感受性の強さと感情移入、自己投影
※大阪の心療内科の事件について記載があります※
大阪の心療内科の事件を知ってから、極端に体調を崩した。第1報の「ビルで火災発生」の時点で、ネット上ではそのビルに心療内科が入っていることが特定され、何らかの恨みを持つ患者による事件だと言われていた。精神科に通院する立場としては、「まぁ妄想や幻覚、幻聴がある病気もあるからそう言われても仕方ない」と冷静に思う一方で、やはりどこかやり場のない、精神病患者への偏見みたいなものを感じてしまった。私はネットで拡散された搬送されている人々の写真やトリアージされている人々の写真を見てしまい、それを見てしまってからずっと頭の中をぐるぐるしていた、「私が死ぬべきなのかもしれない」と。
未来がある方々だった。病院に通って、病気を治そうと、健康な心になりたいと願いながら通院していた方々。奪われた命も、自分じゃどうにもならないとわかっていても全部救いたくて、ただこれ以上犠牲者が出ないようにと強く祈ることしかできなかった。泣きながら祈りながら、やっぱり私が死ねばいいのにと思った。
ある芸能人の飛び降り自殺のニュースを知った時も、ものすごく動揺して苦しくなった。私が死ねばいいのにと思った。別にファンだったわけじゃない。ニュースの写真を見たら美しい人だと思った。こんなに綺麗な人なのに。声優も歌手もやっていたらしいと知って、やっぱりこの方も未来があったのにと思った。同時に死にたくて仕方なくなった。私が死んで何かが変わるわけじゃないのは分かっているけれど、そういう衝動がワーッときてしまって、止まらなくて、やっぱりめそめそ泣いていた。
診察で先生にそれを伝えたところ、「感受性の強さと感情移入」の話をされた。感受性が強すぎるのは悪いことではないし、他人の気持ちに寄り添うことが出来るという強さもある。ただ、それによって生きにくくなることもあると。○○さんは、自分と他人を分けて考えることが難しいんだね、と言われた。他人のことを、自分と同じようにくっつけて考えてしまう。それは「私はあなたのことを分かっているよ、だからどうか私のことも分かってください」というサインなんじゃないかと言われた。ずっと理解してもらえない、話を聞いてもらえない、何を言っても信じてもらえない、そんな環境で生きてきたから、幼少期からそういう感覚が染み付いてしまっているんだね、と。少しづつ、自分と他人は別の存在だということを意識していきましょう、と言われた。自分と他人を重ねすぎるのは良くない、適度な距離が必要です、と。ただ、その感受性の強さに救われた人も沢山いるでしょうね、と先生は最後に付け加えていた。
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