日記 6/17〜20 ☆

くたびれ四日間を文章に残す ※誤情報があっても信用を失いたくないので、この日記は実話を元にしたファンクションです


6/17 土  カラオケと''とらそば''
金曜夜ライブが終わり柴助と安い居酒屋で将来のテキトーな話とかをした、別れて23時、ふと一人でカラオケに行きたくなって寄った。ここから寝る暇のない四日間がはじまる。第一夜カラオケは一人の時しか歌わないような曲を深夜3時まで計46曲歌った。

歌った45曲

46曲目はウルフルズのそれが答えだ
喉を壊さないように歌うを心がけたら心なしか歌いやすく楽しかった。歌い終わって深夜3時、家まで歩いて帰った、土曜は養成所、起きて向かった
授業の内容は演技の話、ぼくはピンネタのことを考えていた、授業が終わってダラダラしたあとゆでとジンクボでありゃまオススメの店''とらそば''に行った。''とらそば''は新宿にあるうどんかそばか牛丼かの店、ぼくはお気に入りの替玉一杯無料豚骨ラーメンを頼んだ。''とらそば''は場所も環境もコスパも丁度いい、身丈に合ってる感じがして居心地がいい。快適な空調、強めのフリーWiFi、充電コード、別客との距離感、漫画、ワンコイン前後の腹持ちのいい飯、すべて揃っている、不満でもないがひとつ気になる点を言うとすれば、客層が外国人すぎることだ。韓国から東南アジアヨーロッパいつも知らない言語が飛び交っている、会話は脳が日本語として処理しないため音として認識してくれて声が大きくてもそんな気にならなくてうれしいが、ただ、呼び出し番号をマイクで読んでる店員はいつも怒っててうるさい、その店員もアジア系の外国人で外国人客にも日本語で接している、たまには母国語とかしゃべってもバレないのに。よくいる日本人客はだいたいキャバクラ嬢で、来る理由は多分ぼくと同じように日本人いないのがなんか居心地いいみたいなことだと思う。''とらそば''情報はこの辺にしておいて、ゆでとジンクボと何をしたかを書く。ゆでは彼女を待ってて暇だったみたいで途中で帰った。その後ジンクボと1時間くらいネタの案だしとかして捗らずまま解散した。次の日は笑御籤予選会というライブだったからなんとなく漫才のことも考えながらダラダラ帰った。

6/18 日 笑御籤予選会とunder5

しっかり寝坊してネタ合わせ集合の一時間半後に到着した、すぐ入り時間だったので一回だけ通して向かった、本番では水中トリック、ツイタチ、ミカミ、あくびぼうや、ハバネロ胡椒にイクラボブチャンチャンまで知り合いばっかりで楽しかった。会場はあったかくてネタは久しぶりにいい反応もらえてうれしかった、終わったあと春とヒコーキぐんぴぃさんに「ウケてなかったけど、面白かったよ、ああいうの最高やね」という言葉を童貞おは思えない距離間で頂いた。むしろ童貞だから近いのか。対して土岡さんは「ウケてたしおもしろかったよ、なんか二人が出てきて空気変わった感じがあった、そのまま頑張って」という嬉しい言葉を頂いた、土岡さんとはいつも目が合わないから不安になるが、今回もそうだった。その後フランツの土岐さんと顔似(がんに)写真を撮ったりあくびぼうやにへんな絡み方をしていた。一年前のぼくには想像つかないぜいたくな時間だと思うのに、気分はそんなに高揚していなかった。唯一ぐんぴぃさんと同郷の話してる時は高揚してた。「小倉の全教研行ってました!」「その塾ぼくも通ってたよ」「そうです!リリーフランキーと同じ病院で産まれました!」という歪な会話をしてしまった。ぐんぴぃさんは「おほ〜!」と言っていたのでセーフ。

右 左手 ''ヒョウモンタコの耳栓''

その日の夜under5の決勝があったあくびぼうや聞さんにエールの気持ちでタコの耳栓を託した。そん時ユニットで出てたのぶラベンダー、マミモンシンテターゼ、と柴助でうまめのハンバーグ食べてunder5決勝を見るためにぼくん家に向かった。観るためにマミモンが要らないテレビをくれたけど、家のノートパソコンの方が画質も彩度も良くて、けど一応持ってきてもらったからテレビで観た。あくびぼうやがファイナルラウンドに進んで3位だった、うれしかった。イチゴさんも面白かった。のぶラベがバイトで帰ったあと2人がぼくのピンネタを観る時間があった。あと、マミモンにひとつネタをあげた。

