"抵抗"はまだ終わらない―RASCAL CLAN解散によせて
初版:2024年8月8日(木)0時3分
2版:2024年8月8日(木)23時58分 「ラスクラファンへ」追記、誤字脱字修正
はじめに
盛夏を極め、お台場ではTIFの3日目が華々しく行われていた2024年8月4日、RASCAL CLANは5th ONE-MAN LIVEをもって解散しました。
2024年6月21日の解散発表後、僕はその時素直に思ったことをnoteにまとめて公開しました。
それ以降、解散に至るまで、ここに記した気持ちと共に、僕なりにラスクラとともに最後まで走り続けてきたつもりです。
noteに書いていた内容へのある種の回答を含めて、この解散までに感じたこと、思ったことをここでは書いていきたいと思います。
僕なりの解散への”抵抗”
以前のnoteには、以下の通り、解散発表に対する反応をみて抵抗を呼びかけました。
こう言ったのは、「メンバーが決めたことだから仕方ない」といった割とあっさりと(表面的であれ)解散を受けいれているように見える人が多かったからに他なりません。そこでは、「自分はこの解散してほしくないという気持ちに最後まで寄り添って、そしてこだわって残りの時間を過ごしていくつもり」だと宣言しました。この言葉通りの1カ月半を過ごしてきたつもりです。
では、どのように”抵抗”してきたのか。無論、様々な形(時にその辺のちびっこのように駄々をこねたこともありました)で抵抗をしてきたつもりですが、その中でも最も意識してやってきたことは「一人でも多くの人にRASCAL CLANを見て、その良さを知ってもらい、解散に対して惜しむ声を上げさせる」というものでした。
解散という事実が覆ることがないことは当初から理解していますが、それでも、解散を惜しむ気持ち、これを巨大なものにすることができれば、それこそ抵抗になりうるのではないかと考えたわけです。
”抵抗”としてのフロア作り
では、そうした声を上げさせるために自分なりにできることはなにかと考えた時、真っ先に浮かんだのが、ラスクラの最高のステージを受け止め、一緒に最高のライブ空間を作り上げられるフロアを作ることでした。
無論、フロアは水物だし、その場にいる人間の感情が自然に作り出すもので、人為的に何か作るようなものではないと考えています。その点で、できることと言えば、ラスクラのライブではどんな形(もちろんレギュは守るし、怪我なんてもってのほか)でも盛り上がってもいいというコンセンサスを形成すること、その際には誰でも巻き込んでしまうような場にすることだと考えました。
そんなコンセンサスを形成し、フロアの雰囲気を変えたことについては、僕とあろーさん(noteで個人の名前出すのはどうかと思うのですが、出させてもらいます。ラスクラ現場における盟友です)がこの期間にやったと自負しています。思い上がりだと言われちゃいそうですが、自負できるだけのことはやってきたつもりです。
これまでのラスクラ現場では、生誕ライブでそのメンバーのファンが上がることはあっても、いわゆる「ここひろ」のようにボンボンあがるわけではなく、解散発表の日の定期公演でもSEASONSの落ちサビで僕が上がっていたくらいでした。
僕自身はその日以降、上がれるならどんどん上がって、少しでもそうしたことをやる人を増やしていきたいと思い、率先して上がるようになりました。あろーさんも同様だったと思います。このあたりぐらいから、お互いに同じことを考え、同じ方向を向いているのがわかってきました。同士ができたわけですが、こうなるともう心強いなんてレベルではないわけです。お互いにどんどんどんどんやるようになっていきました。ライブの前後に、土台も上もできる人たちが講師になって、リフト講座を何度かやったこともありました。また、他のグループのファンの皆さん(特にSOMOSOMOのファンの皆さんには感謝しかありません。そももんさんには、対バンだけでなく主催にまでたくさん来ていただき、しかも土台までやっていただきました。感謝感謝感謝です)が加勢してくださったことも、非常に大きな助けとなりました。
そうした様々な要因が重なり合った結果、日に日に上がる人が増えていき、特に主催ではボンボンリフトがあがり、そのうちメガリフトも珍しくなくなっていきました。さらに、そうした光景を見た方が、次は自分もやりたいと実際に上がり始める(女性のファンの方があがったのを見た時には、「遂にここまで来たのか!」と思わず感動してしまいました)、こうした良いサイクルができあがり、それに従って土台のレベルもどんどん上がっていきました(本音を言うと、最初は不安を覚えたことも確かです)。こうして、多くの人が土台も上もできるようになっていき、元来のかわるがわる前に突っ込んでいく文化とも噛み合って、秩序が保たれ、しかも怪我をさせずにこうしたことのできるフロアができあがりました。ラストのアイドル甲子園でバンバン上がっていたのを見た時、そしてEMPATHYとの対バン時に、コラボパートでも容赦なくリフトしていたのを見た時、大きく感動したことを覚えています。
