見出し画像

駐在員妻になって気づいたこと

夫の駐在を機に渡米し、いわゆる駐在員妻というカテゴリーに属することになりました。新たなアイデンティティが一つ増え、実際にさまざまなことを経験してみて気づいたことをメモしておこうと思います。


「駐在員妻」という言葉への印象

現在私は30代後半。大学卒業後はずっと仕事をしてきました。常に頭の中は仕事が大部分を占めていて、その次にプライベートとなっていました。

20代後半になると駐在員妻となり異国の地へ旅立ち、数年後に帰国する友人がちらほらおりました。そんな友人の話を聞いて、まるで海外旅行の延長のような印象を持っていた私。今思えばほんと失礼だったなと反省です。

「駐在員妻」は仕事などのしがらみから解き放たれ、新たな環境でチャレンジや刺激が盛りだくさんのキラキラした人生を謳歌しているものだと勝手に思い込んで、自分には縁のない別世界の人たちと感じていました。

渡米が決まってからの心境

自分の人生はこんな感じかな、と解像度が高まりつつある矢先に夫の海外駐在。自分の意思で帯同を決めたものの、実際に渡米するまでは随分と葛藤がありました。

一番の葛藤は「なんで私ばかり失うものが多いんだ。夫は得るものばかり、私は全てを失った。」という卑屈モード全開の感情です。

恐らく、先に夫が渡米してアメリカで住まいの準備を一手に請け負ってくれる一方、私が自宅の売却や退職など日本での生活をクロージングする作業を行っていたので、より「失う」という感情が盛り上がってしまったんでしょうね。

実際に渡米してからは、住まいもキャリアもいったん手放したから執着するものが無くなり、フラットな状態でまた人生について考えられるのは良い機会かもと思えるようになりました。

渡米から生活立ち上げが落ち着くまで

忙しすぎる。勝手な想像で、仕事が無くなったから毎日することなくて暇な時間をどう過ごそうかと心配していたのですが、そんなことは無用でした。

ただ生きるだけなのに、渡米直後の身は不自由すぎて一人では何もできない状態。生活基盤づくりに2か月程要してしまいました。今も初めての出来事は、調べ物をしたり現地の仕組みを理解するのに時間がかかるのですが、渡米直後の2か月は仕事モードで毎日パソコンの前に座っていました。

現地での出会い

渡米3か月目ごろから、交流の場に顔を出すことへの余裕が出てきました。夫の職場による家族会に呼んでいただいたり、現地日本人が主催している妊婦・ママの交流会というイベントに参加してみたり、現地日本人同士によるフリマ(という名の物の譲り合い)に参加してみたり。

そこで出会う駐在員妻の方々が、本当に本当に皆さん親切な方ばかり。渡米して間もないことを伝えると、困っていることはないか尋ねてくれたり、体験談を話してくれたり、お得情報を惜しみなく教えてくれたり。

そして皆さん、私と同じで色んな葛藤をして日本を離れ、現地で私が経験した苦労はもちろんそれ以上のことを経験されてこられている。

駐在帯同してきている人たちってすごい。尊敬。本当にたくましいし、今まで出会ったどんな人たちよりもサバイバル力が高いと感じました。

そして苦労がたくさんの生活の中で、自分なりの楽しみを見出したりされている。私はまだそのステージに上がれていないので、本当に本当に尊敬しかないです。

井の中の蛙大海を知らず

結局私は「駐在員妻」というカテゴリーに対して、自分に都合の良い側面しか見ようとせず勝手にレッテルを貼っていたのだなということに気づきました。

そしてこれは、他のカテゴリーにも言えること。というかカテゴリー分けを無意識にしてしまっている自分にも最近は少し嫌気がさしてきました。

みんな一生懸命に生きていて、苦労していて、その中で喜びや楽しみを上手に見つけている。まだ渡米して4か月目だけれど、私もそんな人になりたいなと思いました。

さいごに

最後までお読みいただきありがとうございました!
この記事が、いつかどなたかのお役に立てば幸いです。

いいなと思ったら応援しよう!