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2024大凝縮作文(駄文)

友人・知人各位に知って欲しい〜、という気持ちでいつもストーリーなどにぽろっと書いている言葉の寄せ集めのような今年の振り返りを、ドカーッと書き上げてみた。

あとあまりにも色〜んなことがあり、文字に起こしたくなる一年だった&久しくしっかりとした文を書いていなかったので、文書認め欲がここにきて爆発したというワケです。

では、完全見切り発車で振り返ります。


年始、多忙。必死。大阪に家があるけど、月の半分くらいを家以外で過ごす生活。精神的にも身体的にも結構その時点ではだいぶキャパオーバー、限界来てるかも、と思っていた。(当然今の方が8億倍忙しいのでなめるなよ、と自分に言いたい。でも二度とこの時期には戻りたくない。)

定期的に好きなことに苦しめられて好きなことに救われる生活だなあと自分では呪いのように、誇りのように思っているけど、今年も健在。

色んな観点から考えた時に、やむ無くずっと一定の距離で、でも陰ながら幸運を祈り続けていた(し、ひたむきな姿勢を見ていると必ず光が当たるような気もしつつ、そうでないとそんな世の中やってられんわと思いつつ)アーティストが素晴らしい作品を世に出した。
リリースから少しだけ日が過ぎたくらいに、ようやく自分の心の余裕が生まれたので、夜中に近所の街を自転車徘徊しながら聞いてみた。1曲目を聞いた瞬間の高揚感とドキドキと、さすがに何コレ?堪らんのでは?と思ってそのまま気がついたら自転車に乗りながらフルアルバムをぶっ通しで再生してしまったときのことは、とてもハッキリ覚えている。その時、大きな高速道路の高架下沿い、ゆるゆると自転車を漕いでいる自分の視界に写っていた点々と続く街灯の薄オレンジ色がすごく綺麗で、これもかなり頭に残っているな。また1つ素晴らしい音源に出会ってしまった〜〜と思い、本当に本当に感動した。
(このアルバムの話を、今年色んなところで色んな人にした記憶がある。)
なぜか私の人生の節目的ポイントで、どうしてか奇遇にもゆるりと現れて交わる彼らとは、これからも不思議な縁で結ばれていたらおもしろいな〜と思う。


春、関東へ引越し。昨年秋からフワフワとしていた自分のこれからの拠点の方向性がようやく定まる。関西を離れることの実感はこの師走も師走にかなり遅れてようやくやってきているので、この頃は忙殺続きであまり情緒的に色んなことを考える余裕もなかった。

でも、今年の春先はなぜか思い返すと、ものすごく胸がぎゅっとなるとても濃い季節として頭が記憶している。色んな事情が重なりたまたま引越しを春先に行ってしまったせいで、ただの転居が少し無駄にエモーショナル思い出装飾されているのは否めなくはないけど。
思い耽ると流れる音楽とか景色があるし、人がいるし、なんだか物凄く色鮮やかだった季節。生ぬるい春の空気に見合った質感と、自分の思い出の温度が一緒ってなんかいいなあと思ったりした。


昨年〜今年にかけてアホみたいなテンションで仲良くなった最高の人達とアホみたいな流れで夜通しお酒を飲んでいた最中に、私の引越しを手伝いに来ようとするノリが発生した。そしてあろうことかまじで実際に引越し数日前に荷造りを手伝いに来てもらったりした。
リアル本気マジで何も進んでいない部屋の荷造りを非常にテキパキ進めていただき、未だにあれが無かったらほんまに荷造り終わらんくて泣いてたと思う。(泣いてもどうにもならないことランキング1位:荷造り)
実際、荷造りをバキバキに手伝ってもらったにも関わらず、最後の24時間はほぼ寝ずに荷造りとリモートワークを交互に行いました。まじで朝引っ越し屋さんが家に来た時は目半分も開いてなかったし、頭の回転率終了状態でした。最高の人達2名、そして引っ越し屋さん2名、本当にありがとうございました。陳謝。

