バルコの航海日誌 Ⅱ◆銀沙の薔薇《7》
Ⅱ◆銀沙の薔薇
《7.眠り》
バルコに負ぶわれたまま甲板に連れてこられた少女を見て、じいさんは目を丸くした。
「おや、この子は夜張りだね。これは珍しい。
昔、砂漠の民の話には聞いたことがあるが、このわしもこの目で見るのは初めてじゃ。岩にすがっていたか。そうか、そこまでは泳いで行けたんだろう。夜張りは水に親しみ、砂漠生まれなのに生まれながらにして泳げると聞く。泉の中にいたから助かったんだ。さあ、早く桶に水をいれてやりなさい。この子は水がないと死んでしまう」
じいさんの言いつけにしたがい、船乗りたちは大きなたらいを用意した。真水を浅く張り、そっと少女を抱え下ろす。少女はたらいの中で丸くなって横たわる形になった。
じいさんの話によれば、夜張りは睡眠中に水を呑んでも呼吸に問題はないということだったが、船乗りたちはしばし話し合った結果、少女の顔が水に浸らないよう、ロープを丸めて頭の下に入れてやることにした。
これも協議の結果、たらいはマストの近くに設置された。体調に急変がないか、誰かが様子を見ていられるようにだ。強い陽射しに弱らないよう、かいがいしく日覆いの布も張ってやった。
たらいに入れられた少女はこんこんと眠り続けた。死んでいるのではないかと船乗りたちは心配になり、死なないまでも、このまま眼を開くことはないのではという考えが男たちを不安にした。
用事にかこつけてちょくちょく持ち場を抜け出しては、様子を見に行く。だが、じいさんは心配ないという。
「寝かせておいておやり。時がくれば自然と目が覚める。夜張りにとって、眠りとは生きること。充分な眠りを身体の中に蓄えて身体の中に夜を宿し、そしてはじめて月や星の響きと共鳴することができるのじゃ。その自然に逆らい、無理に起こす者には災いが訪れると言い伝えられる」
少女が目を覚ますのを待ちきれず、早いところ笑顔のひとつでも見せてもらいたい、と内心で考えていた者もいなくはない。じいさんの言葉に目をそらしたジャックにじいさんは釘を刺した。
「なにか企んでいる者もおるようじゃが、短気は損のもとじゃ。なあ、ジャック」
気まずい顔をしたジャックに、じいさんはほっほっと笑いを継いだ。
「それに、若い娘というのは良く寝るものじゃ。それは夜張りも人も変わらん」
むさくるしかった船には活気が生まれた。
少女の長い眠りについてはじいさんの保証が得られたので、船乗りたちの関心事は少女の瞳の色に移った。
じいさんの刺した釘が聞いて、船乗りたちは不用意に少女の眼を覚まさないよう、ひそひそ声で話し合う。
「この子、どんな目をしてるんだろう」
「青かな」
「いや茶色だろう。美形の瞳ってえのは茶色に決まってるもんだ。俺みたいにな」
「やかましい。この子が目を覚ましてもおまえみたいになるわけないだろう」
「さあさあ、お二人とも喧嘩せずに。ここは仲良く賭けにしようぜ。お姫さまが目を覚ました時の楽しみが増えるってもんだ」
「そりゃいいな」
気の早いジャックがさっそくポケットの小銭を探りかけると、ダッカが制した。
「こんなかわいい子のことで賭けをするなんて、俺ぁ気が進まないな」
「それもそうだ」
賭け事となると目の色を変えるジャックも、今回ばかりはすんなりと引き下がった。だがダッカをからかわずにはいられない。
「だけどな、この子は水蛇の革を着ているからな。目を覚ましたら、蛇みたいな金色の眼で睨みつけられるかもしれないぞ」
ジャックが指でまぶたを押し開き、かっと目を見開いてダッカに詰め寄る。
「こーんなふうにぴかっと光ってな。先割れの舌をちょろちょろさせてな」
「やめてくれよ。俺は長いものは苦手なんだ」
大きい図体に似合わず蛇嫌いのダッカはからだをすくませた。
(続く)
【バルコの航海日誌】
■プロローグ:ルダドの波
https://note.com/asa0001/n/n15ad1dc6f46b
■真珠の島
【1】 https://note.com/asa0001/n/n4c9f53aeec25
【2】 https://note.com/asa0001/n/n57088a79ba66
【3】 https://note.com/asa0001/n/n89cc5ee7ba64
【4】 https://note.com/asa0001/n/n9a69538e3442
【5】 https://note.com/asa0001/n/n253c0330b123
【6】 https://note.com/asa0001/n/n734b91415288
【7】 https://note.com/asa0001/n/nfe035fc320cb
【8】 https://note.com/asa0001/n/n81f208f06e46
【9】 https://note.com/asa0001/n/n6f71e59a9855
■銀沙の薔薇
【1】水の輿 https://note.com/asa0001/n/nedac659fe190
【2】銀沙の薔薇 https://note.com/asa0001/n/n6a319a6567ea
【3】オアシス https://note.com/asa0001/n/n3b222977da7a
【4】異族 https://note.com/asa0001/n/n224a90ae0c28
【5】銀の来歴 https://note.com/asa0001/n/n2a6fb07291ae
【6】海へ https://note.com/asa0001/n/n1a026f8d4987
【7】眠り https://note.com/asa0001/n/ne00f09acf1b7 ☆この話
【8】目覚め https://note.com/asa0001/n/ncbb835a8bc34
【9】海の時間 https://note.com/asa0001/n/nb186a196ed9d
【10】歌声 https://note.com/asa0001/n/ne9670d64e0fb
【11】覚醒/感応 https://note.com/asa0001/n/n983c9b7293f2
【12】帰還 https://note.com/asa0001/n/n53923c721e56
■香料図書館
【1】図書館のある街 https://note.com/asa0001/n/na39ca72fe3ad
【2】第一の壜 https://note.com/asa0001/n/n146c5d37bc00
【3】第二、第三の壜 https://note.com/asa0001/n/na587d850c894
【4】第四の壜 https://note.com/asa0001/n/n0875c02285a6
【5】最後の壜 https://note.com/asa0001/n/n98c007303bdd
【6】翌日の図書館 https://note.com/asa0001/n/na6bef05c6392
【7】銀の匙 https://note.com/asa0001/n/n90272e9da841
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