だるい!「一人で延々と喋り続ける人」とどう付き合ってる?
私が封印した才能の中に「聞き上手」というスキルがあります。
理由は、何時間でも延々と一人で喋り続ける「自分語りピープル」の餌食になりたくないからです。
彼らはただそのような生き物であるというだけなので、何も悪くはありません。無差別にスキルを発動した自分が悪いのです。
だから、このスキルは本当に大切な人のためにしか使わない、と決めました。
話が長い人には、まず相槌をやめます。退屈したらすぐよそ見したり、鏡を取り出して髪を直したり、スマホをいじったり、スマホを見ながら「この店ドジョウ3匹セットで格安なの」などと言って話の腰を折ります。
難しいのは複数人がいる席で、一人が延々とつまらない話を続けているのに
他の同席者がみんな大人しく聞いているという場合ですね。
同調圧力が生じるため空気を壊すのが難しいです。
それでもやります。あえてやります。
嫌われてもいい。
というか、べつに嫌われません。
おしゃべりピープルは冷たくされるくらい慣れています。
わざとじゃなく、ナチュラルに集中力のない人やじっとしていられない人っていますからね。
だからこそちゃんと聞いてくれる人を発見すると大喜びでしゃべり倒してしまうのです。
退屈な長話の途中で大あくびをするような、ささやかな非礼さえできない人に伝えたいのは
誰とでも無差別に性的な行いをする女の子がいたら「節操がない」「もっと自分を大事にしなさい」とおじさんおばさんが言うでしょう。
おじさんおばさんは正しいです。
欲望が溢れて止まらず心底からやりたくてやっているならまだしも、たいていはさびしさや依存心から断り切れずに、どうでもいい男に流されているだけだからです。
そんな生き方には自分の意思も情熱も何もありません。
傾聴というスキルを誰にでも発動するのはそれと同じくらい節操のないことなんだ、くらいの気持ちをもって、果敢に話の腰を折ります。
ところで私自身も、あるやっかいな性質を持っています。
「どうでもいいオタク知識や批評をずっと喋ってる人」なんて最初から聞かなければいいだけですが
自分自身の経験を語る人にはそれなりの魅力があります。
とくに知り合ったばかりの相手だと、好奇心や覗き根性を発揮して熱心に話を聞いてしまいます。
最初は「自分語りしまくりたい相手と、他人の人生を垣間見たい私」との間にwin-winの関係が成立します。
しかし自分語り大好きな人というのは概して「謎を残しておく」というサービスができません。
これがまず致命的な大問題です。
凄腕のキャバ嬢は、決して自分を全公開したりせず
どんなになじみの客にも必ず、何か秘密があるように思わせておく。
常に新しい扉を用意しておいて飽きさせることがない、などと言われます。
高級クラブじゃあるまいし、とりとめなく自分の話しかしない一般人にこんな高等技術が使えるはずもありません。
彼らは私という聞き手を得て気持ちよくポンポン自分をさらけ出してゆきます。
あっという間に底が見えてしまいます。
まるで音楽開始2秒で全裸になってしまうストリッパーです。残り4分58秒どうやって保たせるんか?って話です。
そんな店行ったことないので一曲の長さは知りませんけども。
だから飽きます。相手が味のなくなったガムか出涸らしの茶葉のように見えてきます。
なんて残酷なのだろう、と自分でも思います。
まるで最初だけ熱心に女の子を口説いておいて、飽きたらポイとしてしまうクズ男じゃないですか。
実際相手の目には私がそのような自分勝手な人間に見えていることでしょう。
しかし人間関係とは相互性があってはじめて発展するものだし、相手は他人に興味を持てない人なのだから仕方ないとも思います。
自分語りが異様に長い人のもう一つの問題は、
喋ることによって記憶を自分に都合の良い嘘で上書きしたり
人に語っているようでいて実は必死で何かを自分自身に言い聞かせたりしている、という側面を持ち合わせていることがあります。
そういう場合、彼らの話には多くの欺瞞や虚飾が含まれています。
だから語りたがるわりに、こちらが知りたいことに限って、はぐらかしたりごまかしたりしてまともな回答が得られません。
「私が話したいことだけを黙って聞け」という考えなので、質問されること自体に拒否反応を示したり
「それは言えない」とぴしゃりとシャッターを下ろされることもあります。
私は相手の心を癒すために聞き手になっているのではなく、本当に知りたいから耳を傾けたのです。
質問されたくないなら最初から語るなよ!質問禁止の記者会見か!?と思います。
これはたちの悪いタイプですね。
人生を学びたいなら、自分を飾らず鎧わず、多少答えにくいことでも正直に答えてくれるような、誠実なおしゃべりピープルと付き合うべきです。
最後に、身近にエンドレスおしゃべりピープルがいてストレス溜まっている人に朗報です。
相手が喋りまくる+私は聞き続けている という状況がある程度続けば
当然ながら私は相手を見透かし、弱みを掴み、分析し、パターンを抽出することができます。
純文学をやる人ならその人を主人公に小説一本書けるだろうし
サイコパスなら相手を意のままに操作できるでしょう。
この状況を不気味に感じないのでしょうか?
彼らは語るのが大好きな割に「喋り倒したぶんだけ弱みを握られている」という覚悟が足りないようです。
互いに同じくらいの分量を喋っている仲ならば
「あんた○○よね」「そんなこといったってあんただって△△じゃない」「アハハハ」で済むものを、
自分だけが語り続けている(そもそも他人に興味がない)ために、こちらのことはほとんど把握できておらず
たまにサクッと斬られても仕返しの材料を持っていません。
ようはまだ武器も捨てず防弾チョッキさえ脱いでいない人間の前で、
自分だけが丸腰の素っ裸で踊っているかのようなその状況に気付いたとき、彼らは大いに動揺し
自分が招いたことだと知ってか知らずか、怒りだしたりします。
散々一人でしゃべり倒してヒントを散りばめたあげく、情報を繋ぎ合わせて隠し事を推理した私に激怒して
「もう会わない」と去って行った友達がいました。
その後本当に連絡がなかったのですが、しかし語りたい欲とはこれしきのことで消えることはないらしく
半年くらい経ったあるお正月、はがきの裏面を埋め尽くさんばかりに細かい字でびっしりと
近況を書き綴った年賀状が届いたのでありました。
おしゃべりピープルとは、そんな愉快で人間味溢れる人々なのです。
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