あとは、超超超憧れの人にご挨拶させてもらえる機会があった。当日、直前に急遽「じゃあ、 せっかくなので挨拶お願いします〜!」みたいな感じだったので、気持ちの準備も出来ずにアワワワワワとなり………。もちろん記憶はほぼ無く……………。もっと大したことを話すべきだったなと未だに後悔している。でも、これが最初で最後にならないように精進するぞ〜と思ったりした。

夏、忙殺。この頃〜秋口までは、月の半分は京都に居る生活。身体は定期的にエネルギー切れを起こしかけてはいたけど、京都という街がとても好きなので滞在が長いことにはなんのストレスも無かった。(むしろ、関西地方に少しでも多く滞在できることで、転居したという事実から目を背けられるというラッキーさもあり…。)
新しい環境にいち早く馴染もうとしつつ、とにかく必死にやりたいことにトコトン全力で時間を使えていたありがたい季節でした。だからカレンダーとカメラロールを丁寧に振り返っても、実際に経過してる日時と体感の日時がまるで全然違う。夏は3秒でした。

あと、春〜夏の境目で久しぶりに自主企画ライブをした。色んな理由はあれど、やっぱりお世話になったライブハウスで上京前に一本自分なりの恩返しとして企画がしたかったというのが一番大きな動機。
とにかく大好きだと惚れ込んでいる皆様をお呼びして詰め込ませていただき、なんちゃって2ステージだったので当日は思ったよりも忙しなかったな。
でもO.A.のサブマリンから始まり、luv・Summer Whales・周辺住民・ULTRA・広村康平(from ペペッターズ)・downt、それぞれのライブ中の記憶はバッチリしっかり記憶に残っている。
あと出店してくださった、浦野さん、ひであきさん、かりんちゃんにも多大なる感謝を…。

あと、リハ〜本番までの間にULTRAのめぐさんが私の似顔絵を物販メモに書いてくれていた。すご〜〜〜〜〜〜く嬉しくて宝物です。

しれっと書いてくださっていた 涙すぎる


当日がこの夏一番といっていいほどの湿気&大雨だったことは、未だにお天道様を許してはおりません。
荒天の中、関わってくださった皆様、遊びに来てくださった皆様に本当に感謝を申し上げます……。


あと、映画館で「千と千尋の神隠し」「もののけ姫」をめっちゃ良い音&良い映像上映で見た。「もののけ姫」はコロナ禍に映画館で一度見たことがあったけど、「千と千尋の神隠し」は念願の映画館鑑賞………! と〜〜っても嬉しかった。(「もののけ姫」は天使と一緒に見ました。レイトショーを見終わったあと、超早口トークで駅まで歩いたのがとても楽しかった。付き合ってくれてありがとうございました…。)

「千と千尋の神隠し」の映画冒頭、音楽が流れてきた瞬間に凄まじい音の良さに打ち震え、感情がダイレクトに揺さぶられる感じがしてなぜか爆泣きした。その後も結構な頻度で泣いた。今まで「千と千尋の神隠し」は何回も何十回も見たことあるけど、涙を流したことはなかったからちょっとびっくりした。
ジブリ映画はめちゃくちゃ好きなのですが、理由の一つに、見る年齢が変わるにつれて感想が結構変わってくるというものがある。今回もまさにそれで、今までとはまた違った捉え方で映画を観たと思うし、頻繁に流れた涙もその一因な気がしている。あと久石譲の音楽は本当に素晴らしいです……。



秋、忙殺のちシャットダウン。自分自身について、他人について、人生について、色々と考えざるを得ない出来事が複数立て続けに起きたので情緒がドカーン!という感じでした。

人間、情緒がとんでもないことになると意味のわからない行動を取ろうとすることも学びになった。
意味もなく1人で高めのパフェを食べてみたり、地元の何年も行けてない閑散としたショッピングモールに無駄に行ってみたり。(記憶にあったお店が尽く無くなっていて、なんとも言えない気持ちになった。大人になったら行ってみたいなと思っていた古びた喫茶店がなくなり、無駄に広い休憩スペースになっていたのが微妙に一番凹んだ。しかも夏の終わりだったのでヒグラシの鳴き声が余計に寂しさに拍車をかけてきた。)