ここまではあくまで平和な芸人の人間関係だったが。ここからはリアル、異常のはびこる二日間。ここから柴助は登場しない。

6/19 月 天命

朝から夜までバイトで疲れた体を一度休めようとしていた、ショートマダムくず鉄から連絡が来るまでは。どうやらばっきんと大島さんが住んでる若葉荘にいるらしく、ちょっと迷ったがばっきんに金を返してもらわないといけない、ビレバンでエッグTENGAポケットTENGAと一緒におさるのジョージのヘアバンドをこっそり買って若葉荘に向かう 22時。銭湯帰りのばっきんと出くわして若葉荘に着く。そこにくず鉄はいなかった。代わりにマニラザルというオレンジ色の男の子がいた。あと人力舎1年目 凪 というコンビの亀亀。ばっきんにハッカ油を混入させたポケットTENGAを授けていた頃、くず鉄さんが帰ってきた。応用さんちゅうもやってきた。二人暮しのシェアハウスに7人居たがなにも窮屈しない広さ、押し入れで寝るばっきんはスペースの使い方が上手い。応用さんちゅうとは話したことがなかったから探っていたら、話しかけてきたのは向こうからだった。「一昨日カラオケいましたよね、レジしてました」最悪、一人カラオケ4時間で46曲連続で歌う緑髪のやつとして覚えられていた。恥ずかしい、カラオケ屋で夜勤してるやつは知り合いに多いが、そこに知らずに当たる程はずかしいことはない、社会はちゃんと人間で回していると実感した。CPUなんかいない。
 マニラザルの一言でファッション対決がはじまった。ばっきん vs くず鉄 ''ばっきんの持ってる服を選んで、くず鉄さんが勝ったらばっきんはそのコーデをあげないといけない。ばっきんが勝ったらくず鉄さんはそのコーデはもらえない。''というルールのもとはじまった。ルール上ばっきんにメリットはない。先行はばっきん、大島さんの決めたテーマは「デーモン」。ばっきんは持っていた袖なしジャケットの腕の穴に頭を通して登場した、出てくるやいなや近隣に迷惑にならない程度の音量で唸っていた。後攻くず鉄、大島さんの助言「テーマは沿わなくていい」によってくず鉄さんは茶色のセットアップを持って着替えにいった。くず鉄さんは上裸にジャケットを羽織った状態で登場した。うすら胸毛がセクシーだった。MCマニラザル含め5人の審査員が厳正な審査をして手を挙げる。
「ばっきんさんがよかったと思う人」、0名「くず鉄さんがよかったと思う人」、、5名。「勝者 くず鉄」ばっきんは服を失った 「じいちゃんからもらったやつなのに〜」笑いを選ぶ男。その後くず鉄さんが「ホントにもらっていいん?」と聞いた所「ホンマにじいちゃんからもらったやつなんすよ」、抵抗しなかった。

ファッション対決 勝者 くず鉄


 その後 大島×マニラザルのコント ばっきん×くず鉄のコントを見てたくさん笑った。次の日昼からマニラザルと大喜利カフェ ボケルバ行く約束したし、みんな眠りそうだったので、ぼくは若葉荘を後にした。

6/20 火 ''あくびぼうや''

  すべてが酷かったのでワンカップ焼酎を飲みながら日常の均衡を取り戻そうとした。深夜3時 高円寺のロータリーで休憩していたら あくびぼうや池田京橋さんから「なにしてるの〜?」というLINEが来た。均衡を取り戻しきれてなかったぼくは京橋さんのいる無力無善寺の方へ向かった、「さっきアタマ(無力無善寺にて行われているミカミ主催ユニットライブ)終わって、山田ボールペンさんに祝ってもらって、、なんか奢られてばっかで奢りたい気分やねん」やや調子にのっていた。でもほんとにめでたいし話せるのうれしかったのでついていった。お祝いにエッグTENGAを渡した。すると「たぶんココちゃうかな」と言いながら松屋に入った。どうやら京橋さんの彼女がバイトしてるらしい。へんだと思った。なんでか先輩の彼女が働いてる牛丼チェーン店で特に割引とかもなく定価で牛丼をご馳走になった。関西の調子の乗り方はこういうものなのかと動揺しつつ、京橋さんの家に向かった 深夜4時。京橋さんは家に着くなり「これ食べてや、under5の楽屋から盗んできた」もらってきたんやろ。関西人らしさ満載ですごくうれしかった、ほんとに漫画の趣味合うし話してて楽しかった。マキバオーとアイシールド21とメジャーとエリアの騎士の話を連続で出来るのははじめてだった。もっと話したい  身の上エピソードトークを出せるだけだした 入院トーク対決ではドローだった まだ話せる。深夜5時 大きなあくびをした京橋さんは小声で「もう帰ろうか」と言った、聞こえてないフリをする。深夜5時半  ニコニコしながら「帰れや」と言ってきた。「なんや自分から夜中誘っておいて、おれん家ここから歩いて遠いねんぞ、明日13時から大喜利やねん いつ眠るねん。」と思いながら「帰ります」と言って帰るタイミングを探す。深夜6時 ついに「さすがに帰ろうか」が出た、その言葉の力でソファーから腰を上げた、ぼくはかなり脳が止まっていたみたいで靴箱に入ってる靴を見失い必死に玄関の床をこすっていた。教えてもらい靴を履きドアを開け外へ出る。京橋さんは靴を履きドアを閉め鍵を閉めて外へ出る。、、これどこかでみたことがある、こ、これは、あくびぼうや浜川聞とお互いに損をし合うルーズルーズの時間を過ごしたあの線路下と同じ状況だ!!!(6/11 under5決勝の連絡が来た当日同じライブだったあくびぼうや浜川さんとお互い帰るタイミングを掴めず深夜4時まで立ち話をしていた)