そうした1カ月半の積み重ねが、ステージでメンバーが放つ凄まじい熱量を受け止め、次から次へとリフトが上がり、前に突っ込んでいき、サーフも流れる、そんなとんでもないラストライブのフロアを作れたのだと思っています(もう一つ、これをにとりさんに伝えたら笑われたのですが、フロアに脱げた靴が転がっているのを見て、ラスクラのフロアもこうなったのかと感極まってしまいました)。QUATTROでのSOMOSOMOのワンマンライブ後、あろーさんと「8月4日は絶対最高のフロアを作ろう」と固く決意しましたが、まさにその通りのフロアになったのです。
どこ目線だよと怒られてしまいそうですが、それにしてもこのひと月のフロアの成長具合、尋常ではなかったと思っています。とはいえ、僕やあろーさんがこうしたフロアにしたいと思っていろいろしたとて、それを受け止める方がいないとこうはならなかったわけです。ラスクラのファンの皆さんがそうしたいと思って、実際に一緒に作り上げてくれたからこそのフロアなのです。その意味で、自分たちのしたことは皆さんを焚きつけただけで、それに乗って実際にフロアを作ってくれたのはファンの皆さんなわけです。皆さんがいなければこうはできなかったのです。このことに最大限の感謝をお伝えしたいと思います。
フロア作りへのこだわり
そもそもなぜここまでフロアにこだわるのかということに触れたいと思います。以前のnoteにも書いた通り、僕はライブハウスで音楽に浸っていると自分をちょっとでも肯定できるなんて思ったりしまして、それを改めて教えてくれたのがラスクラでした。だからこそ、そのラスクラのフロアで、最大限それを感じられるようにしたかったというのがあります。加えて、にとりさんが自分はステージに生きる人間だと言っていたからこそ、その思いにフロアから精一杯応えたいと思っていたというのもありました。
こうした二つを前提にしたうえで、もっとも大きな理由として挙げられるのが、SEASONSの落ちサビでにとりさんににとふぁむのリフトの壁を見せたかったということです。
正直にとりさん自身がこれを求めていたのかはわかりませんし、完全な僕のエゴです。言ってしまえば、これを実現するために、ラスクラ解散への”抵抗”を隠れ蓑にしてフロア作りをしていたわけです。
そう考えると、皆さんに僕のエゴ実現のために付き合わせてしまったような気がしてなりません。その点では謝罪すべきかと思っています。
ただし、ラストライブが終わった今、これだけたくさんの写真や動画が上がり、言及され続けていることを見るにつけ、結果としては良かったのかなとも思っています。
なかなか難しいところですが、ラスクラのファンの皆さんには、改めて謝罪と感謝をお伝えさせていただきます(なお謝罪については、少なからずいたであろうこうしたフロアを快く思わない人に対してもさせてほしいです)。
ラスクラファンへ
そんなラスクラのファンの皆さんには、本当にいつもよくしていただきました。
そもそも自分はニコニコ超会議がきっかけでラスクラを知った、いわゆる「ナナニジ勢」でした。元々、フロアでMIXを打つのが好きだったこともあり、気づいたらサークルの中にいたわけですが、突然入ってきたような自分が特に排除されることもなかったことがとてもうれしかったんですよね。そんな誰でもが歓迎されるようなとてもやさしいフロアの雰囲気が好きだったこともあって、現場に足しげく通うになったのですが、そのうち、次第に「ナナニジ勢」と呼ばれることも少なくなり、その辺りからラスクラのオタクとして受け入れていただけたのかなとか思ったりするようになっていました。そうしたみなさんのおかげで、ライブを見るだけでなく、皆さんに会うことも楽しみにしてラスクラ現場に行くことができていました。
また、にとふぁむ(にとりさんのファン)の皆さんには、特に感謝と、そして敬意を抱いています。
特に今年の5月のにとりさんの生誕以降のことですが、ファンネームがそうであるように、多分に家族的な要素の強いファンコミュニティにおいて、それを壊しかねないガチ恋(それもかなり高火力の)が突然湧いて出てきたにもかかわらず、排除するどころか暖かく受け入れていただきました。
普通、ガチ恋なんて存在そのものが迷惑であり、排除されても文句は言えないわけですが、にとふぁむの皆さんは全くそうではなく、なんなら「にとりさんに遂にガチ恋ができた!」と喜んでもらえた(!?)ほどでした。