あと朝目覚めて突如思い立ち、車で片道2時間かけて思い出深い土地に海を見に行ったりもした。でもその土地でまさか、その日その時間ドンピシャに、縁のあるアーティストがフリーライブをしていたことにはさすがに何かの"スピ"を信じてしまいそうになった。(そのまま色んな相談にも乗っていただきありがとうございました。本当に助けになりました。)
そんで夕方、海岸線沿いをボーッと歩き続けたことでかなり脳が整理された。海は良い。誰もいない、広大な場所を1人で歩いているとまるでそこが現実世界じゃない場所のような気がして、一番気分転換になるので好きです。

そんな状態の私を神様(?)はギリ見離さなかったので、有難いことに今後の人生においての選択の余地を与えてもらったと勝手に思っている。なので今もこうしてなんやかんやありながらも活力的に生きることが出来ている。
死生観とか人生観とか、なんかそういうでっかい自分の根底にある考え方みたいなものについて、やたらと考え続けた結果 <内省はしすぎるとマジで毒> という学びがありました。書を捨てよ町へ出ようという言葉の重み…。

新しい環境に馴染むのが得意ではないので、変化には結構苦しんだ。
でも自分の意思が何一つ反映されていない場所に居ると、恐ろしいくらい自分にとっては学ぶことしかないという気づきを得た。そこそこ毎日色んなことを(無駄に)考えて生きているつもりやけど、やっぱりまだまだ見えてない部分とか足りてない部分が超!あるのですな〜と、より詳細に気づくことができる環境に存在していることに、今は楽しみを見出してはいる。
あと人って自分が思ってるよりも優しい場合が多いんやなと思って、ホクホクしたりした。

そして現在、冬。忙殺。結局一年中忙殺。でも有り余る暇が欲しいとは思わないので、自分にとっては良いことだと思ってはいる。体力には限界があるのかもしれないということは、目を逸らしていたけど少しずつ実感し始めてはいます………。

ざっと振り返ったけど2024年はあまりにも情報量が多すぎた。抜粋した振り返りだけで上記なので、本当はまじで細かく書きたいことがいっぱいいっぱいい〜〜っぱいある。でもさすがにそんなに時間もないので、このくらいでいっか〜となり始めている(照)。


最後に、色んな形での人との別離が多すぎた一年。未だに整理はついてないし多分つかないし、しばらくは無理だろうなと思う。それをなんとか受け入れようと少しでも思うことが、私にとっては次へ進むというかなり前向きな一歩ではある、はず。

超落ちる度に助けてくれる人が必ず現れてくれたことも、物凄く恵まれていた一年だったなと思う。言葉は人を本当に救うなと思ったし、キャパが余りにも小さい自分でも"助けになりたい!"と思った人には、お節介でもちゃんと気持ちが伝わる言葉を渡せる人でありたいなと改めて思った。

体感と直感的に、とにかく色んなことにガムシャラに精神力だけで突き進めるゾーンは"今年でなんとなく終了ですよ"のお知らせを出されたような気がしている。来年は地に足はキチンとつけながら必死にやっていきたいな〜。本当に時間が有限だな、ということを嫌でも考えさせられた2024年ではあったので。ここでの選択が吉と出るように、とりあえず暫くはひたむきにやっていきましょな〜というモード。本当に、自分に足りていないと思うことが余りにも多い!

あとは人から人への色んな矢印の向き方を知った一年でした。人生って一生学びが続くんだな〜って思ったりとか。変な青い尖りはさすがにキツいから削れていくべきとは思えど、大事な部分は絶対に流されないように確固たる信念は貫きたい。ぼんやりうっかり、なんとなく迎合してみることだけは避けたい。

秋口、絵馬を書くイベント発生
あまりにも乱雑な願望

なんかもっと書きたいこといっぱいあったけど、そろそろ書くのに飽きてきたので辞める!

ここまで読んでくれた人、凄いです。来年何かしらでぜひ誘ってください。お茶とか飲酒とかお出かけとか。

2025年は快活明朗・爽やかPOPな根暗として名を馳せていきたいです!なんとか必死に生き抜くぞ〜〜

〜完〜

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