[ Symbolizm ] 階段を上る(中編)
はじめに
本件は「階段を上る」(前編)の続きとなります。階段はきちんと一段一段上らなければなりませんので、未読の方は、まずは前編から上ってくださいまし。
本件の階段
本件で上る階段は、踊り場と踊り場に挟まれた中腹の5段の階段です。3段に比べ急に文字数が増え、似たり寄ったりの古代の柱まで加わっちゃいますからよく分からなくなってしまいます。
しかしながら、前回の大工道具の教えで心の準備が整っていれば、見た目の難解さとは裏腹に、納得の光が得られることでしょう。では5段の階段についてまいりましょ〜!
5段の階段
5段の階段には「人間の五感」と「5本の柱」が結び付けられ記されています。デザイン違いの柱は建築の「秩序・様式」を表しております。この「秩序・様式」とは「建築における法」であり、各パーツが果たすべき役割によって規定された、一定の比率に従ったパーツの集合体のことです。
もう少し簡潔に述べますと、柱は建築物の基礎であり、建築物全体の様式がそこに凝縮されています。柱を見るだけで、その建築物全体が見えてくるほど重要です。したがって、柱は建築物の法そのものなのです。
さらに、三段の階段が示しているように、象徴画で描かれる大工が建築するものは自分自身の心です。柱が象徴する秩序もまた、人間の内面と重ねて理解することが求められます。この5本の柱の意味を理解すれば、階段の象徴画に添えられた五感の意味もおのずと理解できます。ではまず5本の柱を個別に見てゆきましょう。
・5本の柱
最初に名称から。左から、トスカナ式、ドーリア式、イオニア式、コリント式、コンポジット式です。その違いは柱頭の装飾にあります。一見してお分かりの通り、左から右へかけて徐々に豪華な装飾になってゆきます。この装飾の意味が、前回の大工道具のように我々人間に重ねられ「教訓」となります。
さらに詳細に申し上げますと、5つの柱は、3本と2本に分けられます。画像左のドーリア式、イオニア式、コリント式の3本はギリシア起源です。ドーリア式はギリシャ本土と西ギリシャで生まれ、柱の中で最もシンプルなもの。 イオニア式はギリシャ東部で生まれ、その起源はあまり知られておりません。 コリント式はギリシャの柱の中でも最も華麗なもので、美しく装飾された柱頭が特徴です。
この3本を元にして、ローマ起源のトスカナ式、コンポジット式の2本の柱が生まれました。トスカナ式は極端なまでにシンプルで強固な柱。コンポジット式は全ての柱の特徴を兼ね備えた豪華絢爛な柱です。
よくセフィロトと重ねられる3本の柱は主に前者のギリシア起源の、古い方の3本です。上記の象徴画では三本の柱の特性を用いて、「Strength」「Beauty」「Wisdom」の三位一体を象徴しております。
しかし、階段の象徴画の柱は5本ですので、同じ柱を用いていても意味が違います。混同しないようご注意ください。3本の柱で用いられる場合はほとんどがギリシア起源の3本です。
では柱の特徴と象徴へと進んでゆきましょう。
・柱の特徴
左からまいりましょう。トスカナ式は5つの柱の中で最も強固な柱であり、その単純さから5つの柱の最初に置かれます。飾らない衣服を着た逞しい労働者に喩えられます。
ドーリア式は基部・柱頭部の装飾以外なにも飾らない極めて原始的な柱です。その特徴は雄大で高貴。大人の男性を規範としているため、繊細な装飾は不釣り合いです。ドーリア式は原則として力と高貴な単純さが尊ばれる戦争目的の建物に使用されました。有名なものではパルテノン神殿がドーリア式です。
イオニア式は優雅さと創意工夫の才の両方が表されており、これはうら若き美しい女性を規範としたもの。そのことを示すかのように、エフェソスのアルテミス神殿はイオニア様式で建築されています。
