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北千住で演劇おじさんに遭遇した話

前回書いた阿佐ヶ谷での翌日、北千住のアートスペースに演劇を観に行った。学生時代はアングラやサブカル大好きだったと言うのに演劇にはなぜかはまらず、多分それは小学生の時に田舎の親戚に連れられて地元のとある劇団の公演を観に行き、狭いコミュニティで共同生活しながら演劇活動しているその集団がどうも苦手で、それ以来そういうニュアンスを感じ取ってしまうとああ〜もう無理となってしまうからだと考えている。きっと最初の演劇体験がシティ派のサブカルなやつだったらそんな風にはならなかったんだろうと思うと、私の場合、色々な元凶は秋田にあると言わざるを得ない。北千住で観た演劇は、私の苦手な例の要素も独りよがり感も全くなく、コメディとして面白かった。元々人気のある劇団で、その後映画化もしたほどの作品だったので、相当良いタイミングで演劇を観に行けたのだと思う。

観劇終わりに友人とこぎれいな駅ビルでアジア料理でも食べて帰ろうという事になったが、駅までの道すがらバインミーテイクアウトの貼り紙がある小さいベトナム料理店を発見し、吸い寄せられるように入った。北千住も阿佐ヶ谷と同じように乗り換えする位しか用もないので、旅先で冒険しちゃお気分だったのかもしれない。店内には古めの演劇ポスターが何枚も壁に貼ってあって、私は例のヤバい雰囲気をうっすらと感じ取ってしまったが、引き返すことはできなかった。狭いしきれいとは言えない店内も、現地の屋台っぽい感じでよくあるよくある……とカウンターに腰掛けた。やばい、カピカピになった食べこぼしがそのままだ。よくあるよくある……

聞けばバインミーは平日のみで、土日のデイタイムはいくつかのメニューしかないらしい。私はフォーを、友人はカオマンガイを頼んだ気がする。「お客さんたち初めて? この店雑誌に紹介されてるんだよ」おじさんはカウンターの隅を指差した。掲載されたページに付箋が貼られた女性誌が置いてあり、この店構えでマジか……相当美味しいんだろうという期待が沸き上がった。「えっ、知らずに入ったのに、有名なお店だったんだ〜」的な反応を求められてもいないのについついしてしまう私と友人。我ながら哀しい。

店のおじさんがフォーを茹でながらカウンターの中から「もしかして演劇観に来たの?」と声をかけて来た。聞けば、劇団関係者が稽古期間中に通ったり、劇場帰りの客が演劇の話をするためにおじさんの店に立ち寄ることもあるらしい。私は演劇に明るくないので、詳しい友人とおじさんとの話を黙って聞いていた。知らない事でも知ってる風な表情で聞いたり相づちを打ったりすることは得意だ。「◯◯◯◯が出て来てから日本の演劇界はダメになった」とか「◯◯◯みたいな気概のある劇団は今はない」とか、門外漢の私でもよくあるよくある……と思う事をおじさんは話していて、私はカウンターの箸入れに無造作に入れられたちゃんと洗われていないフォークのポセイドンの槍部分と、テーブルに置かれたウェットティッシュがカサカサなのを確認し、おじさんに隠れて箸を自前のポケットティッシュとコップの水で念入りに拭く事に専念した。フォークは使わずに箸を拭いて使った方が良いと、声に出さずにどうやって友人に伝えたのか思い出せないが、ハンドサインか何かを使ったような気がする。

その後、私と友人が日本語ラップが好きだと言う話になり、おじさんも「俺も好きなんだ」とZORNとかその辺りのハスリンしてない爽やかラッパーのMVをiPadで見せてくれた。店構えも食器も汚いのに好きなラッパーは女子受けしそうだった。「あなたたちはどんなの聴くの?」オシャレなラップでお茶を濁しておけば良かったけど、おじさんには演劇よろしくリリシズムでないラッパーの曲は否定しそうな勢いがあり、この辺の記憶が曖昧になっているが、最終的に「サンタを殺したからクリスマスは2012年で終わっている」という場違い極まりない内容のMVを「こういうのが今流行ってるんだね〜初めて聴いたけど面白いね」と優しくコメントするおじさんから提供された料理を食べながら見るという謎の状況となっていた。

「味が薄かったら、それで調整してね」すっかり打ち解けたおじさんは私にそう声をかけた。デフォルトのフォーは素材の味を活かしたあっさり目だったんだろうけど、例のフォークや2012年にクリスマスが終わるMVのせいで私には全く味が感じられなかった。残り少なくなったナンプラーの瓶を手に取ったが、蓋がちゃんと閉まっていない理由は注ぎ口で液体が固まっているせいというのがわかって「このままの方が美味しいかな〜」というような誰に見せるわけでもない芝居をして、ナンプラーをカウンターに戻した。おじさんには何度か味変を勧められたが、私は薄味にこだわりを持つ女になりきった。フォーのトッピングの鳥皮が尋常じゃない程分厚く感じられ、私は食べきれずに二度と浮かんで来ないように皮を必死でスープの底に沈めた。味変もしないわ鳥皮も残すわの客だと文句を言われたら気まずいな……という思いもあった。後で友人に聞いたら、カオマンガイも同じような薄味、同じような皮だったらしい。もちろん友人も味変はしていなかった。

演劇おじさん、などと呼んでしまったが、好きな物や事が同じだったり共有する事ができる人と話す事は、性別年齢に関わらず楽しい。実際、日本語ラップの話を知らない土地の知らない店で話せるなんて今になって思えば良い経験だったと思う。食器と調味料がきれいでさえあったら、本当に良い思い出だっただろうと思う。あれからバインミーを食べる機会もなく、私の中で最後のバインミーはフォークとナンプラーの記憶になぜかすり替わってしまったが、今となってはバインミーがフードで提供されるような音楽イベントも中止になり、小さい料理店は閉店を余儀なくされたところも多いだろう。実際、その北千住のお店は、店舗の老朽化に伴う立て替えで自粛のまま閉店してしまうらしい。フォークとナンプラーの記憶が、美味しいバインミーの記憶になる日が早く来ますようにと願うばかりです。

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