで、ファーストクエスチョン。
クイズに対しても、これまでのような個人戦ではない。
出演者全員によるブレインストーミング形式で、最終的に全員の意見を草野さんがまとめる流れだ。
ファーストクエスチョンのときにはまだ戸惑いがあり、どのような問題で答えがなんだったのか、頭からすっぽり抜け落ちた感覚だった。
本題に戻ると、私にとってボッシュートの効果音は特別なものである。
なぜなら、私の人生のある一定期間、あのボッシュートのSEとともに生活を刻んでいたからだ。
わたしが初めて携帯電話を持ち、色々な人が色々な着信音で自分が恥ずかしくないと思える音を発していたころ。
個性というと言い過ぎかもしれないが、私にとって日常を刻むのにもっともしっくりくるのがあのボッシュートのSEだった。
電話の着信、メール・SMSの着信音、朝起きるためのアラーム設定…とにかく当時使っていたガラケーが発する音のすべてをボッシュートの音にしていた。
当時の私にとってボッシュートの音は1日の始まりと終わりを告げる音であり、人とのつながりを象徴する音でもあったのだ。
そのSEを聞ける機会を失ってしまった。
つまり、1週間の中で私の人生のある一定期間を象徴するような音がなくなったのだ。
もちろん、これまでの放送で録画している回もあるため、その録画を掘り起こせば聞くことは可能だ。
だが、そういう問題ではないのだ。
1週間の中で理由も理屈も関係なく、習慣として生活に根付いていた番組の代表的な音だから、当たり前に聞こえる音だったからこそ意味があるのだ。
私にとって、あのボッシュートの音は記憶や生活に色を塗るための絵の具だったのだ。
それが失われてしまった。
体験して初めて人を想う気持ちを失ったのと同様の痛みだということに気づいた。
誤解してほしくないのは、私は変化を否定しているわけではない。
以前、あるインタビューで草野さんが「視聴者が求めるのであればクイズという形にこだわらなくなるかもしれない」と仰られていたことを記憶している。
私も同感だ。
良質さを保ち本質を見失わないまま『世界ふしぎ発見!』という番組が続いてくれるのなら、視聴者としてはなんの文句もない。
公式学習まんがで描かれていた100年後の未来のホログラム草野さんも当然、受け入れていく所存である。
ただ、あまりにもあのボッシュートの音が私の生活の中で習慣化しすぎていた。
ただ、それだけの話なのだ。
この違和感がなくなり現在のスタイルになじんでいけるのか、それとも、この“失恋”の痛みがしばらく続くのか。
それはまだわからない。
ものごとの始まりは賛否両論がつきものだ。
今はまだ、この痛みと向き合いながらTVerの再生回数をぶん回そうと思う。
まとまらないうえに自分でもメンヘラ思考すぎて気持ち悪くなってきたのでこの辺で。