6/11 pm4 まどろ目でアイスをかじる浜川聞

この時と同じ状況になった、お互いに帰り下手で、帰るタイミングが分からないふたりだった。それなのに玄関先までではなく鍵を閉めてついてくる、ぼくは歩きだから、駅とかでお別れするはずがないことを分かっているのに。「あ!」ばっきんに金をもらい忘れていたことに気づく、都合がいい、いざ若葉荘。

6月20日深夜7時 売れない芸人の巣窟だった若葉荘にUNDER5 AWARD3位が訪れた。そこに寝ていたのは大島 ばっきん マニラザル 凪 亀亀 。応用さんちゅうは6時間前家を出た時と同じ位置に座って起きていた。「おはようございます あ、(京橋さんに気づいて)今見てました 面白かったです」いや、もっと驚いてよ。「今日寝てないです」なにそれ。応用さんちゅうはその後 京橋さんの写真を撮っていた。起きかけのマニラザルが朧気な目で京橋さんを見る、目も擦ることなく「なんでいるんすか?」もっと驚いてよ。「under5見てないですけど、知ってます」うーん、微妙。寝ぼけたばっきんの瞳に京橋さん映りこんだ。「なんでなんで、なんで、どういうこと?」コレです。見たかったものが見れた、ばっきんはあぐらをかいて大阪時代NSC同期の京橋さんと同期トークに花を咲かせる。美しい、ぼくの脳みそは落ちていた。睡眠の海が満潮を迎える。気を抜くと寝てしまう。ばっきんがあくびぼうやとどうだろうが知ったこっちゃない。こっちはひとつのあくびも出ることなく睡魔と戦う、ベロが過去一伸びて戻らなくてなって気孔をふさぎきって死んでしまうんじゃないかとまで思った。内容は音で受け取った、ばっきんの音がいつもより高くて、他はみんな低かった。そのばっきんがバイトで家を出た 深夜8時半。今しかない

 はじめに口を開いたのは京橋さんだった「じゃあ、また」ついに帰れる。

ぼくの帰宅する方向に京橋さんはついてきた、なんだこの人は、せっかく帰れるっていうのに、馬鹿すぎる

「こっちおれんちと逆やろ」「もう帰るで」と言いながら付いてきた、ぼくは「だから言ってるじゃないですか」「絶対帰った方がいいですって」を繰り返した、200メートルほど歩いた曲がり角で「さすがに今日は帰らせてもらうわ」と言いながら止まった

やっと終わる

今日のことは文章で記さないと
忘れたら困る、最悪の時間だった
本当に楽しかった、最高の時間だった

やがて京橋さんは逆方向へ歩き出した
この時、絶対にしてはいけないことは''振り向くこと''
振り向いて、もし目でも合ったりしたら終わる
ぼくは面白がって本能で京橋さんの方に走り出すし
京橋さんも「もうええて!!!帰らせてくれ!!!おまけに早く死んでくれ!!!」と言いながら立ち止まってくれると思う
京橋さんはやさしい人、そんな時でも帰りの足を止めてぼくと向き合ってくれるんだろう、それが分かっただけでぼくはいつでも死ぬことができる、会うのは3回目、まともに話すのはその日がはじめてだったけど、京橋さんがぼくのお通夜に来なかったら本当は呪いたくないけどふざけて呪うと思う。

am 9:00
まぶたがくっついた
あくびぼうや池田京橋

有難いことにシュミレーションお通夜のメンツが潤ってきた、みんな香典は2で終わる金額にしてね(偶数=2で割り切れる=別れる=死者と決別できる) 、香典返しはぼくの尿管結石で作ったアクセサリー、すぐ質に入れてね

あくびぼうやの濱川聞さんにも出会って初日で深夜4時色々あって「ぶち殺すぞ」と言われた。あくびぼうやにとってぼくは癌。ぼくにとってあくびぼうやはシュミレーションお通夜の大トリだ。ぼくのお通夜は香盤がある、オープニングコントで佐久間一行のセミ2013のコントを柴助に完コピしてもらい、そのあと多分クソ長い弔辞を読む、その時だけ柴田理恵をひな壇に座らせて、冷めるような変顔をしてもらいたい。話は逸れたがあくびぼうや、今となっては世紀の大スター。ぼくのお通夜のトリは彼らに決まった、参列者がみんな ''また来たい'' ''もっかい死んでほしい'' ''ぼくもこんなお通夜がしたい'' と思っている中、あくびぼうやの漫才で ''めっちゃ面白かったけど、笑えるの初見だけやな'' ''一回も笑えなくてびっくり😅'' ''声しずちゃんに似てる'' と思われて欲しい。参列者のそんなリアクションをいともせず彼らはこう言ってぼくのお通夜を締める。


聞いてください


彼らのサゲゼリフ


''おやすみなさい''

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