母は、私を止めない。
最近、「傲慢と善良」という映画が公開されましたね。原作の小説では、親子関係について考えさせられる部分もしばしばありました。特に親の期待がのしかかるシーンには、不思議に思うところがありました。「え、選択するのに親の許可が必要?」「親の意見を反映しないとダメって…?」と。
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「傲慢と善良」のように親の意見を気にするという家庭がある一方、私の家庭は…その真逆です(笑)。「親が選択する」という概念がそもそも存在しませんでした。そんな自由すぎる家庭環境が育った結果と、今振り返って思うことについて語ってみたいと思います。
※独身なので、あくまでも「子供目線」になりますが。
自由すぎる家庭で育った結果
〜「親が選ぶ」という発想がない〜
私の家は、いわゆる「放任主義」です。
私が3人兄弟の末っ子ということも関係しているのか、両親は勉強に関しても「勉強しなさい」なんて一度も言われませんでした。習い事の選択、高校・大学の進学先、さらには就職先まで、全てを私自身に任せてくれました。
何かを始めたり進学先を決めたりする際に、「親に確認しなきゃ」と思ったことすらなく、むしろ全て「自分で考えて決めるしかない」と思っていました。
例えば、進路選択の時も、他の子たちが親とあれこれ相談する中で、私は「この学校に行くわ」「滑り止めここでいいかな」と自分でポンポン決めていきました。大学進学時も「私立受けるのやめたわ〜」と勝手に進路変更。さらには、東京で就活してたはずが「大阪に行くことにした」と決めたあとに報告のみ(笑)。
旅行の際も、ふと思い立って「エジプト行ってくるね〜」とだけ伝えたら、帰ってきた返事が「そうなん?気をつけてな」だけ。年末年始で帰省シーズンなのに、何も言わずに行かせてくれる親です。
〜「自由」の重さ〜
自分で決めるしかない状況だからこそ、選択する責任も覚悟も自然と身についていったのだと思います。親に頼ることができない分、「じゃあ自分でどうする?」と考えることが、私の選択の原点でした。
決して自由に選択できるほどの裕福な家庭というわけではなく、子供なりに進路選びは費用面も考慮しての選択でした。他にも学生時代はよく金銭面で苦労もしましたが、全て自分で決断したからこそ「やるしかない!」と思えたのかもしれません。
任せる・見守ることの難しさ
今になって振り返ると、うちの親はただ放任していたのではなく「見守っていた」んだなと思います。私が決めたことに対して干渉せず、ただ見守る。この見守るというのは、親にとっては一番難しいことではないかなと思います。
仕事面で、部下や後輩をマネジメントする立場になり、「任せる」ことの大変さがわかるようになりました。任せるって本当に勇気が必要なことですしね・・・・。
とはいえ、任せてみないと1人で出来るようにはならないのも事実です。
まとめ
親が全て任せてくれたからこそ、私は自然と「自分で決めるしかない」と覚悟を持って歩んでこられたのかもしれません。そのおかげである程度のことは自分でなんとかできているんだと思います。
何も言わずに見守ってくれた両親には本当に感謝です。
(とはいえ、今も自由奔放すぎるので、将来のことを心配されているのがオチですが…笑)