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不自由を見に行くつもりじゃなかった あいちトリエンナーレ2019その1

2019.09.28
1日目 豊田市

 まあまあ立て込んでいた2019年9月末の土日に、半ば無理やり一泊二日の名古屋行きをねじ込んだ。あいちトリエンナーレにどうしても行きたかった。
 あいちトリエンナーレは2016年にもライヴのついでに寄って、単純にとても楽しかった。そのときは半日で十分に楽しめたが、今回は二日かけて名古屋市以外の会場もまわることにしていて、先に豊田会場を見る予定を立てていた。

 前日に締切がひとつあり、日付が変わってからなんとか提出して、そのまま東京駅を七時半に出る新幹線に乗ったのだが、部屋で三十分、新幹線で二時間くらい寝ただけで圧倒的に睡眠不足だったせいか、名古屋駅から豊田市へ向かう電車を盛大に乗り間違えて一時間ぐらいロスした。せっかく早朝に出発したのに……
 電車内にはワールドカップ開催中のラグビーの試合に向かう人たちがたくさんいた。そういえばスタジアムがあったな、と思う。

 駅のインフォメーションセンターでガイドマップをもらい、ついでにおすすめのルートを教えてもらって、周辺の作品をぶらぶら見ながらホー・ツーニェンの「旅館アポリア」に向かった。
 この作品はツイッターでも評判になっており、私も豊田市でのいちばんのおめあてだったのだが、実際、このトリエンナーレでいちばん衝撃を受けたのは「旅館アポリア」だった。戦前からあり、太平洋戦争中は特攻隊の隊員たちを滞在させた喜楽亭という元旅館の建物をフルに使い、一階から二階へと部屋を移動しながら一時間以上かけて順番に映像を観てゆく、アトラクションのようなインスタレーションだ。
 あとで解説を読んでわかったことだが、映像の大部分が小津安二郎の映画、一部が横山隆一のアニメーションからの引用で、人物の顔の部分はのっぺらぼうに加工されていた。顔が出ていたのは特攻隊の集合写真と、日本からヨーロッパへの飛行記録を作ったという飯沼正明という若いパイロットだけだったと思う。京都学派の学者たちが戦争を防ぐための、それが間に合わなくなってからは戦争を終わらせるためのミーティングを秘密裡に重ねていたこと、ただし彼らのいう「戦争」とは「対米戦争」であって彼らは「大東亜共栄圏」を支持していたこと、元寇について「神風」の記述が最初に教科書に登場したのは1943年で、戦後この記述があらためられた際にも「神風」という語だけはなぜか残されたこと、空・無・虚無・絶対無の概念のこと、小津や横山の作品にみられるプロパガンダのこと、などがアーティストとアシスタントたちのメールのやりとりのかたちで語られる。
 和室の畳に座ってスクリーンに投影された映像を観るのだが、二階の「虚無の間」だけは部屋に入ることができず、廊下に一列に並んで鑑賞した。真っ暗ななか、正面から風が吹きつけてきて、音も聞こえて、巨大な何かが室内にあることはわかるがはっきり見えない、という状態から少しずつ明るくなり、飛行機を思わせるプロペラと対峙しているとわかる瞬間がショッキングだった。ほんとうに怖かった。
 建物を出て、ああ2019年の豊田に戻ってきた、と思ったとき、喜楽亭の内部にいる間は空気の追体験を通り越して完全に自分も戦時中にいる気分になっていた、とわかって、途端にぼろぼろ泣けてきてびっくりした。
 信じがたいことにこの作品にはチケットもパスポートも要らず、無料で鑑賞できてしまう。それもすごい。

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 その後は市民ギャラリーに展示されている映像作品に寄り道しつつ、豊田市美術館を目指した。
 駅周辺も含めて豊田市の街中の展示は、自動車産業、というかトヨタ自動車と切りはなせない土地であることが意識されていた印象だった。豊田市駅を出てまっさきに見られるトモトシの「Dig Your Dreams」とか、トヨタマークの土器が出土品として展示されている遺跡発掘現場のインスタレーションなんだけど、タイトルからして「Drive Your Dreams」のパロディで笑ってしまう。

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 豊田市美術館は広くてすごくきれいだった。たどり着くまでに自動車産業をテーマにした作品を見過ぎたのか、これもトヨタの力か……経済力……などとつい思う。

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 ここは純粋に観ていて面白く、いつまででも楽しく眺めていられる作品ばかりだった。寝転がって見上げたスタジオ・ドリフトの「Skylight」の動きは花が咲く瞬間のようで飽きなかったし、アンナ・フラチョバーの「アセンション・マーク」の泡がぶくぶくする不穏なようすにも見入ってしまった。

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 レニエール・レイバ・ノボの「革命は抽象である」は「表現の不自由展・その後」の閉鎖に抗議して一部展示停止になっており、コンクリート絵画はすべてが新聞紙で覆われていた(「表現の不自由展・その後」の展示中止を報じる記事が掲載された紙面が使われていた)。一部の作家たちがこうした抗議行動を行っていることは当然知っていたけれど、現地の状況を目のあたりにしてけっこう落ち込んだ。

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 美術館の近くの旧豊田東高等学校のプールには高嶺格「反歌:見上げたる 空を悲しも その色に 染まり果てにき 我ならぬまで」が展示されている。圧倒的な存在感だった。

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 最後に駅周辺をもう一度まわった。「レンタルあかちゃん」という概念のあかちゃんを子守するプロジェクトに参加してみた。ヤバかったです(褒めています)。

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 小田原ののか「彫刻の問題」も「表現の不自由展・その後」にまつわる問題、とりわけ平和の少女像が攻撃されたことを受けて展示停止されていた。

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 一日元気に歩きまわったのだが、名古屋駅に移動して栄のホテルにチェックインしたあとは、夕ごはんに宮きしめんを食べに出て、部屋に戻ってすぐ寝てしまった。さすがに限界だった……。

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