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「私の幸福論」を論理的に考えてみる

■お金持ち=幸福なのか?

よくある議論として、「お金と幸福は比例しない」というものがある。

結論私は ”必要条件ではあるが別軸の方が重要”と感じる
なぜそう思うのか?
その考えに至った私なりの思考変遷を誰もみていないであろうこのブログに書き殴りたいと思う

■(仮説1)年収UP=不安をなくす行為

<図の見方>
縦軸:年収の度合い(上に行くほど高い)
横軸:幸福の度合い(右に行くほど高い)

年収が上がれば幸せになれるはずだ!と本気で20代前半までは考えていた。
大手商社勤務だったこともあり、上司を見ると年収2,3000万円超えもゴロゴロいる。
ただその人たちが本当に幸せなのか?を考えると
単身赴任も多く、平日は仕事に忙殺され飲み会では多少の愚痴を言い合う
俗にいう「サラリーマン」であることに変わりがなかった(もちろんお金の不安はないが)

つまり年収を上げる=縦軸で上の象限に行っているだけであり
私の中では年収だけでは右上の象限(年収且つ幸福)に辿り着けないだろう

とその時に悟った

■(仮説2)東京にいる限り「幸福」象限に辿り着かない

私は4年目で商社をやめて転職をした
年収はめちゃくちゃ下がった(約半分)
しかし長期的に考えると商社に在籍している限り実現できるのは縦軸で上に登る作業だけであり、商社マンの自分には左右の軸が存在しないことに気づいたからだ(もちろん日々楽しいことはある)

その時すでに私は右側の象限(幸福象限)を目指すには
田舎に帰るしかないと感じていた。

都会でいる限り「好き」をストレスなく行うことができないと感じていたからである
※都会(東京)の嫌いなところは以下に列挙している通り

一言で言うと「隣に家がない平屋の庭で旧友や家族とBBQをすること」が私の人生の目的となったのである


(結論)年収を維持し地元へ帰る=私の幸福論


私の幸福度を上げるには地元に帰ることが必要だと判明したが
お金の不安を抱えたまま田舎に帰っても右下の象限に行ってしまう。

つまり「年収を維持しつつ田舎に帰る(右上象限)」が人生の目標となった

転職後、必死に人間関係を構築し取引先、社内に認めてもらい
当時の上司、取引先の方と一緒に独立をした
年収は商社時代よりも増えたしテレワークも可能な環境となった
※またこの辺りは気が向けば書きたいと思う

とにかく33歳の若造ではあるが、苦節8年ほどで夢が叶ったのである

雨の日のBBQのために建てた平屋のテラス


(疑問)右下でも幸せなんじゃないか?

地元に帰ってきて約半年が経過した
都内での暮らしとは全く違うが食費や遊びにかかる金が圧倒的に減ったしファッション大好きだった私も服をそんなに買わなくなった

右上象限でなくても実は幸せなんじゃないか?と最近考えるようになった
独立してからもそこそこ忙しいし都内へ月2回は行く必要がある
ここに少し書いた父親のような暮らしも意外と悪くないのかな?
とも最近は感じている

まだまだ人生は続くので、
この辺りはゆっくり考えていきたいと思う

地元で自己肯定高い人間が実は一番幸せなんじゃないかなー

以上

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