バルコの航海日誌 Ⅰ◆真珠の島《1》
Ⅰ◆真珠の島《1》
波を割って船が進む。半日ほど前から海面の色が変わってきた。深い青からとろりとした翡翠色へ。南国へと進んできたしるしだ。
バルコの船は漁もしつつ、各国の産物を積んでは世界をめぐる商船でもある。運んでいるのは、主に貴金属や香料、織物といった王道の商品だが、それでもときには故郷では見たこともないような珍奇な品に出会うこともある。鍵付きの小箱の中で真綿に包まれてねむる、この真珠もそういった品のひとつだ。
その日、甲板で微風に前髪をなぶらせながら、バルコは波を照らす陽光に目を細めていた。黙っていても口元がほころんでくる。先日の漁が大漁だったおかげで、久しぶりに懐が温まっていたのだ。このあいだは「ルダドの波」という幸甚に恵まれ、船倉から甲板まで銀色の輝きが溢れんばかりの大漁となった。儲けはかなりのものとなり、だいぶくたびれてきていた船を修理して帆を新調してもなお船員それぞれに相当の小遣いが行き渡るだけの売り上げとなった。一掴みずつの金貨が、なめし革の小袋に詰められて、全員に配られる。
「銀のお魚が金のお宝になるって、こりゃちょいと洒落た錬金術だね」
「お前のお宝は、あっという間に葡萄からできた魔法の水に変わっちまうんだろう。飲むのもたいがいにしておけよ。だいぶ腹も出てきただろう」
「だいじな宝物はちゃんと腹の金庫に預けておくんだよ。ほら見ろ、だいぶ貯金がたまった」
シャツをめくってでっぷりとした腹を突き出すと、別の船乗りが通り過ぎざまに腹を叩いて笑い声を立てる。
白い砂がぐるりを囲む島が前方に近づいてきた。島の周囲の海の色はいっそう明るく変化している。エメラルドできた指輪のようだ。こじんまりとした島だが、ここで産する砂糖は甘みが強くて有名だ。いつも高値がつくので、貴重な仕入先として寄港地からは外せない。
船は、島の裏手にまわり、穏やかな入り江に向かった。小さな港がある。船が進んでゆくと、付近で遊んでいた島の子供たちが、間近で船を眺めようと海に飛び込む。つぎつぎにしぶきが起こり、真っ黒に日焼けした小さな頭がいくつも波間から突き出す。
島の砂糖商人たちは駆け引きに長けている。砂糖を目当てに各国からさまざまな船がひきもきらないから強気の商談に慣れているのだ。この島で買い付けを有利に進めようとする者は、海千山千の砂糖商人たちを相手に、じっくりと時間をかけて交渉する必要がある。
だが、それは仲買い担当の者に任せておけばよい。それ以外の船乗りにとっては、この数日は南の島での楽しい休暇となるはずだ。さいわい金はある、暇もある。船を降りた船乗りたちは浮かれた調子を抑えもせず、夜を待たずにいっせいに盛り場に繰り出した。
盛り場は島で一番の大通りにあった。大通りといっても牛が引く荷車二台がようやくすれ違える程度の幅だ。舗装がわりに白い砂が敷かれた道の両脇に、飲み屋、食べ物屋、雑貨屋が雑多に並んでいる。道にむしろを広げて果物を売る者や、あやしげな土産物を売っている者もいる。
店の多くは小屋掛けだが、ちゃんと酒も出せば女もいる。そぞろ歩きに、それぞれの小屋をよく見ると、簡素ながらにも思い思いの趣向が凝らされていて楽しい。柱には店主の手づからと思われるような彫刻が施してあったり、屋根に穿たれた天窓のかたちが凝っていたりする。天井から吊り下げられた輪に極彩色の鳥がつかまって、すっとんきょうな声を上げながら、客に愛嬌を振りまいている店も見かける。
足元に白砂をきしませながら、バルコもそれらの店を冷かして歩いた。小屋の前に出されたテーブルでは早くも土地の酒で出来上がっている仲間の姿もある。左右に二人の女の腰を抱いて通りを向こうからやってきたのは大男のダッカだ。
「ようバルコ!女か?だったらいいところを教えてやるよ」
もともと地声は大きいほうだが、酒が入ってなおさら響く。
「上玉が勢揃いだぜ。こんな風にな」
太い指で女の頬を突つくと女たちは腰をくねらせて嬌声を上げた。
「ずいぶんと威勢がいいな。でもまあ俺はいいや。それじゃまた、後でな」
バルコの求めているのは酒でも女でもない。初めての大漁で手に入れた大金で、なにか幸運の記念に珍しいものを探してやろうと思ったのだ。
しかしなかなかめぼしいものがない。通りからはだんだんと店が減ってきた。もっとも賑わっている一帯はすでに通り抜けてしまったようだ。道の白砂も風にさらわれ、地の赤土が見えかけている。ごつごつとした岩山が視界に迫りはじめた。つぶれかけの飲み屋を最後についに店はなくなり、人通りも途絶えた。岩山の上空には鳥の影が旋回している。
「やれやれ。くたびれ儲けか」
のぞむ収穫を得られなかったバルコは、あきらめて来た道を戻ろうとした。
その時なにかが視界の端に入った気がした。
振りかえってみると、どこか異様な雰囲気を放っている小屋だ。棕櫚らしき葉で葺かれた屋根は、ばたばたと風に乱れている。小屋の造りからいって何かの店ではあるようだが、おもてにそれらしき商品は出ていない。中を覗いてみると、店主らしき老婆がただひとり、椅子に腰かけてぶつぶつと何かをつぶやいている。あまりの怪しさに、そのまま通り過ぎようとしたバルコだったが、せっかくここまで来たのだからと、ふと立ち寄ってみる気になった。
軒先に頭を突っ込むと、外光の明るさに眩んでいる目にはなかなか様子がつかめない。ようやく薄暗い室内に目が慣れてくると、内部には老婆が座っている椅子と古い卓が土間に置かれているきりのようだ。しかし昼間だというのに店の壁にはろうそくが点され、燭台には溶けたろうが鍾乳石のように垂れ下がっている。芯が短くなっているのか、ろうそくはときおりジジッと音をさせて消えかかるが、再び炎を揺らして、老婆の影を壁に大きく映し出す。
「おばあさん、ここは何のお店だい」
バルコは入り口から声を掛けたが、返事はない。耳が遠いのか、老婆は相変わらず呟き続けている。
「ここは何を売っているんだい」
