バルコの航海日誌 Ⅱ◆銀沙の薔薇《2》
Ⅱ◆銀沙の薔薇
《2.銀沙の薔薇》
「確かに頂戴した」
砂漠の商人は革袋に入れた金貨を、でっぷりとした腹に巻いた帯にしまい込んだあと、傍らの盆をぐっとこちらに押しやった。
盆には、大粒の胡桃ぐらいの大きさで、チラチラと煌めきを放つ塊が乗っている。
これが今回、バルコ一隊が手に入れたお宝の〈銀沙の薔薇〉だ。商材を仕入れるため、年長のマッテオを隊長に、力自慢のダッカ、小回りの利くバルコの三人が小隊を組んで砂漠の民を訪れている。
銀沙の薔薇——バルコが目にしたのは初めてだ。塊に目を凝らすと、雲母のように透明で薄い鉱物片が結晶し、薔薇のつぼみをかたち造っている。
繊細な層は飴細工のように欠けやすいので扱いには注意を要する。マッテオに断ってからバルコはその一つをそっとつまみあげた。天幕の隙間から差し込む光に反射し、花弁の鋭利な先端は咲き初めた薔薇に宿る銀の朝露のように煌めいた。
注意したにも関わらず、掌に銀色の破片がこぼれ落ちた。バルコは思わずマッテオの表情を伺ったが、気分を害しているようすはない。
「舐めてみろ」
言われるがままに、バルコはその欠片をつまみあげて口にいれる。とたんに顔をしかめた。
「塩辛い」
強い塩味が舌を刺すが、あとにはほのかな甘みが残る。
「岩塩だ。海の名残りだよ」
「海……?」
見渡す限り砂漠が広がる、この乾ききった風景に、青い海の想像を重ねるのは難しい。けげんな表情を浮かべるバルコに、マッテオが声を掛けた。
「昔、この一帯は海だったんだよ。地層の隆起で地形が変化して、かつての海底は砂漠や岩山に変わった。ここに来る途中にも赤茶色い岩山があっただろう」
バルコはうなづく。
「行き場を失った海水は地中に浸み込んだ。砂漠は長いことずっと、その懐に海を抱いていたんだ。それから海水は、砂や岩盤に濾過されて真水となり、さらに気の遠くなるような時間をかけて、オアシスとなって地表に現れた。砂の中では、濾過の過程で濃度の高まった海水の塩分が結晶していく。結晶のなかには、一片一片が薔薇の花を象ったかのように凝固するものがある。それがこれだよ」
バルコはあらためて掌の銀片を見つめた。
初めて商人の天幕というものを訪れたバルコには、目新しいものばかりだった。年若いバルコは、荷物持ちとして煙草三巻きの駄賃で連れ出されたのだ。
百戦錬磨の商人たちに軽く見られないようにとマッテオから事前に注意を受けていたのだが、経験の浅いバルコは物珍しい光景につい目が泳いでしまい、その度に隣のダッカに突つかれる。あぐらをかくと、尻に絨毯越しに砂の感触が伝わるのも新鮮だ。
「それでは、煙管を」
砂漠の民の間では、交渉が成立すると固めの儀式としてともに煙管をつかう風習があるのだ。
はたはたと商人が手を叩くと、天幕の入り口が開いて美しい女が現れた。褐色の肌に深紅の布をまとい、長い黒髪、彫りの深い顔立ちが印象的だ。
捧げ持った盆に水煙管の一式を乗せている。女は絨毯の上に膝まづき、商人の前までいざり進むと一礼した。
小卓に載せられていた薄荷茶の茶器を下げると、煙管と取り替えて退出した。
商談の緊張感が解けると、駱駝の革で作られた天幕の中にはゆったりとした時間が流れはじめた。商人と話すのは楽しい。老獪な彼らは、取引の場では手強い相手だが、ともに座を囲んでいると人をそらさない愛嬌がある。
商人は、まずマッテオ一行に煙管を進め、それから自分も凝った細工の施された銀の吸い口を手にした。商人は眼を細めて煙をふかす。甘い香りが天幕の中に立ちこめた。
「そちらのお若い方もいかがかな」
誘われてバルコも吸い口を口にした。葉巻は吸ったことがあるが、水煙草は初めてだ。香料で付けた甘い香りがする。深く吸い込んだとたんにひどく噎せた。商人が鷹揚な笑い声をあげた。
「お若い方にはまだ早いようでしたかな。これは失礼」
いくら若いとはいえ、いっぱしの船乗りとしてバルコにもそれなりの自負はある。子ども扱いは面白くない。同意を求めてマッテオを見やったが、マッテオは素知らぬ顔でゆったりと紫の煙を吐き出した。
「こんなに美味いものを。うちの小僧はまったく無粋で、ご無礼いたしました」
涼しい顔で答えるマッテオをバルコは恨みがましく横眼で睨みつけた。
商人が向き直って話を継いだ。
「いやいや、そんなことより、お伝えすべきことがあり申した。つい先日も、この先の岩場で異族の一隊が山犬に襲われたと聞く。山犬もしばらく見かけなかったのだが。異族は岩と砂漠の手練れなのだが、それでも安全に旅を続けるのはなかなか難しいものだ。旅のお方、くれぐれも油断召さるるな」
「なんだい、その異族ってのは」
我慢できなくなったバルコは思わず口をはさんでしまった。バルコの口を慌てて塞ごうとするダッカをゆったりと制して、商人はバルコに向き直る。
「なるほど、お若い方、この辺りのことはまだご存じないのだね。せっかくだから、茶菓子代わりに教えて差し上げよう。さあ、あちらもおひとつ」