イオニア式よりさらに美麗な柱がコリントのカリマコスにより発明され、これがコリント式となりました。この柱は5柱の中で最も華美とされる柱で柱頭の華麗で細かい装飾が特徴。この様式は主として、国家建築に用いられました。カストルとポルックス神殿はコリント式です。
最後の柱はコンポジット式で、他の様式の集合様式です。柱頭の装飾を見れば明らかで、その他の柱の特徴が詰め込まれております。この様式は主として、力と優美さを兼ね備える建築物に用いられました。
これらは全て柱の特徴ですが、これらの特徴を象徴的に解釈し人間に重ね「教訓」となります。ですから、柱の特徴が頭に入っておりませんと、5段の階段に添えられた5本の柱の意味が理解できません。上記の柱の特徴をしっかりと理解してください。
・柱の象徴的解釈
5つの柱の様式は「自分の人格のあらゆる面をいかにして拡張するか」が示されています。この象徴的解釈はとても大切で間違えられないため、ロバート・ロマス氏の著書からそのまま引用いたします。
トスカナ式の柱は、魂の叡智の発達に必要な個人的努力という美徳を示す。 忍耐を表す。
ドーリア式の柱は、魂に変容を起こすのに必要な剛毅と、社会の善のために働くことの美徳を表す。
イオニア式の柱は、世界に美を生み出し、これを評価する必要性を表す。
コリント式の柱は、荘厳かつ印象的な魂を生み出すため、叡智と剛毅と美をどのように組み合わせるかを示す。
コンポジット式の柱はひとつの建築(すなわち魂)を造るために、クラフトの教義の全てを結集せねばならないということを示す。その建築は、それを見る角度によって、剛毅、叡智、美を表す。
3段の階段に比べ、格段に覚えることが多くなるため難解に思えるかもしれませんが、そんな知識を覚えやすくするためのものが象徴です。柱の特徴と象徴的解釈を並べて見れば、きちんと繋がっていることが読み取れることでしょう。
トスカナ式
逞しい労働者 = 忍耐。ドーリア式
雄大で高貴な大人の男性 = 社会の善のために働くことの美徳。イオニア式
うら若き美しい女性 = 世界に美を生み出し、これを評価する必要性。コリント式
国家建築 = 叡智と剛毅と美をどのように組み合わせるか。コンポジット式
力と優美さを兼ね備える建築物 = 教義の全てを結集。見る角度によって、剛毅、叡智、美を表す。
きっと誤解を生むであろうトスカナ式の「労働」について補足します。ここでいう「労働」とは、皆さんが日々行なっている生活のための労働のことではありません。
何度も申し上げて恐縮ですが、階段を上る象徴画はあなたが洞窟から出るための手順を示しています。よって、ここでいう「労働」とは、「古き智慧を学ぶこと」を指しています。
ゆえに「労働=忍耐」は、「黙って日々の労働をこなしなさい」という支配層的な発想のものではなくて、「学び=忍耐」という、あなたの心を解放するための大切な心構えです。誤解なきようお願いいたします。
テサロニケの信徒への手紙二 3章10節由来の「働かざる者食うべからず」を刷り込んでくる某宗教のいう「労働」とは、字は同じでも意味はまるで違うのですよ。
この労働&賃金については再度7段の階段の記事で詳しく述べます。本件ではここまでにしておき、次へ進みましょう。
・五感との結びつき
5段の階段に五感が結び付けられています。この意味は3段の階段の「三つで一つ」の意味と重なります。つまり「五つで一つ」を示しています。その象徴は5段目の柱である「コンポジット式」に現れています。
「教義の全てを結集」
「視覚、聴覚、嗅覚、触覚、 味覚」の五感は5つで一つの感覚です。五感が全て正しく機能して、初めて神殿(自分)に7段の階段が建築できるということ。あなたは自分の五感を本当に使えておりますでしょうか?惑わされておりませんか?
