踊れ!ランバダ
人生は作品ではないので、何の意味も持たない瞬間がいくつもある。全てがひとつの結末につながっていることなんてない。だから、意味のないもの同士に意味を見出すことも自由である。
そういうことにしてほしい。僕はこの一枚を聴いた瞬間に、作詞家である朝日廉という人間のこれまでに想いを馳せてしまったから。
ランバダ・ワンダラン
リード曲。奇妙で軽快で、つかみどころのないリズムと音色が癖になる。音楽の一つの本質である「一緒に踊ろうよ」というメッセージを、難解な曲に乗せて純粋無垢に歌うロックバンド。最高だ。僕を楽しい世界に連れていってくれるヒーローはいつもどこかひねくれている。それは僕がひねくれているからで、そんなヒーローたちが作る世界だからこそ僕は素直に踊ることができるんだと思う。
この曲は極めてポップで、へんてこで、リード曲にふさわしいものであると思う。しかし、この曲によって隠されたような後ろ3曲の、どうしようもなく続く人生を歌う生活感、そこに真に胸を打たれた。
優しくなれたなら
ネクライトーキーのギターでありソングライターの朝日(敬称略)が、本名である朝日廉としてボーカルギターを務めるバンドがある。コンテンポラリーな生活(通称コンポラ)というロックバンド。少し前、そのワンマンライブへ行った。4年ぶりのワンマンライブでのMCで、印象に残っているものがある。
「昔の曲は、トゲトゲしてるのが多いっすね」
コンポラの曲は、思い通りにいかないクソみたいな生活を、怒りをそのままに書き殴るような歌詞が多かった。その衝動が、僕みたいな弱者へのロックンロールだと信じているし、爆音から透ける朝日廉の人生が好きだ。
ネクライトーキーの曲は、ポップで可愛くて楽しい。歌詞も、弱者の人生を語っていることには変わりないが、どこか架空の物語を描いているような彩りを感じていた。
ネクライトーキーの主人公が、朝日廉だったら。そのままで、ずっとずっとずっと優しくなれたなら。そんな理想が、この曲で歌われているとしたら。
コンテンポラリーな生活がネクライトーキーになり、モノクロの世界に色が付く。もし、物語でも何でもない、僕のギターヒーローが、こんな幸せなひとつの結末に辿り着いていたのなら、こんなに嬉しいことはない。
今日はカレーの日
3曲目にしてやっと、ネクライトーキーらしい、根暗な少女の生活のような物語が紡がれる。自室の一室で閉じこもる少女から見る雨。なんとなく浮かない気分の日、晩ごはんがカレーならそれだけでいい日になった。どこにでもある日常が、小さな幸せが、手に入らないことの苦しみ。僕もよく知っているような、知らないような、不思議な共感で胸が締め付けれる感覚がある。いつもの、この温度感もまた、僕の好きなネクライトーキーの音楽であって、新曲として聴けることが素直に嬉しい。
あべこべ
中途半端に生きてきた。好きなロックンロールを爆音で流して、それでも人生は変わらなくて。
どうしようもなく僕の歌だった。
同時に、朝日廉そのものを歌った曲なのではないのか、と邪推してしまう。
コンポラとGRASAM ANIMALが対バンした日、朝日廉が歌うGRASAM ANIMALのLOVE OILを聴いた。まるで人生をその曲に乗せているようだった。
ネクライトーキーを始めてから段々と違う方向へと進んでいって、希望の意味は変わっていって。あれからの今日が、あべこべの歌を鳴らす今日に続いたのなら、人生って案外悪くないのかもしれないなって。そうやって身を挺して希望を見せてくれる朝日廉の人生観が、ギターをかき鳴らす姿と同じくらい、僕は大好きなんだ。
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