にとふぁむの皆さんは、本当に一人一人がにとりさんに真摯で、そうでいて他のメンバーやファンのこともちゃんと考えて行動できるる素敵な方ばかりです(もちろんにとふぁむ同士でも。時に他人のことを思いやるばかり、遠慮しがちで、結果的ににとりさんの前に誰もいないなんてこともありましたね)。そんなにとふぁむに囲まれながら、ガチ恋させてもらえたこと、これ以上の幸せはありません。これからもよろしくお願いします。
さて、そんなラスクラファンに対する僕自身の姿勢として常に忘れないようにしていたのは、自分が今ラスクラに出会えたのも、それまで応援してくださっていた皆さんがいてこそで、そうした方々への敬意を持ち続けるということです。にとりさんを、ラスクラを好きだと言えているのも、僕がニコニコ超会議で出会うまでに応援してくれていたにとふぁむはじめ皆さんがいたからこそなのです。皆さんに対する感謝とリスペクトは絶対に忘れてはいけないし、ライブ中の振る舞い一つ取ってもそうした気持ちを持ち続けるべきだと思ってフロアでも行動してきました(それがどこまでできていたのかとはまた別の話ではありますが)。
皆さんが心血注いで作り上げてきたフロアに対しても同様であり、自分が出しゃばって、それを壊すようなことはしたくないと常々思っていました。だからこそ、解散発表以降にフロアを変えたいと思った際、実はかなり悩んだことも確かでした。
それでも、そんな悩みが杞憂だったと言えるほど、一緒にフロアを作くることができ、その結果は上述した通りです。くどいようですが、そんな皆さんと最後にあのフロアを作れたこと、そして共有できたことがこの上なくうれしかったわけです。
そんな、最後まで仲良くしてくださった皆さんの一人一人は、僕にとっては共に戦ってきた戦友であり、本当にかけがえのない存在です。この年齢になっても、こんなにも多くの素敵な方々と仲良くなれるなんて思ってもいませんでした。
車で遠征したこともありましたし、泥酔して路上で一夜を過ごしたこともありました。絶叫しつつ号泣しながら抱き合って語りあったこともありました。すべて良い思い出です。
自分は様々な現場に行っている身だからこそ言えると思うのですが、ここまで誰に対しても優しく、それでいて楽しいフロアを作れるような素敵な人たちはいませんよ。素敵なグループ、メンバーのもとには、素敵なファンが集まるんです。それを体現したのがラスクラだったのです。これは確実に誇っていいことです。
また、これはにとりさんに言われたことでもあるのですが、自分はこれまでいろんな現場にこそ行けど、友達なんて全く作れず、ただひたすら一人で楽しむとても孤独なオタクをしてきました。ここ数年はそれもだいぶ脱することができはじめていたのですが、ラスクラにコミットしはじめてからは、孤独を感じることはほぼなくなりました。皆さんのおかげで僕の孤独なオタク人生は変わったのです。
そんなこんなで、皆さんへの様々な思いは、言語化するのが野暮だと感じさせるほどの感情となって僕の中に存在しています。それでもあえて言葉で言わせていただきます。皆さんと一緒にラスクラを応援できたこと、本当に幸せでした!幸せな時間を一緒に過ごさせてくれて本当にありがとうございました!
皆さんとフロアをともにして一緒にアイドルを応援できなくなること、本当に寂しいな。
終わりの美学
2024年8月4日に解散すると決めたことで、残りの期間はライブに全てをかけることができると、にとりさんが言っていたことがありました。無論、時たま日記やストーリーからあふれでるにとりさんの気持ちを見るに、それだって一筋縄ではいかなかったんだろうなというのが伝わってきましたが、この1カ月半のライブでは、それでも一回一回のライブからはそうした思いがものすごく伝わってきましたし、なによりもフロアがステージに応えるようにどんどん熱くなっていったことを思い返せばよくわかることでしょう。
にとりさんも言っていたように、自分も終わりの美学という言葉がとても好きでして、昔は隆盛を極めたけれども最後はひっそりと哀しく看取られるよりも、最後まで上り調子で、そのまま派手に消えていく方が何億倍もいいと思っています。
もちろん、それが難しいことぐらいわかっていますが、ラスカルクランはそれをやってのけたのです。だって、あのフロアを見たら最後だなんて誰も思いませんよ。フロアはパンパンで、MIXもすさまじい声量、オタ芸サークルもクソデカい、リフトもどんどんあがってサーフも流れてくる、これが解散ライブなのでしょうか。
メンバーもフロアのファンも、全員が過去最高に仕上がった状態でラストライブを迎え、華やかに散っていった。そう言えるのではないでしょうか。
自ら終わりを決め、しかもそれをきれいにやり遂げられる。そんなラスクラを僕は誇りに思います。
陽向にとりさんへの思い
以前のnoteには以下の通り、ラスクラではないにとりさんのことを愛せるかわからないと書きました。