土間に足を踏み入れて、再度声を掛けると、ようやく老婆は顔を上げた。ぼうぼうと伸びた白髪に隠れて表情まではよく見えない。
「見慣れない顔だね。お前、この島は初めてかい」
嗄れ声が答えた。
「そうさ。土産物を探しているんだ。何か珍しいものはないかと思って」
「そうかい」
老婆は乱れた髪の隙間からバルコの姿をじろじろと見まわした。老いさらばえた顔の中で、肉のそげ落ちた鼻のするどさがひときわ気になる。
「大した金は持っていなさそうだね。ふん、まあいい。土産話がわりにはなるだろうから、ついておいで」
老婆は傍らの杖をついて立ち上がった。壁の燭台を取り上げるとバルコに持たせ、曲がったままの腰をさすりながら店の奥に促す。
「なんだい、密造の酒でもあるのかい。ここいらじゃ、サトウキビと薬草から作った秘密の酒を振舞う店があるって聞いたけれど」
バルコの言葉を老婆は鼻で笑った。
「おやおや、まるっきり子どもだね。この島の名物は酒と砂糖だけじゃないんだよ。とっておきの珍品を見せてやるから、こっちへおいで」
興味を惹かれたバルコは老婆に導かれるまま奥に進んだ。通路の先には扉があり、扉を開けると、店の裏は、岩山へと続く赤土の道につながっていた。老婆にしたがって岩の間を抜ける。道は急だ。老婆は振り返ることなく進んでゆく。短い草が生えた道を二人が登ってゆくと、人間に驚いたトカゲが赤銅色のうろこをひるがえして岩の陰に隠れ去った。
「ここさ」
着いたのは、大きな岩影に隠れるようにして口を開けた洞窟だった。粗末な木の扉が付いている。老婆が扉を開け、バルコから取り上げた燭台をかざすと、人間二人がようやく立っていられるほどの狭い空間が照らし出された。内部には、赤土を踏み固めた土間の三方の壁を木の棚が囲んでいる。
棚にはなにか鬼火のように蒼い光を放つものがある。目を凝らすと、棚一面に並べられていたのは無数の真珠だった。どの粒もこれまで見たことのないような大珠だ。親指の先ほどもある大きさにも驚いたが、なによりバルコの目を捉えたのはその光だった。
今しがた海からあげられたばかりのように、珠はうるうると水をまとって潤んでいる。珠のおもてには蒼い光が炎のように揺らめき、アンテが瞳を閉じても闇の奥に残像を残った。
「これは、」
「見た通り、真珠だよ。だがただの真珠じゃない。ありきたりの宝石に飽きたお妃様や奥方たちが、内緒で愛でた宝物さ」
(続く)
【バルコの航海日誌】
■プロローグ:ルダドの波
https://note.com/asa0001/n/n15ad1dc6f46b
■真珠の島
【1】 https://note.com/asa0001/n/n4c9f53aeec25 ☆この話
【2】 https://note.com/asa0001/n/n57088a79ba66
【3】 https://note.com/asa0001/n/n89cc5ee7ba64
【4】 https://note.com/asa0001/n/n9a69538e3442
【5】 https://note.com/asa0001/n/n253c0330b123
【6】 https://note.com/asa0001/n/n734b91415288
【7】 https://note.com/asa0001/n/nfe035fc320cb
【8】 https://note.com/asa0001/n/n81f208f06e46
【9】 https://note.com/asa0001/n/n6f71e59a9855
■銀沙の薔薇
【1】水の輿 https://note.com/asa0001/n/nedac659fe190
【2】銀沙の薔薇 https://note.com/asa0001/n/n6a319a6567ea
【3】オアシス https://note.com/asa0001/n/n3b222977da7a
【4】異族 https://note.com/asa0001/n/n224a90ae0c28
【5】銀の来歴 https://note.com/asa0001/n/n2a6fb07291ae
【6】海へ https://note.com/asa0001/n/n1a026f8d4987
【7】眠り https://note.com/asa0001/n/ne00f09acf1b7
【8】目覚め https://note.com/asa0001/n/ncbb835a8bc34
【9】海の時間 https://note.com/asa0001/n/nb186a196ed9d
【10】歌声 https://note.com/asa0001/n/ne9670d64e0fb
【11】覚醒/感応 https://note.com/asa0001/n/n983c9b7293f2
【12】帰還 https://note.com/asa0001/n/n53923c721e56
■香料図書館
【1】図書館のある街 https://note.com/asa0001/n/na39ca72fe3ad
【2】第一の壜 https://note.com/asa0001/n/n146c5d37bc00
【3】第二、第三の壜 https://note.com/asa0001/n/na587d850c894
【4】第四の壜 https://note.com/asa0001/n/n0875c02285a6
【5】最後の壜 https://note.com/asa0001/n/n98c007303bdd
【6】翌日の図書館 https://note.com/asa0001/n/na6bef05c6392
【7】銀の匙 https://note.com/asa0001/n/n90272e9da841
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