東谷暁さんの正論
早速、転載してみました。東谷暁さんのブログを読んだ感想です。
「発言者」の元編集長であり「表現者」の元編集委員の東谷暁さんは、現在の「表現者クライテリオン」の凋落ぶりをどう考えていらっしゃるのかな…と思いを巡らせています。
記事はいわゆる「集団免疫」に関する考察です。東谷さんのブログは関連する記事を複数貼っており、併せて読むと理解が深まるようになっています。
新型コロナウイルス感染症に対する「感染による自然な形での集団免疫論」をスウェーデン政府が初期の段階で唱えたことはよく知られています。「感染による自然な形での集団免疫論」を実行したスウェーデンは対人口比で世界一の感染者を出してしまい、医療崩壊を防ぐため、施設で生活する高齢の感染者を病院にかからせずに事実上の見殺しにしました。政府の政策責任者であるテグネル氏は一連の施策の失敗を認め、現在では行動制限とワクチン接種に舵を切りました。
これに対し、「感染による自然な形での集団免疫論」を「幻想」と切って捨て、「ワクチン接種による人工的な集団免疫論」を推奨するのが、アメリカ合衆国政府の医療顧問であるファウチ氏です。東谷さんはファウチ氏を支持され、日本国内でも「ワクチン接種による人工的な集団免疫論」が主流になっています。
「感染による自然な形での集団免疫」を実現するまでに高いハードルが複数あるのは間違いありません。このあたりの詳細は東谷さんのブログに書かれているので割愛します。集団免疫を早期に実現するにはワクチン接種をするしか手立てがない状況です。また、変異を続ける新型コロナウイルスに対処するため、改良されたワクチンを毎年接種して免疫を作ることを繰り返すしかなさそうです。
ただし、日本政府が縋り付く「ワクチン接種による一発逆転(神風)論」もおかしいと考えています。通常は開発と治験に10年ほどかかるとされるワクチンを1年ほどで実用化しており、効果や副反応について詳細なデータがないまま「ぶっつけ本番」で接種をしています。ポリオや子宮頸がんなど過去に「ワクチン禍」が起き、その対応が後手に回ったことが日本国内における「ワクチン忌避」を招きました。日本国民に根強く残る「ワクチン忌避論」があながち間違いとは言い切れないと考えています。
医療従事者、介護従事者、高齢者など「高リスク属性」を持つ人たちは感染予防や重症化防止が必須なので接種を受けざるを得ませんが、一般の人は「第一世代」にあたる現在のワクチンを無理に接種する必要なないと考えます。より効果が高く副反応も少ないワクチンが開発されてからでも問題はないと思います。
ワクチンは疫病を根絶させる「ゲームチェンジャー」ではなく、感染や重症化を抑えるだけの「重し」でしかありません。当然ですが、ワクチンを接種しても基本的な感染対策は必須です。また、短期の副反応や長期の健康問題などのリスクがある以上、リスクとリターンを天秤にかけて接種をするか判断するしかありません。
話が飛びましたが、東谷さんが強調されているのは「現実を直視し、事実をあるがまま捉える」ことです。某獣医師が吹聴する「大したことないから感染して免疫を作ればいい」とか、元医系技官が唱える「どうせ感染対策が追いつかないのだから指定感染症のランクを下げればいい」といった非現実的かつ無責任な話に踊らされることなく、「感染しない、させない」を実行し、自分の身を守るしかありません。