そして、柱と合わせて考えるなら、5本の柱の教えを全て終結させることで、次の7段に歩を進められるということです。
・更に深淵
ここからは何かの本に書いてあったりとかではなく、わたくしが気づいたことです。
フリーメイソンがピタゴラス学派を踏襲していることはよく知られたことです。わたくしは、ふとした時に「ピタゴラス学派の警句」と「5段の階段の五感」とが繋がっているのではないかと考えました。ただ、メイソン関係の書籍には、そんなことは一切書いてありませんので、ひとつの参考程度に留めておいて下さい。では警句と五感の繋がりについて綴ります。
5段の階段の順番は下から、聞く、見る、感じる、嗅ぐ、味わうです。これを器官に置き換えますと、耳、目、肌、鼻、舌となります。では、ピタゴラスの警句と重ねてみましょう。
聞く = 風が吹いたらその音に敬意を払え
神(物理法則)の命令は四大元素の声の中に聞こえること、および、
自然の万物は「和音」「律動」「秩序」「順序」を通して
神の属性を表していることを示す。見る = 重荷を上げている者を助けよ。重荷を降ろしている者を助けるべからず。
修行者は勤勉な者を助け、責任を回避しようとしている者を助けてはならないとの戒め。怠惰を助長することは大きな罪だからである。(人をよく見るべき)感じる = 燕を家の中に入れてはならない
この格言は、真実の探究者に自信のない思想を心の中に入れてはならないこと、怠け者と交わってはならないと言うことを警告している。
身の回りは常に理性的な大望を持った思想家や、良心的な努力家に囲まれているようにしなければならない。(自分の身の置き所を感じるべき)嗅ぐ = 床から起きる時、シーツを巻き上げて体の跡を隠せ
無知という睡眠から叡智の覚醒状態に目覚めた者は、眠っていた時の一切を抹殺せよ。賢者は通過するにあたって何一つ痕跡を残さない。愚者がそれを見て偶像を作る鋳型として利用することになるからである。(匂いすら残さぬほど痕跡を消すべき)味わう・舌 = 何よりもまず汝の"舌"を支配せよ
言葉というものは人間を表現させるというよりはむしろ誤解されるということ。言うべき事に疑わしいことがあったらいつも沈黙を守らなければならない。
さらに付言しますと、イスラム教にも5本の柱があり、信仰の5
本柱の象徴として用いられております。
まとめ
3段の階段は「学ぶ前の心構えの三位一体」、5段の階段は「自分の能力を拡張させる考え方の五位一体」。どちらも人としてのまっすぐな生き方の教えでした。あなたはきちんと階段を上れているかしら?
現代は極端な自由主義が蔓延しているため、「努力」「義務」「責任」を「苦なもの」と定義し、一昔前の悪しき慣習とまでなりかけております。「自由」を履き違えた「適当」「楽がいい」「楽しければいい」という思想が社会の潮流です。ただ、これは何も現代に限ったことではありません。ピタゴラスの警句の第一項を思い出して下さい。
公道から離れ誰も行かない小道をゆけ
知恵を求めるものはそれを孤独の中で探究しなければならない。
いつの時代も智慧を求める者は社会の潮流である公道を歩きません。従って、潮流が「適当」「楽がいい」「楽しければいい」ですから、それの真逆を歩けば良いのです。
このことについては、7段の階段を上り切った時に、褒賞・賃金として与えられます。ですから先に7段の階段を上りましょ〜!
といったところで本件は締めとさせていただきます。わたくしの文章であなた様の心に5段の階段を築くお手伝いができましたなら、引き続きお付き合いの程をよろしくお願いいたします。
作品紹介
デジタルBook:『ヨハネ黙示録 完全解読』
デジタルBook:『Decode of the Matrix』
デジタルBook:『ダヴィンチコードを乗り越えて』
本:『Divine Ratio Re:Decode』
本:『As above So below』
アパレル&小物:Cavalier Camp
動画:Channel 113
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