バルコの航海日誌 Ⅰ◆真珠の島《6》

Ⅰ◆真珠の島《6》


島には漆黒の夜が訪れていた。浜辺の村の広場では、篝火かがりびがしきりと黄金の粉を吐いている。夜目にも白くはためく天幕の下で、座に集った人々の顔は火の色に染まっている。

咲き乱れる花々で飾り付けられた台を前に、上座を占めるのは一組の若い男女だ。男の頭には常緑樹の冠が、女には白い花の冠が載せられている。村ではまさにいま婚礼の儀が始まったところであった。
空に月はない。全てが生まれ変わる新月の夜は神聖なものとされ、婚礼は新月の夜に執り行われるのがしきたりだった。

手から手へと盃が受け渡され、一同に酒が行き渡ったところで長老が立ち上がった。
「この村は長らく真珠とともに栄えてきた。願わくば、誉れある家の若者と娘が永くその血を長く伝えゆかんことを」

台上には布で覆われた銀の盆がある。長老が口上とともに布を取り去ると一組の金の腕環が現れた。結婚の証となるものだ。この村ではそれぞれの家に草花や樹木を模した紋章が伝えられている。大輪の花をうつしたもの、豊かに実った果樹をあらわしたもの。結婚を決めた男女は、それぞれの家の紋章と、両家の植物が合して咲き出づる新たな花の模様を、一年をかけて金の腕環に彫り込む。意匠の精緻さ、技の巧みさはそのまま新生活の成否を占うものとされているので、腕環の披露は大切な儀式であるのだ。

祀りの火に向かって長老が腕環を掲げると腕環は日輪のようにまばゆく輝いた。光のもとに生まれた新しい紋章を見極めようと、一座は目を凝らした。

若者と娘が選んだのは二本の蔓草の図柄だった。控えめながらも凛とした花をつけた蔓草は堅固に絡みあっている。ふたりの深い絆を表すかのようだた。見事な仕上がりを見届けた周囲からは寿ぎの声がいっせいにあがった。祝いの言葉が降り注ぐ。

披露が終わると長老からふたりへと腕輪が渡される。立ち上がったふたりは向かいあい、互いの瞳を見つめながら相手の腕に腕輪を嵌める。若者は深くうなずき、娘の黒い瞳がきらめいて微笑みがあふれた。

その時、広場の入り口で鋭い叫び声があがった。制止を振り払って騎馬の群れが天幕へとなだれ込む。
ひずめが焚火にかかり、酒壺が割れた。踏み込んだ男たちによって酒器はひっくり返され、花の冠は引きちぎられた。
篝火が倒れ天幕に燃え移る。あっという間に辺りは火の海となり、逃げ惑う人々の叫び声が広場を満たす。燃え盛る火を背に、槍を閃かせた人馬の影が黒々と跋扈した。

「真珠採りの若者はどこだ」
婚礼の場に踏み込んだのは王の兵士たちだった。
「この村には島で一番の泳ぎ手が居ると聞いている。これは王の命令だ。王は最高の真珠を手に入れることを望んでおられる。今宵、その命が下ったのだ」
「今日は婚礼の夜だ。それに、神聖な新月の晩に真珠を採ることは禁じられている」
長老の必死の訴えは槍の前に退けられた。

やがて皆の面前に、兵士たちに捕らわれた若者が引きずり出された。額から血が流れている。必死に伸ばした娘の手は、兵士たちの槍によって遮られた。

兵隊長は馬上から口を開いた。
「これは名誉あるご命令である。この者が、みごと真珠を採り上げ還ってきた暁には、こんどこそ盛大に婚礼の続きを行うがよい」
そしてどさりと、金貨の詰まった革袋を投げ落とした。

やがて、月のない浜辺に、あかあかと松明を灯した船が帰ってきた。
船の漕ぎ手たちは無言だった。船には、大破した小船の残骸が乗せられていた。

婚礼衣裳をまとったままの娘は、篝火かがりびに照らされて浜に立ち尽くした。

(続く)


【バルコの航海日誌】

■プロローグ:ルダドの波
https://note.com/asa0001/n/n15ad1dc6f46b

■真珠の島
【1】 https://note.com/asa0001/n/n4c9f53aeec25
【2】 https://note.com/asa0001/n/n57088a79ba66
【3】 https://note.com/asa0001/n/n89cc5ee7ba64
【4】 https://note.com/asa0001/n/n9a69538e3442
【5】 https://note.com/asa0001/n/n253c0330b123
【6】 https://note.com/asa0001/n/n734b91415288 ☆この話
【7】 https://note.com/asa0001/n/nfe035fc320cb
【8】 https://note.com/asa0001/n/n81f208f06e46
【9】 https://note.com/asa0001/n/n6f71e59a9855

■銀沙の薔薇
【1】水の輿 https://note.com/asa0001/n/nedac659fe190
【2】銀沙の薔薇 https://note.com/asa0001/n/n6a319a6567ea 
【3】オアシス https://note.com/asa0001/n/n3b222977da7a 
【4】異族 https://note.com/asa0001/n/n224a90ae0c28 
【5】銀の来歴 https://note.com/asa0001/n/n2a6fb07291ae 
【6】海へ https://note.com/asa0001/n/n1a026f8d4987 
【7】眠り https://note.com/asa0001/n/ne00f09acf1b7 
【8】目覚め https://note.com/asa0001/n/ncbb835a8bc34 
【9】海の時間 https://note.com/asa0001/n/nb186a196ed9d
【10】歌声 https://note.com/asa0001/n/ne9670d64e0fb 
【11】覚醒/感応 https://note.com/asa0001/n/n983c9b7293f2 
【12】帰還 https://note.com/asa0001/n/n53923c721e56 

■香料図書館
【1】図書館のある街 https://note.com/asa0001/n/na39ca72fe3ad
【2】第一の壜 https://note.com/asa0001/n/n146c5d37bc00
【3】第二、第三の壜 https://note.com/asa0001/n/na587d850c894
【4】第四の壜 https://note.com/asa0001/n/n0875c02285a6
【5】最後の壜 https://note.com/asa0001/n/n98c007303bdd
【6】翌日の図書館 https://note.com/asa0001/n/na6bef05c6392
【7】銀の匙 https://note.com/asa0001/n/n90272e9da841

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