商人は、水煙草の代わりに黒檀の盆に乗った薄荷菓子を目で示した。
「異族というのは我々が彼らを呼ぶときの名前で、彼ら自身は自分たちのことを〈陽の民〉と呼んでいる。古い一族だ、我らよりもずっと。
砂漠と岩山を辿って旅をする狩猟の民で、よく陽に灼けた赤銅色の肌と影のような黒い髪、なによりも勇猛さで知られている」
マッテオが言葉を添えた。
「この銀沙の薔薇を集めてきたのも異族だよ。銀沙の咲く場所は、代々異族だけの秘密なんだ」
「さよう、彼らにとっても貴重なもので、いつでも手に入るとは限らぬ。彼らの子どもたちはこれを海のかけらと教わり、運よく見つけると幸福の徴として喜ぶそうだ。強い塩味はスープに使うと癖の強い肉の旨味を増すとあって、この一帯では高級な贈答品として珍重されるのです。今朝はちょうど上質な銀沙の薔薇が届いたばかりで、あなた方は運がいい。おかげで当方も、ほらこのとおり、儲けさせてもらいました」
商人は金袋をしまった腹帯を鷹揚になでおろした。
ゆったりと煙草の煙を吐き出したマッテオの横顔には満足がうかがえた。それなりに値は張ったが、貴重な銀沙の薔薇を仕入れることができ、取引は成功といえるだろう。商人と女に見送られ、バルコたちは天幕を後にした。
思わぬ出来事に巻き込まれたのはその後だった。
(続く)
【バルコの航海日誌】
■プロローグ:ルダドの波
https://note.com/asa0001/n/n15ad1dc6f46b
■真珠の島
【1】 https://note.com/asa0001/n/n4c9f53aeec25
【2】 https://note.com/asa0001/n/n57088a79ba66
【3】 https://note.com/asa0001/n/n89cc5ee7ba64
【4】 https://note.com/asa0001/n/n9a69538e3442
【5】 https://note.com/asa0001/n/n253c0330b123
【6】 https://note.com/asa0001/n/n734b91415288
【7】 https://note.com/asa0001/n/nfe035fc320cb
【8】 https://note.com/asa0001/n/n81f208f06e46
【9】 https://note.com/asa0001/n/n6f71e59a9855
■銀沙の薔薇
【1】水の輿 https://note.com/asa0001/n/nedac659fe190
【2】銀沙の薔薇 https://note.com/asa0001/n/n6a319a6567ea ☆この話
【3】オアシス https://note.com/asa0001/n/n3b222977da7a
【4】異族 https://note.com/asa0001/n/n224a90ae0c28
【5】銀の来歴 https://note.com/asa0001/n/n2a6fb07291ae
【6】海へ https://note.com/asa0001/n/n1a026f8d4987
【7】眠り https://note.com/asa0001/n/ne00f09acf1b7
【8】目覚め https://note.com/asa0001/n/ncbb835a8bc34
【9】海の時間 https://note.com/asa0001/n/nb186a196ed9d
【10】歌声 https://note.com/asa0001/n/ne9670d64e0fb
【11】覚醒/感応 https://note.com/asa0001/n/n983c9b7293f2
【12】帰還 https://note.com/asa0001/n/n53923c721e56
■香料図書館
【1】図書館のある街 https://note.com/asa0001/n/na39ca72fe3ad
【2】第一の壜 https://note.com/asa0001/n/n146c5d37bc00
【3】第二、第三の壜 https://note.com/asa0001/n/na587d850c894
【4】第四の壜 https://note.com/asa0001/n/n0875c02285a6
【5】最後の壜 https://note.com/asa0001/n/n98c007303bdd
【6】翌日の図書館 https://note.com/asa0001/n/na6bef05c6392
【7】銀の匙 https://note.com/asa0001/n/n90272e9da841
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