空元気の唄
曖昧な記憶でソースを明示できないことがもどかしいのだが、以前読んだインタビュー記事にて、
BUMP OF CHICKENの楽曲「ray」について、漫画家の羽海野チカ先生が「空元気」と喩えていて、それに対して藤原基央さんは「嬉しい褒め言葉」だと話されていたという記憶がある。
rayがリリースされてからもう10年が経った。
忘れもしない、リリース日からきっかり5年後に、この唄の聴こえ方が大きく変わるような出来事に遭遇するなんて、当時の僕は想像すらしていなかった。
聴けば聴くほど空元気の唄だなと思える。
楽しくないから「楽しい方がずっといい」のだ。
誤魔化して笑っていくのは、本当は悲しいから。
笑うということ
悲しいのを誤魔化して笑うことにはどんな意味があるのだろう。
同じBUMP OF CHICKENの「Flare」という楽曲の歌詞にはこんな一節がある。
悲しくならないように感情を押し殺していると次第に楽しさも感じなくなる。感情にはチャンネルがないので、感情のどれか一つだけのボリュームを下げるなんてことは不可能だ。
でも他者と関わらざるを得ない日常を送る以上、愛想笑いや無理した作り笑いだとしても笑うことで押し殺していたはずの感情の回路が開く。悲しさも感じるようになれてしまう。
他者との関わりの中で、最も簡単にできてしまう感情の発露が、笑うという行為なんじゃないか。
感情が先に起こるから笑ったり泣いたりするけれど、その逆だってあると思う。笑うから楽しくなるし、涙が出るから悲しいことに気づく。
笑えるから悲しくもなれてしまうのだ。
壊れるという表現は、他の楽曲にも。
強い悲しみに際し、キャパオーバーだと感じても、心が壊れたと感じても、もう無理だと感じても、感情を感じる部分を完全に閉ざすことなどできない。
強い悲しみに侵されて、感情のエネルギーを使い尽くしたと思えるときでさえ、自らの意思に反して、心は感じてしまう。身体は生きようとする。
楽曲の序盤では「悲しい光」は封じ込めていたのに、サビで「誤魔化して笑っていくよ」と決意したのちには、封じ込めていたはずのその光が後ろから自分を照らしていることを認識してしまっている。ここに「僕」の悲しみへの向き合い方の変化が見てとれる。
悲しいのを誤魔化して笑うとき、本当は悲しいということをどうしても意識せざるを得ない。それでも笑うことを選ぶということは、その悲しみをなかったことにするのではなく、受け容れようとする姿勢の表れと捉えることができる。
悲しみは愛しさである
悲しみを受け容れるということは、悲しみの原因に思いを馳せるということと同義だと思う。rayにおける「悲しい光」の光源は、「君」とのお別れのことだと示唆されている。
なぜ痛みが消えないことを「大丈夫だ」と歌うのか。
なぜ悲しみが光源なのか。
「君」を失った悲しみ、そこから生まれる痛みが強ければ強いほど、それだけ大切だったのだと愛しさに変換することができる。悲しみを感じられるということが、痛むということが、「君」への拠り所になっている。
痛みが消えることは、「君」への拠り所を失うことでもある。だから貰ったお薬を飲まないのだろう。
「君」を失った後は、痛みこそが「君」を感じられる唯一の感覚。
だから痛みが消えないことを「大丈夫だ」と歌うのだろう。
悲しみから愛しさを感じることができるから、それを光にたとえたのだろう。
認知的不協和
認知的不協和とは、個人の認知と事実の間に矛盾が生じている状態のこと。その状態は不快感をもたらすため、認知を変えるか事実の解釈を変えることで人はその矛盾の解消を図る。
木の高いところにある葡萄を取ることができない狐が、その葡萄を「酸っぱくて美味しくないに違いない」と事実を解釈することで認知的不協和を解消しようとするというイソップ童話「酸っぱい葡萄」が有名な事例としてしばしば挙げられる。
rayにおける「僕」が感じていることも、全ては認知的不協和なのだろう。
晴天とは程遠い終わらない暗闇に星を思い浮かべ、それを銀河だと思い込むことも、
痛みが消えないことを「大丈夫だ」と歌うことも、
悲しみを光にたとえることも、
お別れしたことは出会ったことと繋がっているということも、
「生きるのは最高だ」と歌うことも。
全てが「君」とのお別れから生まれた悲しみが基盤となっている。
その悲しみを、ただ悲しみとしてやり過ごすのではなく、「君」が大切だったという感情に基づいた悲しみであるというところに目を向けることで、認知的不協和を解消しようとしているんじゃないかと思う。
空元気の唄
認知を変えようとすることは、悲しみに呑まれないための、精一杯の強がりであり、空元気。
rayは、自分を強く蝕む感情に抗う理性を保とうとしながら、失った悲しみと向き合い続ける強さを持とうとする人間の唄なのだと思う。
そうして今日を明日に繋いでいく「僕」に自分を重ねながら、空元気だとしても踵をすり減らしていくうちに、いつしか大丈夫になれていた。
思い出すことや忘れないことも、供養だと思う。
光源が遠くなってしまっても、痛みが消えないということが「君」を思い出す契機になる。
だから、大丈夫だと思えるのだ。