「べき思考」でがんじがらめの君へ

私には子どもの頃から夢だった職業があった。教員だ。教員になりたいという一心で、高校も大学も選んだ。本当になりたかった職業だった。一度は夢が叶った。採用試験に合格した。中学校の教員になった。でも、パワハラに遭ったのもあり、すぐに心身を壊して一年足らずで退職した。
今も夢に見る。早起きをして職場に向かう。階段を上り職員室へ。朝の挨拶運動。授業をするために教室へ向かう。「学級委員、号令お願いします」という自分の声で目が覚める。心臓がドクドク鳴っている。どうして。どうして今、教員じゃないんだろう。
教員でありたかった。教員でいれなかった。自分がダメだったから。辞めるしかなかった。

この「教員であるべき」という「べき思考」に今も苦しめられている。できなかったこと。やれなかったこと。届かなかった手。叶わなかった夢。あれから何年たっても、ずっと苦しんでいる。
「べき思考」は厄介だ。プライドが高いのかもと思ったが、たぶんそれだけではないと思う。幼いころから、何者にもなれなかった私の、小さな抵抗が「教員という夢」だった。親に殴られても、学校でいじめられても、夢が叶えば幸せになれるという淡い、淡すぎる期待。「教員になって自分と同じような居場所のない子を救いたい」と私は常々言っていたが、今になって思えば、自分で自分を救いたいだけだったのかもしれない。

今の自分に満足していないかと問われたら、それも違う。今は幸せだ。毎日食べるものがあって、あたたかい布団で眠れる。猫も表情豊かで可愛い。夫も私の病気をよく理解してくれる。「足りないものを数えるより、与えられているものを数えたい」と思う。でも、どうしても上手くいかない。「できなかったこと」「やれなかったこと」に囚われてしまう。うじうじしながら毎日生きている。どうすればいいのだろう。

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