解散発表の際にこう思ったことは事実ですし、その段階ではラスクラ以外のにとりさんをまったく想像できなかったことも確かです。今にして思えば、当然、ラスクラ以外のにとりさんを僕は知らないので、こう思うのも仕方なかったのかなと思うのですが、この1カ月半を全力で一緒に走り続けた今では、たとえラスクラでないにとりさんだったとしても、変わらずに愛すことができると、胸を張って言えるようになりました。
というのも、自分はステージで歌い踊るにとりさんを見ていると、ガチ恋とはまた違った好きという感情に心の大部分を支配されるようになっていることに気が付きました。この思いにまだまだ浸りたい、どんな形であれ、ステージで歌い踊るにとりさんを見続けたいと思うようになり、そういった思いから、ラスクラでなかったとしてもにとりさんを愛せると確信したのです。
このあたりの話はお手紙に書いてにとりさんにお伝えしたのですが、いい考えに変わったねとにとりさんに言われた通り、この期間を通した自分自身の最も変化した点だと思っています。ますます愛は深まったね♡(激キモ)。
さて、この1カ月半、にとりさんには(結果的に他のメンバーやファンの皆さんに対してもそうでしたが)隠すものがないレベルですべてをさらけ出してきました。基本的には僕が一方的に感情を爆発させていました(といってもほぼ号泣していただけ)が、時に一緒に泣いたこともありましたね。
解散発表直後には、にとりさんが一番つらい時期だっただろうに、僕が勝手にバカ病みしてメンタルケアされるようなこともありました。本当に無様で、格好悪く、後ろ指をさされても仕方ないこともたくさんしましたし、多くの迷惑をかけたと思っています。最後の最後なんて僕が泣きじゃくって、何を言っていたのかわからなかったレベルだったかと思います。
それでも、不器用なりに(これはお互いかもしれませんが)、にとりさんといろんな感情をもって正面からやり合えたし、いろいろお互いにすり合わせることができたと思っています。笑い、泣き、悩み、もがき、時に苦しみ(と書くとにとりさんにそういった姿を見るのは悲しいとまた言われてしまいそうですが)、様々な感情とともに過ごしたこの時間は、かけがえのないものだったと思っています。
そして、にとりさんはステージから、自分(といっても一人だけではなくファンの皆さんと共にですが)はフロアから、最大限の全力でぶつかり合い、最後に最高のライブ空間を作り上げられたこと、これ以上のことはないと思っています。最大限の敬意とラブを込めて、感謝を述べたいと思います。そして、これからもよろしくね。
おわりに―再び”抵抗”へ
先にも述べた通り、この一カ月半は僕なりのラスクラ解散への抵抗の期間だったと位置づけられると考えています。ラストライブでも、最高のフロアを皆さんと作ることができ、どうして解散するのかといった声を多数上げさせることができたと思っています。その意味でも、この抵抗は自分なりに全うできたと考えていますし、満足しています(そう思わせるライブをしてくれたラスクラとファンの皆さんが最も偉大なわけですが)。
しかし、解散してしまった今をもってしても、僕はまだこの事実を十分に受けとめられてはいませんし、納得するつもりなんて毛頭ありません。普通であれば、時間がこれを解決してくれるのかもしれませんが、僕は明確にそれを拒否したいと思います。
そう、僕のラスクラ解散への抵抗はまだ続くのです。もちろん、もはや過ぎ去った解散という事象にどう抵抗するのかと言われそうですし、そもそも論理として破綻していることぐらい理解しています。
では、なぜそこまでラスクラに固執するのかと問われれば、それはラスクラを抜きにして自らを語ることはできないからであり、こうした問いが出ること自体に当惑してしまうほどです。前のnoteにも記載した通り、ラスクラは自分にとっての居場所であり、大げさに言えば、僕が僕であることを証明してくれるような場であったわけです。それだけ大きな存在なのです。
メンバーやファンはそれぞれがこの解散という事態を受け止めて(もしくは受け止めず)次の道へと進んでいく(大変めでたいことに、実際に次の道を進み始めたメンバーだっています)のだと思いますが、僕は、解散までにしてきたこと、感じて来た思いを抱きしめ、そして解散によってぽっかりと心に空いた穴とともに、それらへの時間による癒しを拒否し、いつまでもラストライブが行われた2024年8月4日に立ちすくんでいくつもりです。これが僕なりのラスクラ解散に対する最後の、そして終わらない抵抗です。
にとりさんから受け取った衣装の缶バッジを眺めるたび、僕は、ラストライブが行われた2024年8月4日に戻るのです。これこそがRASCAL CLANを永遠のものとするための営為だと信じながら。